2月のお話 百枚のきもの
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『ねえ、おかあさん。今日もワンダは同じうそをついたのよ。あの子、どうしてそんなこというのかしら・・?みんな うそだってわかっているのにね。それなのに どうして 毎日 同じうそを繰り返すのかしら? だからペギーにからかわれたり 意地悪いわれたりするのに・・。』
ワンダ・ペトロンスキーは、変わっている。 おかあさんは、そのことを言い立ててはいけないというけれど、そして 私も ペギーのように、毎日着替えて学校にこられるほどの着物を持っていないから、もし 私が同じように言われることがあったりしたら、すごくいやだと 思うけど、それでも もうちょっとなにか気をつけたらいいのに・・なんて 思ったりもする。 ペギーの家は お金持ちだから、ペギーも沢山の服を買ってもらえる。私のお母さんは、時々 ペギーのお下がりをもらってきては、あっちこっち工夫して作り変えて私に着せてくれる。それでも ペギーには それがペギーのお下がりだって わかってしまうし、多分 みんなもわかっていると思う。。。 だから、ワンダがきるもののことでからかわれるのを 見たり聞いたりするのは、本当のことを言うと、自分のことを言われてるみたいで・・、すごくいや。 あるとき、ワンダは そのことでからかった子に向かって こういった。 ペギーは言うの。「ワンダさん、あなた おうちに百枚の着物をもっているんですって?」 みんなは笑う。はやし立てて からかう。 ワンダがからかわれるのは とてもいや。次は私かもしれないし・・。
そして そのうち 長い休みに入って 私たちは 学校に来ることがなくなった。
休みが明けて、再び学校へ行ったその朝。 教室の中では 先に来ていた子達が、なんだか興奮して騒いでいる。 百枚ちょうど あった・・・! 「どうしたの?」「だれがやったのかしら?」「ねぇ、ちょっとみて。これ ペギーじゃない?」 先生がいらして、壁の絵をご覧になり、とても 心に感じ入ったように報せてくださった。 「マディ、どうしよう・・。」 ペギーの言葉は そのまま私の言葉だった。 ワンダは 行ってしまったのだ。行ってしまって もう ここにはいないのだ。きっと 二度と会うこともないだろう。私たちには もう なにをどうすることもできないのだ。 どうすればいいんだろう? 私は いけないことと知っていて ワンダをからかうことを とめようとしなかった。ワンダが どんなにそれで つらい思いをしていたか、多分 私には クラスの誰よりも ちゃんとわかっていたかもしれないのに。 ×××××××××××××××××××××××× ペギーと私は、学校の帰りに ワンダの家に行ってみることにした。 町外れに向かう さびしいぬかるんだ道。 でも・・・、何度呼びかけても ワンダの返事はなかったし、勿論 誰も 出てくることはなかった。 私たちは、何も話すことができずに うつむいて、心に重いものを抱えながらあるいた。 「私、もう 貧乏な子のことを笑ったり からかったりしないようにするわ。」
『ねえ、おかあさん。ワンダは うそをついているつもりじゃなかったのね。
このお話は ご存知でしたか? 女の子だった(?)方なら、どこかで聞いたか 読んだかしたことがあるかもしれませんね。 『エリナー・エステスの「百枚のきもの」はワンダ・ペトロンスキーという貧しいポーランド移民の子が、百枚のきものをもっているといったことから、毎日学友にからかわれるが、この子が大都会へ移った後、百枚のきものとは、じつはすばらしい百枚のきものの絵だったことがわかり、からかった子どもたちが深く後悔するという物語で、対人関係についてのつよい教訓を前面におしだしているが、後悔する子どもの行動と心理を読者に追体験させる芸術的完成度をもつすぐれた作品である。二十年代におこった移民排斥、黒人問題などアメリカ社会がかかえる問題が年少の子ども向きの文学にいかにもふさわしく反映していて興味深い。』 先日 移民について 連れ合いのタコ氏とはなすことがあり、その時 思い出した映画に 大変あいまいな記憶で申し訳ないのですが、多分 ポーランドの洗濯女 とかという邦題の映画の内容をはなしました。 そのながれで思い出したお話を 今回書いてみよう と 思った次第ですが、どうぞ できるだけ このまま受け取られませんように! 存分な脚色がされております。私の記憶の中を どうかしてまとめて 人にわかるような格好にしたかったので、結果 こんな風になってしまいました。 手元に元の本もありませんし。 でも、内容は 恐らく それほどの大間違いはないだろうな・・とは 思ってはいるのです。 是非 機会がありましたら 手にとって お読みくださいるように お勧めします。 私事と お断りして お話しましょうか・・ 小学校の高学年のころ、おなじクラスに それこそ毎日たいした変化のない服を着てくる女の子がひとり いました。彼女の声を聞いたことはありません。 私は(私たちは) その子が、あるひとにぎりの男の子たちに 毎日いじめられているのを知っていましたが、でも 誰一人 それを注意することがありませんでした。 そのうち、私たちは 卒業し、ばらばらになっていきました。 それでも・・! それでも ときたま ふとした拍子に 思い出すことがあるのです。 その時 思うのは・・、彼女の住んでいたであろうと思われる その地域の中の特殊性をもった場所と、では そういうところに住んでいた彼女は 一体 誰だったのだろう・・という、半ば わかっているはずの疑問でした。 私の小学校時代からは もう 40年以上も時間がたってしまっていますが、きっと 聡い皆さんには それだけで なんとなく 察しが着くかもしれませんね。 マディやペギーの味わった あの渋みのある苦さを、だから 私は より一層 強く感じられてしまうのです。 後年、差別 というものについて考え始めたのも そのことが きっかけだったのだろうと思います。
バレンタインですから・・ できたらロマンチックなお話を と おもいもしたのですがね、 たぶん・・ そうおもったのが このお話を バレンタインのある2月のお話にしようと思ったきっかけなんです。 どうでしょうね・・? あなたは どうおもいますか? |