まず 一番初めは金持ちの二人の地主で、馬車で通り過ぎたのですが、そこに来たとき 一人が言いました。 その後 次の馬車の人たちが続きました。 また すぐ続いて 乗合馬車がやってきました。乗客たちは 長旅で疲れていて この美しい場所を通るときも みな眠りこけていましたが、ただひとり、御者だけがラッパを吹き鳴らして ひとりで思っていました。 その後に 馬を飛ばしてきたのは 二人の若者たちでした。彼らが馬を走らせると同じくらいに その体の中にも熱い血が駆け巡っているのを 私は知っていましたよ。 夜が深くなるにつれて 花の香りも潮の香りも強くなり、風も眠ってしずかになり、それにつれて海も黙ってしまいました。 そこへやってきたのは 一台の馬車でした。 しばらく静かでしたが、次にやってきたのは 月夜の晩を散歩するひとりの画家でした。 彼がまだ夢中で絵を描き続けている時に、ちょうどやってきたのは ひとりの貧しい娘でした。彼女は 塚のところで腰を下ろし、持っていた荷物を置いて、月の光に照らされて、広く向こうまで見渡せる海を じっと眺めていました。 ふと気付くと、彼女が胸元で両手を合わせて「主の祈り」を唱えているのがわかりました。 恐らく この娘自身にも そのときの彼女の気持ちを詳しく説明することは難しいかもしれませんが、私には その思いがよくわかりました。 きっと このひと時のことを 彼女は今後もずっと 何かあるたびに 思い起こし、あの画家の描くであろう美しい絵よりも もっと美しく はるかにすばらしいこととして 幾度も その胸に繰り返されることになるでしょう。 私の光は 朝がその光を投げかけるまで、彼女の賢そうな額を照らし続けましたよ。 このお話は ご存知でしょうか? ご存知のかた 多いことと思います。 『絵のない絵本』は アンデルセンの書いた沢山の有名な童話の中のひとつでもあります。 沢山の人々が通る道に面したある風景について書きながら、それを見る人たちの心の情景といえるようなものをも ”月”の見たことどもとして 書き表しています。 おもしろいですね。 私たちは みな こんな風なのでしょう。 あるものが、ある人にとっては 金儲けの手段になったり、ある人にとっては 何の価値もないものとなる。 ある人にとっては 恋を語るうってつけの場所となり、ある人にとっては 話しの種になり、あるいはまた とても現実的な大事なポイントになる。 こういうことって 私たちの日常にもたびたびあるものだろうと思います。 たとえば 大人には どうということのないものも、小さな子供たちにとっては 無限の興味を展開できるものであるかも知れず、人から見れば 無価値なものであっても 自分にとっては何にも替えがたいほどの値打ちがあるんだ・・ なんてこと、あなたも 思い当たられることがおありではありませんか? それぞれが それぞれの時を それぞれに生きている。 それが わかれば、それを 受け入れられれば 誰に嫉妬することも 何にあせることもなく、安心して 元気に過ごせる・・。 そんなことも このお話から 感じたことのひとつではありました。 2006年が始まりました。 よい一年にしましょう! |