1月のお話  笠地蔵
  むかし あるところに お爺さんとおばあさんが住んでいました。
ふたりは 大変正直のうえ働き者でしたが、年をとってしまった上に その年の米や畑の作物の出来が良くなくて、そろそろ年の瀬を迎えるという頃になった時には 二人の家には 殆ど食べ物がなくなってしまっていました。
  これでは お正月を迎えることもままならないと お爺さんは 残り少なくなったわらで笠を編み、それを町に売りに行くことにしました。

 外に 冷たい雪の降る大晦日の朝、お爺さんは おばあさんに見送られて やっと編み上げた五枚の笠を持って、町にでかけました。
 途中、山をくだったところに 六つのお地蔵様が並んでいるところがあり、お爺さんもおばあさんも 前を通る時は、いつもそれぞれのお地蔵様に向かって 手を合わせて 日ごろの感謝とその日の無事を祈るようにしていましたが、この日も お爺さんは 冷たい雪の中を立ち止まって、どうぞ 笠が売れて 正月の仕度が出来ますように と 一つ一つのお地蔵様の前で祈ってから、町に向かいました。 

 一日中 お爺さんは笠を売るために 町のあちこちで声を張り上げていましたが、たくさんの人でごった返す年末の町では、いまさら年取ったおじいさんから わざわざ笠を買おうなどという人はなく、日が落ちて 薄暗くなる頃になっても 笠は一枚も売れずに残ってしまいました。
 おばあさんががっかりするだろうなぁ と思いながらも、どうにも仕方なく お爺さんは 持ってきた笠をそのまま背中にしょって、とぼとぼと 家に帰っていきました。
 

 山へ上がる前に やはりお地蔵様のところへやってきましたが、朝からの雪で お地蔵様たちは それぞれのおつむに真っ白な雪をかむっておられました。
  お爺さんは其れを見て、やれ これでは冷たくておいででしょう、といいながら、手で雪を払いのけ、そうそう、ちょうどいいものがあります。こんなものでも ちょいのしのぎにはなりましょう といって、持っていた笠を それぞれのお地蔵様の頭に かぶせてあげました。 ところが、最後のお地蔵様の前にきたとき、お爺さんは もう持っている笠がないことに気がつきました。笠は 五枚編んだのですが、お地蔵様は六体おられたからです。

 はて。。こまった このままでは こちらのお地蔵様がお寒かろう・・。 そして ふと思いついて、自分の頭にかぶっていた手ぬぐいを 最後のお地蔵様の頭にかぶせ
 お地蔵様、じいの汚い手ぬぐいで申し訳ござんせんが、どうか これで勘弁してくださいまし。笠ほど役には立ちませんが、いくらかは しのげることと存じます。ごめんくださいまし。 といって 手ぬぐいの端を顎の下できちんと結んでから手を合わせました。
 そして  いそいで 頭を手でおおいながら、山道を登っていきました。

 入り口の戸をあけたおばあさんは お爺さんが ぬれて帰ってきたのを見て、まぁ どうしましたね?まさか 手ぬぐいまでうらっしゃったんじゃ・・? といいましたが、あたたかい白湯を飲んで ほっとしているお爺さんの話を聞いて、ああ そうでしたか、それは それはようござった。よいことをなされたなぁ、きっとお地蔵様も よろこんでおいででっしゃろ。といって お爺さんのしたことを 一緒に喜びました。

 しかし、相変わらず 二人の家の中には 正月の備えどころか、なんのこれというものもなく、このままでは あるものを食べてしまったら 何もなくなってしまう というままでした。でも 仕方ありません。ふたりは 薄い布団に包まって その日は早く寝てしまいました。

 さて、しんしんと降る雪が ますます冷たくかたく積もっていく 大晦日の夜更け。
お爺さんとおばあさんは ふと 申し合わせたように 目を覚ましました。

 あれ・・、なんじゃろうか? ええ、さっきから 何の音だか、どすんどすんと。
鬼かと思うたが なにやら 景気のええ歌声もするで・・
そうなんですよね、にぎやかで 楽しそうな歌声がね。

