1月のお話  灰まき童子

  昔 ある村の東に 貧しい母と子がすんでいました。ふたりは 以前は豊かに暮らしていたのですが、父親がなくなり それからは ずっと貧しく暮らしてきたのです。
 そして ある年の暮れには もう正月の仕度をすることもできなくなったので、お母さんは息子を呼んでいいました。
  「お前、ちょっと 西の長者さんのところへ言って、お米とミソを少々分けていただけるよう お願いしてきておくれでないか。」

 息子は言われたとおりに 西の長者のところへ行って 正月のために お米とミソを貸してください と 言いましたが、西の長者は「お前のところになど 何にも貸すものはないわ!貸したところで 返してもらったことなど一度もないんだからな。」といって 何一つ貸してくれません。息子は 何も持たずにおかあさんのところに戻ってきました。

 「もう こうなったら仕方がありません。私が死ぬときに残していこうと思った絹の着物があるので、それを売って お正月の用意をすることにしましょう。おまえ これを持っていって町で売り、そのお金でお餅や米やミソ、魚などを買ってきなさい。」 
 そこで 息子は お母さんに言われたとおりに 手渡されたものをもって 町に出かけました。

 町に入るころ 息子は道端で 子供達が数人 なにやらわめきたてているのを見かけ、なにかな と おもい のぞいてみました。
 すると 子供達は 縄の先に 小さなねずみをくくりつけ、どぶの中に入れたり出したりして 面白がっています。ねずみは 苦しがって 散々にもがいていました。
 息子は 哀れに思い、「これ、お前達、そんなことをしては ねずみがかわいそうだ。離してやってはどうだ?」とこえをかけましたが、子供達は「いやだよ、こんな面白いものはないぜ。」といって 言うことを聞きません。

 そこで息子は それなら と 子供達に話し掛けました。
「ここに 絹の着物がある。コレをもっていって 町で売れば、いい正月の仕度ができるぞ。」 子供達は お金にならないねずみより お金になる着物のほうがいい ということで、ねずみを息子にわたし、着物を持って 走っていってしまいました。

 息子は ずぶぬれになっているねずみの縄を解いてやり、体を拭いてやると「さ、はやくお行き。こんどは つかまるんじゃないぞ。」と いって ねずみを放してやりましたが、ねずみは がたがたぶるぶる震えて 動けそうにありません。
 息子は 放って置けず、それでは と ねずみを懐に入れて 家に帰りました。

 家に戻って 息子はおかあさんに 事の次第を話して ねずみを見せました。
すると おかあさんは ため息をつき、「まぁ、お前がしたことなんだから しょうがないねぇ。」といって 年が明けてから 撒こうとしていたひえをたいて 正月のしたくを始めましたが、ねずみは ちょろっと見えなくなってしまいました。しかし ふと 気が付くと あのねずみが なにやらくわえて 戻ってきています。 
 手にとってみてみると それは財布で、なかには お金が入っていました。
「きっと ねずみが恩返しにもってきてくれたんですよ。ありがたく いただいておきましょう。」 お母さんはそういって 大事に 神棚に納めました。

 その晩、お母さんは不思議な夢を見ました。ねずみが枕もとに現れ こういったのです。「私は あやういところを にいさんに助けれて命拾いをしました。私は こんなに小さいので 御礼ができませんが、きょう もってきたお金で みつぶちの犬を買ってください。その犬が 私の代わりに御礼をするでしょう。」
  お母さんは その夢のことを息子に話し、お金を持って 町中を探し回って 白い体に 三つのぶちのある犬を見つけて買ってつれてきました。

 犬はりこうで とても 狩りが上手でしたので、毎日 山へ入っていのししを一頭ずつ取ってきました。息子は それをもって 毎日町に売りに行ったので、少しずつお金がたまり、次の年の暮れには 沢山のご馳走を用意して お正月を迎えることができるようになりました。

 それを聞いた西の長者は 急いで飛んできて、二人の様子を見て 大変驚き、なぜ こういうことになったのか 聞きました。そこで息子が 今までのいきさつを話して聞かせたので、西の長者は 自分にも その犬を貸して欲しいと いいだしました。
 息子達は 困ったのですが、あまりにしつこく何度も言うので、その翌日 西の長者のところに犬を貸してしまいました。

 西の長者は 犬に向かって「さぁ 山へ行って いのししをたんと取って来い。」といい 犬を放しました。しかし 犬は なんどやっても 死んだネコや鳥、ねずみなどを取ってきては 庭先や台所に並べるので、西の長者の家では その始末に追われて おおわらわになってしまいました。
 とうとう 西の長者は大変怒り この役立たず!といって 犬を殺してしまいました。

 さて 三日経っても 犬を返してもらえないので、東の息子は 西の長者のところに行って 犬を返してください といいました。すると 西の長者は ことのいきさつを話して犬を殺したことをいいました。息子は 泣きながら かわいそうなことをした、せめて その遺骸を返してもらえないか と いいましたら、西の長者は 好きにしろといいましたので、息子は 死んだ犬を掘り出して、家に持ち帰り、お母さんと一緒に 庭に生めて供養してやりました。

 次の日、息子が犬を埋めたところへ行ってみますと、なんと そこからは 天に届くほどの立派な竹がずーんと生えていて、天の米倉を突き破り、竹を伝って 米がざぁざぁと音を立てて 家のほうへ流れてきます。息子もお母さんも 大急ぎで 米倉を空け、入るだけの米をいっぱいに入れました。

