さく 道

2003年 4月某日

 桜が 咲き始めているのを知っていたので どのくらい咲いているものか と 仕事場の近くの法性寺(ほっしょうじ)から 墓地を抜けて いつもの山道を 歩いてみた 花曇りの日のこと・・

 

墓地を抜け、急な坂道をさらに登ると いかにも山道らしい小道に出る

まだ 膨らみつつある つぼみを抱えた 木の硬さが初々しい

 

 

 呼吸を整えようと 立ち止まった場所で ふと 目をやる・・・

 

 

 

 

花曇りの空には 花のかげりが さらに 色めかしい・・

 

 

左下は 急な崖。 その空間に 
長い腕を投げかけて さらに 咲く。

 

 

途中 うっそうとし茂った ただ中にたたずみ
まっすぐに上を見上げる

 

 

 

 さらに歩き、たちどまる。

 枝枝の交差したそれぞれには、日の光りの薄い中にありながらも 先初めの 色浅くも勢いのある 桜花たちが 自信ありげに ゆるい風に ゆったりと ゆられていた。

 

 

 

 

まだ 咲き初めの頃ではあるが ひょっとして 桜の花びらが
零れ落ちはしまいかと 期待しつつ じっと 桜の花の敷き詰められた空を見つめる

 

 

頂上の展望台から 見渡せる そこここに咲く 桜にかすむ山

春霞 とは このことか・・

 

  

    山の向こうは 鎌倉。

    山のいただきの桜は

    日に近い分    

    他の桜よりも 紅く

    見事に色づいていた

 

 

 

 

 下界の桜

この辺りでは ちょっと知られた桜並木の桜。

人家近く 車の通る中 アスファルトに仕切られ 限られた土の上で

けなげにも ここまでたくましくは 咲いていた。

 

 

 

  
この 可憐さが いじらしい

 

ここは 桜の花が散る頃は 地面がすっかり 桜色になってしまう公園。

写真では見えないが 左手の斜面には そこを訪れる人を 

招くが如く 低く桜の枝が垂れ・・・

敷き詰められた桜の花びらの上で 遊ぶ子供達の歓声を 抱きしめるようだ。

 

 

  買い物の 帰り道。

 「アンパン かじって!」 という 連れ合いの言葉に

 素直に反応してしまった 自分が なさけない・・

 

 「色気より 食い気。」 

 そういわれて むっとしたものの 反論できない

 事実があった・・

 

 花曇りの一日、楽しい 散策の時。

 

 

 

 山の桜は 色薄く 桜色といっても 日に透ける白のような色合いだった。

それは 一見 頼りなく はかなげに見えそうにも思うが 

山の桜は 自分で咲こうとして咲いているように見えた。

 

その咲くときを知っていて その時に向かって 生きるために咲いているように思えた。

なにか・・ 強さとかたくましさなどとか言う言葉ではなく

当たり前に 生きることを 謳歌し なにも 思い煩わない、

たとえ 明日 すべて風にさらわれ 散り散りになったとしても

きっと なにも 悔やまない

そんなふうな 任せきったような勁さ が そこにはあった。

 

下界の桜は 綺麗に咲いていた。

そこに と 据え置かれた場所、囲われた中で 根を張り

 アスファルトを下から突き上げ 根回りを 他の植物に貸し与えながらも、

人の何気ない行いによる 幹の傷を抱えながら

枝が電線にかかる、家の窓に近すぎる、あまりに下側にありすぎる と

たびたび その形を 変えられながらも・・、そして

美しい花の盛りを一目見ようと 楽しみにやってくる

たくさんの人々を乗せた車の排気ガスに くるまれながらも・・

 

下界の桜は けなげに じっと そのときを 耐えて生きているように見えた。

 

桜    さくら・・ 花咲くや姫の面影は

それでも さまざまに その息吹をかけあたえ

春よ 春よ・・ と 再びの時を 度毎に新たにしつつ

わたしたちに 語りかける

 

命は そのように 生ききるものぞ と・・・

  

 



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