 そのどすんという音と歌声は どうやら 二人の家に向かってやってくるような様子です。ふたりは 何がやってくるのかと 入り口の戸に隙間を空けて、じっと見ていました。

 雪はすでにやんでいて、あたりには 月の光がさしていました。
その明るくなった表にあらわれたのは、なんと 笠をかぶったお地蔵様たちだったのです。 お地蔵様たちは 楽しそうに、正直で信心深い優しいお爺さんのおかげで、冷たい雪をかぶらずにすんだと歌い、それぞれ なにやら重そうな荷物を転がしながら、家の前に 次々と それを積み上げました。

 ふたりは 顔を見合わせて、びっくりしていましたが、その時 一番最後のお地蔵様が、ちいさいつつみを戸口に置いたのも みました。
 そのお地蔵様の頭には お爺さんの手ぬぐいがありました。
ふたりは 思わず、手を合わせて、やれ ありがたや、ありがたや、なんまいだぶ なんまいだぶ・・・と 一生懸命 いのりました。 

 お地蔵様たちは そのあと、また きた道を楽しそうに歌を歌いながら 戻っていかれました。
 お爺さんとおばあさんが 表に出てみると、なんと 積み上げられていたのは 米俵や餅や炭など・・。そして たくさんの野菜や魚やお酒まで、いろんなものがあったのです。
 ふたりは いちいち 手を合わせて感謝してから、それらのものを 家の中に運び込みました。家の中は あっという間にりっぱな正月を迎えるためのものでいっぱいになりましたが、おそらく 正月が終わったとしても まだまだ 充分に 暖かくすごすことが出来るでしょう。

 さいごに 家の中に入ろうとしたとき お爺さんは 手ぬぐいでほっかむりをしたお地蔵様が置いていった 小さな包みを見つけ、手にとって 中に入りました。

 なんじゃろうかねぇ、という おばあさんの声を聞きながら、包みを開けると、なかには まあたらしい 手ぬぐいが何枚か たたんでありました。
 あれあれ、お爺さんが気の毒だとおもわっしゃったんじゃろうねぇ、かわいげのあることをなさる。とおばあさん。
  お爺さんは さっそく お地蔵様の染め絵の入った手ぬぐいを広げて 頭にかぶってみました。 そして ふたりは お地蔵様のことを思い出しながら、楽しく話したり、お地蔵様達が歌っていた歌をまねてうたってみたりして、愉快に大晦日の夜をすごしたということです。


cut by C
 


 このお話は どなたもご存知ですよね。

 ずっと前から お正月には 笠地蔵様達の話を と 思っていました。

 なんかいいんですよ、この話。なんとも当たり前というか、すごく単純で、分かりやすい。
いろんなバージョンがあって、これは まさしく遠藤流ですが、どれをとっても おそらくこんな感じだったろうと思います。

 ちょっとしたこと、日ごろたいして努力というものでもないようなことを、地道に積んできたことが、あるとき ふとした拍子に、何かの成果を見る・・。ちょっと 大げさな言い方ですけれど、いい事をしたから 良い報いがあったのだよ というような言い方よりは、なんだか自分には もっと納得がいくような気がするのです。

 ある意味 心にゆとりのあるもののユーモアですよね。
  あるいは 日本人には―もしかしたら 人間には―もともと こういう ある種の、ちょっと言い方は違うかもしれないけれど 愛嬌のあるとでもいえそうな信心と呼ばれるものがあるのかもしれない。

 ここで 小難しく信心なんてものについて話そうとは思いませんが、人の中にある、人を超えたものへの畏れや敬いって もっと日常レベルであらわされていいと思うんですね。それに 多分 そういう思いって、きっと ダレの心の中にも 何かしらの形であると思うんですよ。そういう思いが もっと あっさりと 日々の生活の中で あらわせることが ごく当たり前だったりしたら、もしかしたら、家庭の中での はては殺傷事件にまでなってしまうようないざこざやらなにやら、それから 人を人とも思わないようなあれこれなども、多少はおこりにくくなるのではないかな と 思ったりしているのです。

 シンプルに生きたいな・・と 今年は これが 私の掲げる生活の目標です。

 あなたは いかがですか?

 

お話 バックナンバー




お問い合わせはこちら!