Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2010年 7月

 

1 ジャングル化する庭

2 雨に・・

3 夏のお手入れ 水分補給
ビオモルフォーズ+

 

1 ジャングル化する庭

 近所で 子猫が生まれて もう かれこれ一月くらいになるのだろうか・・
たまに 聞こえる声や 垣間見る姿は もう 可愛いの一言に尽きる。

 人間の赤ん坊を見ても、よく こんなに小さいのに 自分で生きてるなー・・と 妙に感心したりするのだが、子猫、それも まだ 生まれてそれほどの時を経ていないものなどが、それなりに 歩いたり はしゃいだりしているのを見たり、掌に2羽は置けそうなくらい小さな鴨の子が、当然のように 川の流れに乗って 親を追っていくのを見たりすると、なんだか あんなに小さいものたちが 生きて呼吸して、動いているというだけのことに、なぜか 妙に 感動してしまう自分ではある。

 その、先の子猫たちが、自分が不在のときに、この庭に親とともに来て、しばしくつろいでいったといって、タコ氏が写真を見せてくれた。


只今授乳中・・ 母猫に薄ベージュと黒に白の子猫が張り付いている。

 

 この時節は、あちこちの地域で 夏のお祭りなどのために、そのあたりの草刈を一斉したりすることがあったり、また庭弄りの好きな人たちは いつも 庭や家周りをきれいにしておく習慣があるらしく、夏の草の成育の早さに 対抗?しようとしてか、休みごとに、庭の草取りにいそしみ励む姿が 頻繁にみられるが・・

 当然のごとく・・というのも なんか変な言い方だが・・、我が家の家周りは 庭も含めて 小ジャングル状態に近い。

 しかし、先日、一応 ご近所の手前 ということもあり、たしょう・・ほんっとに 多少の草を引き抜いてはみたものの、ものの30分もしないうちに 腰は痛いわ、汗はだらだらだわ、暑苦しいわ・・、そして ずいぶんやってような気がして 晴れ晴れとした思いで 見回しても、それほどの変化を実感できないということもあり、あー もー いい!になって、抜いた草の片付けもしないまま、今に至るまで放置している。

 これまでは 4軒続きのこの長屋の中2軒がそうした手入れに優れていて、始終 まめに手入れしては、いくつもの 綺麗な花を咲かせたり、庭ながら 野菜の収穫を得ては おすそ分けなど戴いたりしていたのだが、隣の娘夫婦が引っ越したあとに入居した人は、庭などには 一向感心が無い様子で、あれだけ綺麗な花が時季ごとに咲いていたとは思えない変りようになり、結果、 以前は 周りを見るたびに 多少 気の引けていた我が家の庭も さほど際立つこともなくなって、つまり その状態を ありがたく 習いつつある今ではある。

 それでも やはり 反対側の隣家の庭などが目に入れば、すこしだけ ちくりとした思いをすることもあって、そういう時は 言い訳のように、ゴミ捨ての後、ほんの数分、見えるところだけ 適当に 草を引っこ抜いておいたりもする。

 しかし、先日の子猫たちと母猫が この庭で くつろぎ遊ぶ様子の写真を見たりすると、これは、なにもないところでは しないことだろうなー と にんまりしてしまった。


・・あ?  と いったかどうか。。
左から 黒に白、母猫、薄ベージュ、そして 右に白と黒の子

 

 気に入りの豆の木や 小さな薔薇やハーブたちのためには、思わしくないところだけ 枝払いをしたりしてみることはあっても、木の枝を切るということに、ある意味での抵抗を感じてしまう自分としては、なかなか 積極的にそうはできなくて、何かのたびごとに、潔く枝を払い、草ぐさを引っこ抜いて、あとは耕すばかりみたいな状態の庭を、いとも簡単そうに 実現させる隣近所をはじめとする このあたりの庭を見るたび、ちょっとした 罪悪感様のものを感じたりすることもあるけれど・・

 いやしかし、ああして 猫の親子が 安心して遊べる場所としては、多分、木陰を作る木々や、身を横たえるに心地よい草があるというのは、とてもよいことなのではないだろうか・・。


両足を踏ん張って・・ この必死さが 可愛い・・
母猫は 常に警戒しているのだろ、こちらへの視線をはずすことが無い

 かくして、我が家の庭にかぎらず、玄関回りや裏庭は、今は又 放置状態にして、ちょっとした ジャングルになりつつある。

 (・・と 変に得意げに言ってみたりして・・)

 

 

2 雨に・・

 雨の多さに、春でもないのに雨後の筍よろしく、目の前の小山の竹が 素晴らしい勢いで スンスンと、まるで 定規でも 線を引いたかのように まっすぐに天を目指している。

 庭のハーブたちも ちょっと気を抜くと 気が付いたときには 繁茂状態になってしまうし、気休めのように抜いた草々も、日差しと雨で あっという間に 何ごとも無かったかのような・・ つまり 元の状態に戻ってしまっている。

 だから、草取りなんかやったって しょうがないんだよねー と思うのだが・・、実際のところというのは どうなんだろう??

