小さな駅の近くにある線路脇の とても小さな掘っ立て小屋に ひとりのおじいさんが住んでいました。
おじいさんは 毎日、一日の最後の汽車が通り過ぎて しばらくしてから 表に出て行きます。
帽子をかぶり、粗末な上着を着て、手には大きな袋とばねバサミを持っています。
自分の住んでいる掘っ立て小屋の前から、おじいさんは 暗い線路脇の片側をあるきながら、ところどころにたっている外灯の光を頼りに、汽車の乗客たちが窓から外へ投げ捨てたりしたゴミくずをはさみでつまんでは 持っている大きな袋に放り込みます。 それが おじいさんの仕事なのです。
一日の最後の汽車が行ってしまってから、朝一番の汽車が走る前までの 真っ暗な時間が おじいさんの働く時間でした。
あたりは 暗く、線路の上には なにも だれもなく、ただ おじいさんが 線路を支えるために積み上げた砂利を踏む音と、ばねバサミでゴミを拾うときに立てる音だけが あたりにさびしく響くばかりです。
夜の間中 ずっと一人で歩きながら 次の駅に向かう途中の物置小屋まで行き、それまでにゴミで一杯になった袋を、小屋の中の新しいゴミ袋に持ち替えて、今度は 今来た線路の反対側を、空っぽの袋を持って、来たときと同じようにゴミを拾いながら、自分の小屋にある駅のほうまで歩いて戻ってくるのでした。
一年中、雨の日の夜も 風の日の夜も 蒸し暑い夏の夜も 雪の降る夜も、おじいさんは ゴミを拾い続けてきました。
だんだん それまでよりも もっと年を取ってくると たいした仕事でもない と まわりはいっても、おじいさんの体にはきつく、小屋に戻ってからは、小屋のそばを 雷が落ちたかと思われるような大きな音を立てて走っていく汽車の音にも目を覚ますことも無いほどに疲れて 泥のように 眠りこけるようでした。
そんなきびしくもさびしい毎日の続いたある日、いつも 薄暗くなってから目を覚ますおじいさんは、その日は 何か夢を見ていたようで、いつまでも布団の中でぐずぐずしていました。
夢の中で おじいさんは もう少し若くてまだまだ元気でした。
そして ずっと昔 まだ 空襲でやられる前まで長いこと住んでいた田舎の道を歩いています。 お日様はピカピカ光って ときどき 花の香りがしてきたり、心地よい風が頬をかすめ、そして ふと気が付くと おじいさんは小さな女の子と手をつないでいました。
女の子は 一生懸命 おじいさんの歩く早さにあわせて歩きながら、いろいろおしゃべりをしていましたが、そのうち 疲れたのでしょう、不満げにほっぺを膨らませて立ち止まってしまいました。おじいさんは それと気付いて かわいそうなことをしたと思い、女の子をだっこして また 歩き始めました。
女の子は おじいさんに抱っこされて 嬉しそうに 手に持った淡いピンクのれんげの花たばをふって、楽しそうに笑い、おじいさんも つられて 笑いました。
おじいさんは 女の子が 大好きで とてもかわいいと思いました。
ふと 女の子が まじめな顔をして おじいさんを見て 言いました。
「おじいさん、百々子はねぇ・・。」
そして 夢がおわり、おじいさんは 目を覚ましました。
おじいさんは 思い出しました。あの女の子は 百々子という 自分の亡くなった孫娘だったのだ ということを・・。
おじいさんには なぜ そんな夢をみたのか 一向にわかりませんでしたが、でも その夢はおじいさんにとって しばらくぶりの暖かさや嬉しさをもたらした 良い夢でした。
その日、おじいさんは仕事をしながらも ずっと その夢のことを思い返していました。
そして、次の日も おじいさんは また 同じ夢を見、やはり 女の子がまじめな顔をして 何か言う前に 目が覚めてしまいました。
おじいさんは 女の子の百々子が何を言いたかったのか とても 気になっていたし、それを知りたいとも強く思っていました。