 その話を聞いた西の長者は また 飛んできて、それも見ると 自分も米が欲しくなり、息子に犬の骨を貸してくれといい、息子から 犬の骨を受け取ると 家に持って帰って 米倉に近い庭に 埋めました。

 翌日 やはりそこからは長い竹が生えて 天に届いていました。
長者は 家のものみんなに いそいで 米倉を空っぽにさせて言いました。「さあ これから こめがざぁざぁふってくるぞ。そしたら 米倉にいっぱいにするんだ。いいな。」

 しかし 天へ伸びた竹は あろうことか 天の下水を突き破り、くさくて汚れた水が 竹を伝って ざんざんと滝のように流れ落ちてきてしまったので、西の長者の家は めちゃくちゃに汚れ、くさくてたまらなくなりました。
  西の長者は かんかんになって怒り、犬の骨を掃き溜めの中に埋めてしまいました。

 東の息子は また なかなか犬の骨が帰ってこないので、西の長者のところに行きましたが、大声で怒鳴られ 事の次第を話されましたので、では骨を持って帰ります といいますと 西の長者は 勝手にしろ といい、息子は 掃き溜めから骨を掘り出すと 大事に家に持って帰りました。
  お母さんと息子は あまりに気の毒な犬の骨を きちんと焼いて すっかり灰にし、この犬は山が好きだったので、灰を山へ撒いてやろう ということにしました。

 息子が山へ行って さて 灰を撒こうと 谷下を見ると、谷の底には 5頭のいのししがいました。そこで 息子が いのししに向かって 灰を撒きますと、風に乗って 灰はいのししの目に入り、お互いにつつきあいをはじめ、とうとう 一頭のいのししが 突き殺されてしまいました。息子は そのいのししを持って 家に戻ってきました。

 またまた その話を聞いた 西の長者は また欲を出して、息子から灰を奪い取ると 自分も山へ行き、同じところから下を見ますと いのししが4頭いましたので、しめしめと思い、思い切り灰をばら撒きました。

 すると 風が逆に吹いて 灰は西の長者の目に入り、西の長者は 足を滑らせていのししのいる谷へ落っこちてしまい、そのまま いのししに突き殺されてしまった ということです。 


 あけまして おめでとうございます。今年も いろんなお話ができるといいな と 思っています。種が尽きないよう お願いしてくさいね。

 さて 今月のお話は ご存知でしたか?

 それにしても 毎度おもうのですが、なぜ こうもお話の中の人というのは、むやみやたらに 事の次第を自分に不利になるだろうと思われる人にも話してしまったり、自分にとって 大事なものを貸してしまったりするんだろう と 不思議でなりません。
  それを善良というのか・・?そうなら 善良とは ちょいと おばかか 不用意なやつなのかな?なんて思ったりして・・。
 あるいは  ちょっと言ってみたいって気持ちもあるのかもしれないですね。それなら やけに人間くさいですけど、ひょっとしたら そのほうが面白いかもしれないです。

  それはともかく、父親がいなくなって 生活が苦しくなるというのは、全国民に中流意識があるというこの現代日本でも 同じこと。
 しかし 欧米では 一家の主がなくなったところで 通常のままで 半年から一年は 生活に一切支障がない というのを中流階級というらしいですから、それを思うと いきなり途方にくれる日本は 殆どの家が「貧しい」という部類に入るんだと思います。

 われわれなどは まさに その良い例で、死にはしませんでしたが、生活を支えていた人間がいなくなったとたん、生活は窮々とし、一家離散に追い込まれてもしかるほどの憂き目に会いました。これを貧乏といわずしてなんというか・・です。

 それまでの生活は 年令と家族構成からすると 思いもよらぬほどの楽さがあったのですが、私が大黒柱になったとたん、生活は 目に見えて落ちていったものです。

 ま 日本なんて こんなもんでしょう。でも そこは日本、それでも なんとか あれこれの助けを借りて やってこれてしまうんですよね。ここが 日本のいいところなんでしょうね・・。いいんですって、中流なんかでなくなって。まとまって 生きてこられりゃ御の字ですってば。これは ほんとです。

 それにしても ねずみから犬、そして 犬は死んで骨や灰になってもまでも、礼や忠孝を尽くすなど、われわれ人間様も 恩義には くれぐれも礼をつくさなくてはならないと 深く思ったものです。のどもと過ぎれば にならないよう 自戒するところであります。

 いやいや 年の初めというのに 重い話になってしまいました。
しかし 昔話というのも 実際の出来事がモデルになることもいくらもあったでしょうし 多分 そのほうが 話にしやすかったでしょうから、そう思うと 身につまされたりして、私としては なんとも いえない気分になってしまいます。

 まだまだ 景気は回復しなさそうですし、これからの時代の変化に 即対応できる人たちが 殆どだとは思えない現実を思うと、まんざら この話のようなことが すっかり作り話の域で収まるようには 思えず・・。

 でも やっぱり 心を尽くして 生きていきましょうよ、と 小さなものや弱いものへ思いをかける余裕を持ちつつ、なんとか その日をしのぐようにでも 生きて欲しいものだと 自他ともに思ってしまった今回でした。

 あなたは どうおもいますか? 

 

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