11月のお話  青いボタン

 
  私が 子供のころ、小学生の時のことでした。

 ある日、私たちのクラスに 一人の女の子が入ってきました。
先生は、「今日から みんなの仲間入りをする 水野さんです。仲良くしてあげてくださいね。」と 朝の時間に その子を紹介しました。

 私たちは まだ幼くて、知らない処から来た 今まで知らなかった人が、突然、自分たちと一緒にいることになったことに、珍しがったり、恥ずかしがったりしながら、様子を見るように しばらく その子を遠巻きにしていました。

 一方 転入生にしても、知らない土地の コレまでと違う子供たちに囲まれて、なかなか 自分から話しかけることもできず、また 打ち解けられなかったこともあって、休み時間でも 一人のほうが 多かったのですが、そのうち、だれともなく、なんだか 水野さんは狐に似ている、という 誰かの言葉に乗せられて、先生がいなくなると、水野さんに向かって きつね きつね、と はやし立てるようになりました。

 水野さんは、もとは しっかりした人だったのでしょう、そんな風に 周りを囲まれて 嫌なあだ名を呼ばれ続けても、手をぎゅっとひざの上で握って、だまって 下を向いたままこらえていたのですが、なんども そんなことがあったあとには、とうとう 泣き出してしまいました。

 でも、先生が教室に入るころには 泣きやんでいるので、先生も そんなことがあったなどということには 気づかずにいました。

 そんなある日、私の家に 知らない女の人が 母を訪ねてきて いいました。
「お宅の坊ちゃんと うちの娘は、学校で 同じクラスなのだそうで、それで お願いがあってまいりました。じつは 私の娘が このごろ、学校に行くのが嫌だと もうしまして、わけを聞きますと、学校で、きつね、きつねといわれるからだとか・・。
 それで 困ってしまって、ぼっちゃんにお願いして、みんなが そんなことを言わなくなるようにしていただけないかと思いまして、あがりましたしだいです。」

 水野さんの家のあたりでは、私の家が一番近かったので、それで 水野さんのお母さんが相談に来たのだと思います。

 母は、水野さんのお母さんに「それは、お気の毒なことです。うちの息子にも、あとでよく言い聞かせておきます。」と頭を下げました。

 水野さんのお母さんが帰ったあと、私は 母に呼ばれ、いろいろ 訪ねられ、
「弱いものを、皆して いじめるなんて、なんとも 卑怯なことだ。」といわれて、 じつは 私も 学校では、水野さんを きつね、と呼んでいたり、ほかの生徒が そう言うのを 黙って見ているだけでもありましたので、母にそういわれて、なんとも気恥ずかしく、だんだんにうなだれしまったのでした。

 次の日から、学校で また 皆が水野さんのことを きつね、きつねという時に、私は、母にいわれた通り、弱い女の子を 皆でいじめるのは 卑怯だから、やめようよ、と いいました。

 悪口を言いながらも、できれば 水野さんと仲良くしたいと 思っていた子達などは、そうだね、と すぐに その呼び方をやめて、水野さんにあやまり、水野さんも にっこりしたのですが、中には そういう私に向かって、おまえは いつ きつねのみかたになったのか?と 笑って 馬鹿にするものも いました。

 それでも、すこしずつ そんな呼び名が使われるのもへってはきましたが、いつまでも きつね呼ばわりする悪小僧もいて、でも、大分学校に慣れてきた水野さんは、そんなときは、すっくと立ち上がって、悪口を言った相手に立ち向かえるようになりました。 

 そんなことがきっかけになって、私と水野さんは 少しずつ 仲良くなっていきました。
そして、ある日、彼女に誘われて、私は 彼女の家に 遊びに行ったのですが、そのときは、水野さんのお母さんから、困ってしまうほどのお礼を言われ、お菓子なども たくさんくださったのでした。

 水野さんの家は、お父さんは亡くなられておらず、おかあさんと二人きりで 静かに暮らしていました。
 女の子とあそぶとなると、やはり 絵本をみたり、人形を出してきて見せてくれたり という、そんなことですから、そのうちそれにもあきてきたのですが、すると 水野さんは、そうだ、といって、立ち上がり、きれいな絵のついている小箱をもってきていいました。

 「この箱の中には、大事にしているものがあるのよ。亡くなったお父さんが私にくださった・・、ほら、きれいでしょ、青い石のボタンなのよ。これ、あなたにあげます。」

 そういって、水野さんは、青いボタンを三つ出して、私の手のひらに乗せました。
私は、それを眺めながら、なんてきれいな青なんだろう!と 思いました。
 「お母さんに、聞いてみないで いいの?」 と 私が恐る恐る訪ねると、彼女は 笑いながら、「私のだもの、聞かなくたって だいじょうぶだわよ。」と答えました。

 その 美しい青色のボタンは、水野さんの大事なものから 私の大事なものになりました。

 私たちは、学校が引けて 家に戻れば 仲良くしていましたが、学校にいるあいだは、そのようには仲良く口をきくこともありませんでした。

 

 そして、冬休みも終わって、新学期が始まり、また 私たちは 学校に通い始めて 10日ばかり過ぎたころのことでした。

 朝、学校にいっても、水野さんがいないのです。風邪でも引いたのかなと おもっていたのですが、数日後、先生が 水野さんが 遠いところの学校に転校したと 言いました。 私は びっくりしてしまいました。

