『幸せになる義務』 のページ

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 日々の出来事

 

「ごくまれに起こることであれば、かなり大きな問題でも、
乗り越えることはそれほど難しくはない。

しかし、日々ぶつかる小さな犠牲や困難を忍ぶことは難しい。

ときとしてそれは、その状況からのばれることが出来ないということから、
毎日同じ形でしつこくやってくる。

しかし、生きるということは、そうしたことの繰り返しの中で、
努力していくことなのではないのだろうか。

そしてその努力するということは、わたしたちが救われるための道であり、
保障なのではないだろうか。」


この文は、伊藤師が 主任司祭として働いていた教会での刊行物に、かつてかかれたもの ということです。

 これを読んだとき、本当に まったく そのとおりだなぁ・・と 思いました。

 まるで テレビドラマか映画や小説などのようなことは、勿論 私たちの人生にもありますが、でも そういうことって、結局 一段落したり、あるいは フェイドアウトしたみたいに、ある時間がたつと 過ぎてしまうもののように思います。

 だけど・・ 例えば 今の自分であれば、娘たちのそれぞれが抱えている 家庭の問題や息子たちの仕事の状況、老親の毎日のあれこれやそれにまつわる くたびれるばかりの まるで徒労のような 解決のしようもないことなど ・・それに、自分の仕事や連れ合いについてのこととか、

 また、例えば慣れない子育てや介護などの様々な苦労は、突然やってきて 嵐のように日常を引っ掻き回した挙句、過ぎ去ってしまえば やれやれ というようなものとは ちがって、本当に 一体いつまで続くのかわからないという労働であり、積み重なるばかりの疲労であり、心理的な孤立感や誰にも分かってもらえないという苛立ちや不安・・ そんなものが あけてもくれても押し寄せ 綿々と続いている・・ そんな果てしない落ち込みに向かうばかりの日常のように 思ったりもします。

 そして、それが 永遠に続いていくように思え、そう思ってしまうことで どんどん 自分の毎日が つまらなく、情けなく嫌なものになってきてしまう・・

 そういう現実は 突然の大問題などよりも ずっと苦しく辛いものであることは 自分も良く承知しています。

  本当に 時々 おもいます、
これは きっと 自分が死ぬまで このままなんだろうな・・ なんて。

 実際、一週間が短すぎ、毎日が追われるよう・・ なんだか いつでも たえず なにかし続けているような・・、実際は そんなこと 全くないのに、つまり どこかでいつも そうしたことが気になって ちっとも 気が休まらないという、それが もう 何年 続いていたことでしょう・・

 『しかし、生きるということは、そうしたことの繰り返しの中で、努力していくことなのではないのだろうか。』

 確かに・・!

 『そしてその努力するということは、わたしたちが救われるための道であり、保障なのではないだろうか。』

 そう、だから、毎日を また 同じように すごすわけです。

 ただ、この文を読んでからは、この徒労のようなあれこれを 行うことは、私の救いの道を歩んでいる実証であり、この道を歩いていけば 必ず 喜びに満ちた時を迎えることが出来るという保障があるのだ・・と 伊藤師の諭しに 至極納得している自分ではあります。

 

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