Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2011年 4月

1 季節とともに

 

1  季節とともに

 湿り気を含んだ強い風に煽られて、もうちょっと咲いていてほしい桜の花びらが 散り散りに吹き飛ばされている。

 名残惜しくも有るけれど、季節が 当たり前に訪れ、いつものように!時を移してくれることを、今年は ことさらに ありがたく思える。

 あるブログで読んだ本の紹介文の中で、こんな話しがあった。
広島の原爆投下後の一年目の春の出来事で、向こう30年は 一木一草生えることは無いだろうといわれていた焼け野原にも 道筋ができ、ある日、そこを通りかかった一人の婦人が ふと 焼けこげたまま 残った木の根元に、新しい緑の小さな葉が芽生えているのに気づいて声を上げたところ、道行く人達が つぎつぎに寄り集まって それを見るために立ち止まり、良くぞ芽生えてくれた と まるで 撫でさすらんばかりの人や、涙ぐむ人たちも居た・・・ と。

 自然は 実に 強かなものなのだな・・ と それを 読みながら思っていたが、おそらく 今の東北の被災地あたりにも、何かの折に やはり ふと気づけば 小さな春の訪れが見出されるのだろう、と 期待しながら思われている。

 何もかもが奪われ そして失ったはずであっても、時が来れば きっと かの地のどこかにも 小さな花は 咲くことだろう。
 それを 見た人達の心の弾みが 察せられる・・

 そろそろ ひと月だね と いっていた4月の11日には、余震と言うには大きすぎる地震が また起こったりして、なんだか ちっとも 日常が落ち着かない。

 それでも いつものように 実家通いをし、間に 今年はほんの少しばかり 早かったけれど いちおう花見にも行き、意識して 福島や茨城、千葉、栃木などの春野菜を買って食したりして、なんだかんだといいながらも まぁ 生活そのものが 冬仕様から春仕様へと 順当に 移行しつつある。

 こういう、なんでもなければ ただ そういうもの として 過ぎていく日々のあれこれって、すごく 大事なんだ・・ と このところ 特に感じている。

 表を歩けば、穏やかな日差しと やわらかな心地良い風に、たくさんの春の花々が 楽しげに揺れているのを見ることができる今年が、やはり 先月の大震災故だろうが、ことさらに ありがたいものに思えてしまう。

 

 かつて、自分にもあった 思い出そうとしても どうにも思い出せない 記憶の外の日々というものがあるのだが、 そんな時でも 季節は 当たり前に訪れ、ようやく 立ち直れるくらいになった頃 ふとしたことで実感した日の光や風のそよぎ、花の香りや空の青さが、かつて 何事もなかった頃と同じように そこに在ってくれていることに気づいて・・

 自分がどうであっても 時の流れは いつも自分とともにあり、そっと寄り添いつつ、自分の回復を待っていてくれたんだ と 腑に落ちるように 納得したような気になったことがあった。  

 多分 あれは 自分の次の人生の始まりだったんだろう・・ と思う。

 どうやって 生きていけばいいのかもわからなかったし、どうして生きているのかも わからなくて、ただ 食べ物を口に入れて それだけで 時をつんできた というだけなのに、
 生きることを止めなかったというだけで、何をしたわけでもないのに、ちゃんと 時は 自分を 次のステップへと運んでくれたのだ。

 それに気づいたことは 自分にとっては 大きかった。

 そんなことと このたびの大震災をまともに受けた人達の今を重ねることが どういうもののなか などとも思うけれど、おそらく 大なり小なりの 似たようなことは、あるんじゃないだろうか・・と 考えたりもしている。

 だから・・ と いっていいだろうか。

 願っていることがある、
 どんなふうであってでも生きていて欲しい と、今 苦しい日々を送っている人達について 思っている。

 避難所やそれに類する場所にいる人達ばかりじゃなくても、原発の事故現場で働いている人達やその家族もそうだし、そのあおりを受けて なんだかとんでもない状態になってしまった人達とか、新しい居場所で なかなか 難しいことになってしまっている人達とか・・ いっぱい いっぱい 普通にも苦しいところにいる人達にも

 願っているのだ、 生きてて欲しいな・・ と。

 自分が大変な時には、日が差しても 日差しを感じていないし、雨が降っても 雨だ・・くらいにしか思わないし、おいしい物を食べても ご飯だなくらいにしか思ってなくて、子供のことなんかも 当たり前にやっちゃうんだけど、そこに自分がやってるって感覚が乏しくて、いつも どうも 自分に実感が無いというようだったけれど、それでも、毎日のルーティンワークのような 人からの挨拶とか、着ているものやメイクを褒められたりとか、頼まれごとをして御礼を言われたり・・ なんていう そんなことが、すこしずつ 自分を現実の自分の居場所に つなぎとめてくれていたような・・ そんな気がしている。

 だから・・ いうのだけれど

 そばにいる人達に 普通に声をかけることを 惜しまないで欲しいのだ。
もちろん、一人にしておいて欲しいという時もあるにはあるのだけれど・・、それでも 思いもかけなかった言葉一つで、目が覚めるように 居場所に戻ることができることって あるのだから。

 日常 何気なく交わされる言葉や笑顔、まなざし一つで 戻ってこれるときがあるということを、自分は知っている。

 苦しい人は 苦しいと 外からは わからないことのほうが 実は多いんじゃないかと思ってる。
 だから、余計に 言葉や笑顔 まなざしやちょっとした丁寧さや親切を、惜しまないようにして欲しい、近くの人へは 特に ・・と 思うのだ。

 そうやって・・ 多分、人は 生きられるのかもしれない と 思っているのだ。  

 時が 過ぎていって 二度と戻ってこない というのは、実は ほんとに ありがたいことで、大変な恵みだと 自分では思う。

 いつも『これから』がある(=これからしかない) というのは、まだやれる、新しく始められるということで、そして 前進するってことなのだから。

 多分 どんな人も 大丈夫なんだろうと思う、そうやって いっしょに「時がついていてくれる」ことがわかれば、きっと だれでもが また そこから 歩き始める と、自分は思っている。

 

 

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