 私は、家に戻って 青いボタンを手のひらに乗せて よく、それを 眺めるようになりました。
 そうやって ボタンを眺めていると、よく 通りかかった人が、なんてきれいなボタンでしょう、ちょっと みせてくださいな、などというので、やはり それは かなり珍しく 美しいものだったのですね。

 春になり、あたりがほの淡くなってくると、私は 水野さんの柔らかな微笑を思い出すようになりました。
 はじめてみたときには、この辺の子供がするような髪の毛の結い方ではなく、なんだか 狐を思い出させるような形だったのも思い出しましたが、あとからおもえば、そんなこともなかったなぁ・・ と おもうようにもなっていました。
 そして、彼女の目の色ややさしげな感じが、春の空を見たときのようだな・・などとも 思えました。

 元気でいるのだろうか、どうして なにもいわずに 遠くにいったのか、そのうち 手紙でもくれるだろうか・・  
 手のひらの上の 青いボタンを眺めながら、そんなことをおもっていました。
 三個のボタンを糸でつなぎ、私は それを いつも持ち歩くようになりました。

 何人もの人が、そのボタンをほしがりましたが、そのたびに、私は、
「このボタンをくれた女の子の居所がわかって、あげてもいいかどうか 聞いてみないことには、あげられません。だって、これは その子のお父さんがその子にくれた 大事なものなのですから。」 と いって 断りました。

 誰ともわからない人に、うっかり 大事なものをやってしまったら、水野さんとのことが、失われてしまうと、思っていたのだと思います。  

 そんなあるとき、時計売りの若い行商人がやってきて、私の青いボタンを見、そのいわれを聞いた後、こんなことを言うのでした。

 「坊ちゃん、それなら その青いボタンをひとつ、私にくれませんか。私は これを、時計の鎖にぶら下げておきますよ。私は、汽車に乗って、方々に時計を売って、いくつもの遠くの停車場や町にまでも出かけていきますから、どこかで ひょっこり それを見つけたお嬢さんが 私に その青いボタンはどうしたのか、と たずねてくるかもしれません。」

 私は、それもそうかもしれない、と 思い、それなら、彼女の居所がわかったら 必ず、かならず連絡してくれるように、と 何度も頼んで、ひとつ、青いボタンをやりました。

 そしてまた 別のある日、私が 家の前で遊んでいると、金魚売りがやってきて、青いボタンをひとつくれるように、と いったのです。

 「私は、こうして 毎日 いろいろなところを、春から夏に掛けて 金魚を売りながら歩いているので、もし その青いボタンを下さったら、ほら、この私の傘にぶら下げておけば、いつか そのお嬢さんが私の傘をみて、それは どうしたのか、と お尋ねになるやも知れませんよ。」

 私は、そういうこともあるかもしれない、と思い・・、のこっていた 二つのボタンのうちのひとつを金魚売りに渡しながら、その子の居所が知れたら、必ず 知らせてくれるように しつこく頼んだのでした。

 金魚売りは、私が いくら要らないといっても聞かずに、きれいな金魚を三匹、わたしにくれて、行ってしまいました。

 

 いつ、汽車の中で、停車場で、あの時計売りの行商人は、彼女に出会うのだろう。
いつ、あの金魚売りは、彼女の住む町に たどり着くのだろうか・・。
 私は、手のひらの上の 一個になってしまった 青いボタンを見つめながら、そんなことを思っていました。

 青いボタンを 枕元において寝たある晩、私は、赤い屋根の家がたくさん並んで建っている 穏やかな港の景色を夢に見たのでした。

 

 このお話は ご存知でしょうか? 小川未明氏の作品です。

 このお話を読んだとき、それこそ 小学校のころ、仲良くしていた近所の子の一家が、どこともいわずに 引っ越していったときの情景が 思い出されてしまいました。

 学校から戻ってきたら、小さなトラックに荷物が一杯載せられて、友達だった子が、何もいわずに こっちを見つめたまま、いってしまうのを、私は じっと見ていたのでした。

 どうしたのか、どこへ行くのか、たぶん 聞いたのでしょうけれど、記憶していません。

 このお話の「私」は、原作では 正雄という名前がつけられています。ただ、書き出してすぐ、名前よりは 一人称にしたほうがいいかも、と思ったものですから、上記のようになりました。 実際は 違いますのでね、どうか 原作をお読みください。

 青い石のボタン、と 水野さんは 言ったのですよね。でも それが 石なのか貝なのか、素材はわからなくて・・というくだりもあったのですが、それは省いてしまいました。

 石、というのが、岩石なのか、それとも 色石といわれるものなのか、その青さにもよりましょうが、とにかく、美しい、ものだったわけですね。

 その美しさは、正雄さんの 水野さんへの思い出に通ずるものがあったのかもしれません。

 大事なもの、大切なもの、といいつつ、思いつつ、三つあるうちの 二つまでも 人に託してしまうほど、人の探し方や 居所の求め方などをしらない彼はまだ幼くて、そして だからこそ どこか必死でもあったのかもしれません。

 ひょっとしたら、相手は ただそういっているだけで、石を得ても、正雄さんの願いなど あっさり忘れてしまうかもしれないことも、ひょっとしたら 彼は どこかで 承知していたのではないだろうか・・ などとも。

 枕元に それをおいて見た夢は、きっと 水野さんが引っ越していった 彼女の住む町なのではないでしょうか・・

 あなたは どうおもいますか?

 

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