21世紀最初の1月は、大変な大雪の多い月でしたね。
各交通機関は いろいろ支障をきたしましたが、バスと歩きの私にとっては 普段と違う景色の「お得感」があって、それなりに楽しみました。筋肉通は予定外でしたが・・。
その雪のさなかにも、梅は花をつけ、ネコヤナギは小さくふくらみ、水仙は 雪の重みに絶えて 香っていました。 “美しいものだ...”と思いました。
さて、仕事場にしているこの小屋には、ふたりのロシアの画家の手による 2枚の油絵があり、一枚は かなり大きな花の絵で、これは、マリアンナ・タチアニナ という 私と同年の女性の描いたものです。
彼女は ロシアでの花の季節である4月〜9月までしか 花は描かないという、正直で、誠実味のある生きた絵を描く人で、その絵からは たくさんの花の香りや、窓から降り注ぐ 明るい光、柔らかな微風までもふと、感じてしまいます。
もう一枚は ドミトリー・レービンという 男性のもので、野原に小川とそこにかかる小さな木の橋があり、その橋にも小川にも向こうへ続く小道にも、激しい雨がハネをあげて降っています。
でも、はるか彼方の山の上には光を含んだ明るい雲が見えていて、私は、これを見るたびに 初めに思い描いていた夢を思い出し、落ち込みそうな心が 奮い立つのを 感じます。
この絵を描いた人達と私は、お互い 何も知りません。それなのに、遠い外国の これほどの技量のある人達の手によるものが、このような むさ苦しい私の仕事場を飾ろうとは・・!
いったいどういう巡り合わせなのでしょう。
しかし、よくよく考えれば、これこそ人の望ましい在り方のように思います。
何も目論まず、ただ、よい思いのみを表して、それが手元を離れた後、人の慰めや喜びになる、人の気力を奮い立たせ、思いを新たに 再び前に進む力を与える・・、それを作り出した本人さえ気づかぬ程の よい働きをしてしまう。
形あるもの、あるいは形のない 言葉や声などであってさえも・・。
私は、ここまで 多くの目に見え、手に受け取れる善意、あるいは 気づくことさえ 悟られないように 気の使われた あたたかな善意によって 生きてきました。
これから先は、「お返しの人生」と思っています。
私を思いやってくださった方達は、決して 私からの返礼など期待せず、それよりは、「自立して、機会があれば 今度はあなたが人に必要なことを 行いなさい。」と 言ってくださっています。
でも、いざそうしようとすると それはとても難しいことで、人の役に立つというのは 大変なことなのだなあ・・と つくづく思ってしまいます。
できることなら ここにある絵のように、よい思いをもってこしらえたもの、行ったことが、自分にかかわりなく 人に幸せな働きをしてくれれば、それが一番よいのではないか と 思います。
本当に いくつになっても学ぶことはあるものです。 少々 勝手な言い分ですが、私のこれまで培ってきたものを、皆様が うまく使ってくださればいい・・と 思うのです。
できることは そう多くはありませんが、どうぞ、そんなふうにお考えになってください。 そうやって お役にたてれば、本当に幸いです。
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