それから 少しの間、その夢は それっきりになったようにおもわれていましたが、ある月のきれいな晩、そろそろおじいさんが目を覚まして 仕事に出かけるという少し前に、おじいさんは また あの夢を見ました。
その日の夢の百々子は 前に手に持っていた淡いピンクのれんげの花束のかわりに、ちいさなつるはしをもち、キレイな透き通るような声で どこかで聞いたような覚えのある数え歌を歌っていました。
「百々子、百々子、その歌はなんだい?おじいさんにも教えておくれ、一緒に歌おう。」
そう呼びかけたとき、おじいさんは ふと 耳のそばで 本当に その声を聞いたような気がして目を覚ましました。
部屋の中は暗く、でも 月の光が カーテンのない窓から差し込んで その光の当たるところだけが明るく青白い世界になっていました。中でも 窓辺に何気なく置いた、夕べ拾ってきた化粧品のクリームの空き瓶は、お月様の光を受けて まるで真珠のように静かに輝いていました。
おじいさんは その化粧品の瓶を いつものゴミと一緒に拾ってきたのですが、瓶の形がきれいで良いにおいがしたので、少しの間 部屋においておこうか と 持ち帰ってきていたのでした。
ああ、この瓶の中からにおいがしていたんだな・・ だから あんな夢を見たんだな と 思いながら、おじいさんは 月の光に鈍く輝く化粧品の空き瓶を見つめました。
しかし その時、ふと・・、何かが クリームの空き瓶の向こうで動いたような気がしました。
おじいさんは 眠る前の何かを見たのかと思い、ぼうっとそのあたりに目をやっていましたが、瓶の向こうから少しずつ見えてきたのは、なんと 小さな羽のある生き物だったのです。
おじいさんが だまって じっとしていると、その生き物は 用心深そうに辺りを見回し、そっと 空き瓶の向こうから すっかり姿を現しました。
おじいさんは それを見て びっくりしました。
だって、さっきまで見ていた夢の女の子の持っているつるはしを その生き物も持っていたのですから!
おじいさんは すっかり目が覚めてしまいましたが、その小さなもののことが知りたくて じっとしていました。
羽のあるその小さな生き物は、頭のてっぺんからつま先までが およそ10センチくらいでしょうか・・、体全体が淡い月の光の色のように輝き、よくみると やはり あの夢の中の女の子、百々子のような顔をしていました。
小さな百々子は 手に持っている銀色のつるはしを振り上げると、ちょっと飛び上がって 化粧品の瓶の角を勢いよう打ち付けました。
シャリーン という音がして、化粧品の瓶が ほんの少し割れたかと思うと、女の子の足元に 小さなまんまるな真珠粒のようなかけらが転がり落ちました。
女の子は また つるはしを持ち上げ、ちょっと飛び上がって また 瓶を打ちました。
シャリーン・・ ころころころ・・ シャリーン ころころころ・・
そして 羽のある小さな百々子は 歌い始めました。
『のんのさんの光 まぁるく浴びりゃ 銀で打つたび 粒になる、
粒は束ねて れんげ花。ひとつ ふたつ みっつ よっつ。
のんのさんの光 真珠の粒は れんげの花の 束になる、
のんのさんはお好き れんげ花。いつつ むっつ ななつ やっつ。
のんのさんの光 行く道照らす 真珠色した れんげ道
れんげの道は 月の道。ここのつ とお。じゅういち じゅうに。』
そうそう、この歌でした。この歌を おじいさんは 夢の中で聞いたのでした・・。
おじいさんは 黙っていることができず 急いで布団を それでも できるだけ静かによけると、そうっと ささやくような声で 小さな百々子にいいいました。
「百々子、百々子、それは何の歌だい?おじいさんにも教えておくれ、一緒に歌おう。」
すると ちいさな百々子は 一瞬びっくりして 動きを止めましたが、すぐに 月の光の中で にっこり微笑むと、つるはしに寄りかかりながら 言いました。
「じゃあ 一緒に歌いましょう。ちゃんと 覚えてね。」
『のんのさんの光 この道照らす れんげを数えて 行きなされ。