 昨日も さらにジャングル化している 隣家の庭で、子猫たちは 必死の形相で駆け回り、跳ね回り、絡み合い、取っ組み合って・・、そして 当方の庭には くつろぎに来るというか、でれ〜んとしながら 小いびきをかいたり、くったりとねそべったり、妙な恰好に 体を庭の縁石にもたせかけて くつろいだり、母親に毛づくろいされつつ 乳をもらったりしていた。

 ずっと ずーっと 自分という意識が出来てきてから この方ずっと・・(かも知れないのだけれど)、とても 不思議というか 面白い というか、 そんな思いになるもののうちに、雨がある。

 理屈とか 現実的なことは 分っている(と おもうのだけれど)にしても 本当に 雨の降るさまをみていると、実に 不思議でならないのだ。

 なにがといえば、・・だって 本当に 降っている間というのは 後から後から 切れ目なしに、そう 途切れることなく ずーーーーーーーーっと ずーーーーーーーーっと 上から下に 小さな水粒が ここ と 狭い部分に限定されることなく、落ちてき続けるのだ・・!

 これは・・ すごく 不思議なこと、すごいこと、おもしろいこと、たいしたこと・・ ではないのだろうか????

 雨は、この庭にも降るけれど、それは 目の前の畑やその向こうの小山、隣家の庭や夫々の家の屋根、その辺の道や道路、近くの川や草地にも・・ そして 海にも、対岸の町にも その先の丹沢の山々にも 反対側の浦賀の先にも・・ おなじ時に 同じくらいの量のものが 同じような様相で、同じように 降り続くのだ。

 これって、、すっごいこと の ように思えるのだけれど・・?

 どんなことしたって、人には できないことじゃないんだろうか? なんて・・

 自分が生きてきて それが一番 ながかったのでは・・ と 記憶しているのは、上の子供たち二人が まだ おしめをつけている頃の梅雨の頃で、まー じっつによく雨が降り続いてくれたときがあった。

  延々 途切れることなく その雨降りは 連続21日間だった(と記憶している)けれど、その時も、いったい それほどの水が どこからどこにいって、それよりなにより 一体 そこに どれほど蓄えられていて 云々・・ なんて ものすごく 深刻なことのように 雨の中を歩きながら、考えていたものだった。

 たとえば あのときの、つまり 21日間降り続いた雨が 一度に ざん!っと 天からおちてきたら、まぁ 生きて残るものというのは 多分 ものすごーく 少ないことだろう。
 
水の勢い、力というものの恐さ 凄さを思うと、それは とんでもなく 恐ろしい空想ではある。

 そうならないように、細かく細かくなったものが 順次 天から降り続けることで、とんでもないことにならないようになっているのかもしれない。。なんて ことも、その時から 思っていることではある・・。

 まぁ そんなことは 別に どうということもないことなんだけれど、どうも 雨の降るさまを見ていると、いまだに ものすごいことだなぁ・・とか 本当に いったい どこにコレだけの水の量が蓄えられているんだろう・・なんて まるで何も知らない子供のように 不思議に思い続けてしまう自分が・・、実のところ、まず 自分で 面白いと 思ってしまうのだ。

 

 風が吹くのも そう。日が照るのも そう・・ 星が瞬いたり 波が寄せたり引いていったり 雲が空を翔るのも 季節がかわることも、その季節の変化が様々なものの変化を促すのも・・ なにもかもが とても すごく 不思議でならない、いまだに 考え始めると 不思議極まりなくて・・ ま そのうち 答えなんかないので、疲れたり 飽いてしまって 考えることをやめるのだけれど、 それでも やっぱり こうして雨が降れば 雨のことを思い、そして 相変わらず 不思議がっている・・

 ありきたりの答えなんか要らない。そうじゃなくて この「私のなぜ?」への 腑に落ちる説明があればいいのに と思う。

 科学とかなんとかでの説明は もう 散々されているから そういうのはいい。そうじゃなくて、そう、そうじゃなくて・・!

