9月のお話 鬼仮面
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昔 それはそれは まずしい 一家がありました。
そのあたり一帯は ほかの土地よりも ずっとずっと 貧しかったのですが、その中にあって、なおいっそう貧しい一家でありました。 それで そこの一番上の娘は、まだ それほど大きくもならないうちから、遠い町のある家に 奉公に出されました。 家が貧しいことも 家が困っていることも 充分 承知していた娘ではありますが、奉公先のお上さんという人は、どうにも へそ曲がりの意地悪で、何かというと この娘にあたったり、冷たくするような人でしたので、娘は 何かあるごとに 随分と泣いて暮らしておりました。 そんなある日、娘は 町に使いに出された折に、沢山の面を並べて売っている面売りのそばを通りかかりました。 娘は かわいいのやら おかしいのやら 強そうなのやらの色々な面を見て、つかの間 楽しんでいましたが、ふと とても懐かしい 見覚えのある面のあることに気がついて、思わず持っていたお金で、その面を買い求めたのです。 それからは 娘は 寝場所になっているところの押入れの奥に、その面を風呂敷に包んで、大事にかくしてもっておき、お上さんにしかられたり、訳もわからず怒鳴られたり、自分の失敗でひどいことになったりした時、また ちょっとでもうれしいことや面白いことを見たり聞いたりした時には、必ず 寝場所の押入れをあけて面を出し、おっかさんに向かって話をするように、面に向かって 話をするようになりました。 しばらくして、お上さんは娘が、何かあるごとに 自分の寝場所に駆け込んでは、やがて元気を取り戻してくるのに気がつき、娘の押入れをあけてアレコレもの探しをしてみました。 案の定 娘は 散々に怒られた後、いつものように押入れを開け、面を取り出し、おっかさんに慰めてもらおうとしたのに、風呂敷を開いたら 恐ろしい顔でこちらをにらんでいる 鬼の面が出てきたので、腰をぬかさんばかりにびっくりしました。 お上さんは 最初は この忙しいのに何をバカなことをいっている、と取り合わなかったのですが、あまりに 自分のしたことで 娘が真剣に 思いつめているのを見て、いまさら 自分が面をすり替えたとはいいづらくなって、それでは できる限り早く戻ってくることを約束させて、一旦 家に戻すことに 承知いたしました。 それでも 乗り物もないような山道を、懸命に走っていって、行くに三日、戻るに三日かかるところです。娘の足では もっとかかってしまいます。 娘は どうしたものかと思いながらも 手探りで先を進みましたが、ふと ずっと向こうのほうに、明かりのあるのを見つけ、そうだ 今夜は あそこで夜明かしをさせてもらおうと、急いで明かりのほうへ走っていきました。 灯のあるところは、沢山の大人の男達がいて、みんなで博打をうっていました。 娘は 喜んで せっせと火をおこし、周りを赤々と照らすことに一生懸命になりました。もともと 生真面目な娘でしたので、灯は 今までよりも もっと明るく ひるまのようになり、男達は 喜んで ますます博打に熱中しはじめました。 ところが、火のそばにいた娘は、火が強くなればなるほど、顔はひりひり、髪もちりちりして、たまったものではなかったので、ふと 思いついて、鬼の面をかぶり、熱さを避けて火おこしを続けていました。 ふと 男の一人が 娘のほうを向いて、あっと大声をあげ、何も持たずに 真っ暗な山道に 飛び出していきました。それを見て、ほかの男達も 娘のほうを見ますと、火の向こうに、恐ろしい形相の鬼が、まるで 自分達を焼き殺そうとするかのように せっせと火をくべ続けているではありませんか。 やがて 夜が明け始める頃、娘は そろそろ 出かけたいと言いに行こうとして、皆のところへ行ってみたのですが、博打場には 誰一人おらず、そればかりか なにもかもが おきっぱなしになっていて、その中には かけていた沢山のお金も置いたままになっていました。 「あれっ?まぁ!これは どうしたことだろう。だ〜れもいないうえに・・この沢山のお金は・・!?」 そして 一生懸命 家路を急ぎ、やっと 家にたどり着きました。 親孝行の娘には ちゃんと 神さんが むくいてくださるというお話でした。 このお話はご存知でしょうか? 私も つい最近知りましたが、なんとなく こういう話って 一方的というか どこかに釈然としない感じがあるのですが、私は また そういうところが 勝手で面白い と 思ってしまいます。 例えば、奉公といえば おそらく 少なくとも半分は先払い。娘は それなりの金額を支払われて 期間限定で買われたわけですから、相応の働きを行った先でしなくてはならないはずなのに、まぁ お上さんという人もよくないですけど、来てそれほどたってもいないというのに、おもいこみから家に戻ることになったり、途中の博打場で、たまさかそういう成り行きになったからといって、それは あなた、人のもの、それも あんまりよくないお金でしょ というものを、誰もいないからといって、もってかえっちゃう!なんて・・・。それを 孝行娘には 神さんがむくいてくれるとかなんとか・・??? "月に三十円もあれば、田舎にては
楽に暮らせると−−−ひよつと思へる。" と啄木さんが『悲しき玩具』に書いていたのは 明治の頃。 なんか 書いていて悲しくなりますね―・・・。 そっか〜・・ 金は天下の回りものだもんね〜、あったら どんな意味合いのものでも、うまく使えばいいんであって、それを なんだかだと言うのは、対して 日々こまってないからなんだなー・・・、そういう自分にも 人事でもなかったような話なんですがね。 さてさて あなたは どう思われますか?
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