桜 さく 道 2003年 4月某日 |
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桜が 咲き始めているのを知っていたので どのくらい咲いているものか と 仕事場の近くの法性寺(ほっしょうじ)から 墓地を抜けて いつもの山道を 歩いてみた 花曇りの日のこと・・
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山の桜は 色薄く 桜色といっても 日に透ける白のような色合いだった。 それは 一見 頼りなく はかなげに見えそうにも思うが 山の桜は 自分で咲こうとして咲いているように見えた。
その咲くときを知っていて その時に向かって 生きるために咲いているように思えた。 なにか・・ 強さとかたくましさなどとか言う言葉ではなく 当たり前に 生きることを 謳歌し なにも 思い煩わない、 たとえ 明日 すべて風にさらわれ 散り散りになったとしても きっと なにも 悔やまない そんなふうな 任せきったような勁さ が そこにはあった。
下界の桜は 綺麗に咲いていた。 そこに と 据え置かれた場所、囲われた中で 根を張り アスファルトを下から突き上げ 根回りを 他の植物に貸し与えながらも、 人の何気ない行いによる 幹の傷を抱えながら 枝が電線にかかる、家の窓に近すぎる、あまりに下側にありすぎる と たびたび その形を 変えられながらも・・、そして 美しい花の盛りを一目見ようと 楽しみにやってくる たくさんの人々を乗せた車の排気ガスに くるまれながらも・・
下界の桜は けなげに じっと そのときを 耐えて生きているように見えた。
桜 さくら・・ 花咲くや姫の面影は それでも さまざまに その息吹をかけあたえ 春よ 春よ・・ と 再びの時を 度毎に新たにしつつ わたしたちに 語りかける
命は そのように 生ききるものぞ と・・・
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