 それでも 多分 きっと ある時、ああ そうかー なるほど と 納得できる時が来るのだろう。 

  それを 「告げてくれるもの」に「告げられるとき」を、おそらく 自分は ずっと前から、そして 今も、それから これからも 楽しみにまっていることが出来るんだ というのも、雨の降るのを見ながら たびたび 思うことではある。

 

 

3 夏のお手入れ 水分補給

 あつい・・ です。

 もう どうでもいいので やめてほしい あつさです。。

  ・・って なにを どうでもいいのか 自分でもよく分りませんが。

 今年の暑さは なんか いままでと 違う感じがしますが。。 そちらではいかがですか?

 都会の暑さは これまた こんなところの 暑さとは 違って、どうも 妙にねっとりとまとわりつくというか、気持ちの悪い、実際は そうではないけれど、その暑さそのものに、奇妙な粘り気があるような・・ そんな 嫌な感じの暑さに 思えます。

 自分は 毎夏、どこか 体調を崩すのですが、やはり 先日も 必要に迫られて にぎやかな街中を 日中出歩き、また 酷い目にあいました。

 葉山も 確かに暑いです。暑いのですが・・、きっぱりした暑さっていうのでしょうか、暑い だけですんでいるので、このあたりにいる分には、疲れることはあっても それで おかしくなるというようなことは、それほどなく、休めば 戻る程度のように思えます。

 先日 横浜の横断歩道で 信号待ちをしたとき、いっしょに居た人に 日傘を傾けたら、腕が 日にあたって・・、そしたら、もう ちくちく ハリで刺されるように 皮膚が痛いのです。

 ほんの数秒でのことでしたが、恐ろしいなー と 心底思いました。

 戻ってくれば 目は充血しているし、疲れで 数年前からの皮膚トラブルが 部分的に再発してしまっているし、なにより 体が あまりに重くて(いや、普段、なんでもなくても 十分重いんですけどね ^^;) 熱っぽさに 口を利くのも 嫌になるほどくたびれてしまいました。

 ただ 暑いというだけで こうなのですから、具合の悪い人やお年を召した方、小さい子供たちなどは、これは もう 大変 辛いだろうな・・と 思います。

 エアコンがあれば つけて、体調を維持するのも 方法ですが、皆がみんな それをやったら、屋外温度の上がり具合は、もう それこそ 大変なことになりましょう。

 当方も、必要がなければ エアコンは 入れないというのが、毎年だったのですが、ここ数日は もう どうしようもなくて、寝る前の1時間は エアコンのスイッチを入れてしまっています。

 ビオモルフォーズ+

 こういうときのお手入れ、どうしていらっしゃいますか?

 水分たっぷり、栄養十分のクリームや乳液・・ いいのは分ってるけど とても つかえない、使いたくない・・とおっしゃるかもしれません。

 でも、できるだけ そうしていただきたいと 言いたいですが、、しかしながら、その不快感を伴うわずらわしさは 良く分ります。

 そこで ちょっと お知らせなのですが、あとすこしで 水分たっぷり、さっぱりさわやかな使い心地で お肌の潤いと弾力を持続させるビオモルフォーズプラス というアルゴテルムからの持続型水分補給商品のページができますので、是非 ご覧戴きたいのです。

 この暑さの中でのお手入れとしては、すっきりさっぱり、でも 水分たっぷりを実感できる使用感は心地よく、皮膚の内側に水分をとどめて、潤いを長時間キープし続けることで、出来始めたしわの解消と 望ましいターンオーバーによる美しく滑らかな肌を目指します。

 殆どのお肌のトラブルは、肌の内部、上部の水分の不足により引き起こされることを思いますと、水分補充能力の長けたビオモルフォーズプラスシリーズは、汗をかいて 一見 お肌が潤っているように見えながら、実は 肌うちではすでに 乾燥が始まっていて裏乾燥、涼しくなったとたんに、しみ しわ 小じわ、乾燥や皮脂の過剰分泌などの肌トラブルが起こりやすくなる、夏にぴったりの新シリーズといえましょう。

 美白商品を使用されていて 安心しておられる方もいらっしゃいますが、そういうものも、お肌に水分が十分あればこその効果です。

 この夏、肌内外の水分補給と維持には、ぜひとも ビオモルフォーズプラスで お手入れされることを お勧めいたします。

 まだ ご紹介ページが出来ていないのですが、できるだけ 急いでつくりますので、どうぞ たのしみにしていらしてください。

 暑い夏、それも 今年は 例年よりもさらに暑く 具合の悪くなる方がとても多いです。
人間は 水が殆どの生き物です。

 皆様には、常に 体の内と外からの水分の補給をしていただいて、元気で この夏をお過ごしいただきたいと 願っております。

 

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