この道通る、月に行く。じゅうさん じゅうし じゅうご じゅうろく。
のんのさんの光 わろうてゆれる おもどりなしよ のぼり道。
れんげの道は 月の道。じゅうしち じゅうはち じゅうく にじゅう。
』
おじいさんは 百々子の歌うのにあわせて、なんどもなんども 歌を繰り返しました。
そして 何度唄ったかと思われるころ、おじいさんは うとうととし始めました。
でも すぐに 仕事があることを思い出して、あわててめをさましましたが、窓辺には 少しふちの欠けたクリームの空き瓶が置かれ、小さな百々子も 居なくなっていました。
ああ それでは やっぱり 夢だったんだ・・、そうおもいながら おじいさんは布団を抜け出し、お茶を一杯飲むと、上着を着て 帽子をかぶり、表に出て行きました。
しかし あの夢は そのいっかいきりでは 終わらなかったのです。
それからは 月のきれいな晩になると 必ず ちいさな百々子がやってきて、数え歌を歌いながら銀のつるはしで 真珠のような丸い粒を打ち出すのでした。
おじいさんは その真珠粒がれんげの花になって 道を飾っているのを 見てみたいものだと思ったりしましたが、百々子が一生懸命 小さな体で銀のつるはしを振り上げながら クリームの空き瓶をたたいて 真珠粒を打ち出すのを、覚えた数え歌を百々子といっしょに歌いながら、眺めていました。
あるとき おじいさんは 思いついて 百々子に聞きました。
「百々子や、おじいさんにも 手伝うことはないかね?百々子ばかりが働いて、おじいさんは唄ってばかりじゃ 気の毒だよ。」
すると 百々子は 答えました。
「あら、いいのよ、だって これは 私の仕事なんだから。」
「仕事?」
「そうよ、これは 私の仕事なの。こうやって お月様のお命じになったところから 決められた数の真珠粒をもってかえるまで、私は これを続けるのよ。」
すると、決められた数の真珠が集められてしまうと もう 百々子の仕事は終わるのか・・と おじいさんは考えました。
「そうなの。だから わたし一生懸命なのよ。私は あまり 上手じゃないんで、すごく時間がかかるの・・。」
百々子は ちょっと情けなそうな顔をして おじいさんの考えを読んだかのような返事をしました。
「で・・、一体 決められた数というのは いくつなんだね?後 いくついるんだね?」
「わからないわ。それは お月様がお決めになることなのよ。私は もういい といわれるまで、仕事を続けるの。さ おしゃべりしてられないわ、ただでさえ 手がのろいんですもの、私は。」
小さな百々子が 再びつるはしを振り上げるのを見ながら、おじいさんは ふと クリームの瓶が もう それほどないことに気が付きました。
瓶がなくなってしまったら 百々子がこまるだろう・・と 思ったおじいさんは、その日、仕事をしながら どこかに同じようなきれいなクリームの空き瓶がないだろうかと 一生懸命探しました。
しかし、そうそう 都合よく それがあるものでもありません。
おじいさんは 空き瓶がなくなれば、もう 百々子が来なくなる と思ったら、なんとか 空き瓶を持って帰ろうと 線路脇だけでなく、線路沿いにある 家々のゴミ箱を探してみることを思いつきました。
しかし、いったん仕事が終わると もう一度 出かけていって 線路脇の家のゴミ箱をあさるおじいさんは、すぐに 周りに住む人たちのうわさになり、食べ物に困っているのだろう とか とうとう 落ちぶれたか などとうわさされるようになり、それは おじいさんを雇っている駅の駅長さんの耳にも それほど日を待たずに届いていきました。
「じいさん、なんだかおかしなことをしているようだが、やめてくれんかね。周りの住民たちが いやがっとる。人んちのゴミ箱あさるなんざ そんなに 金にこまっとるというか?給料ではやってけんというか?」
おじいさんは 説明しようとしたのですが、ちいさな羽の生えた百々子が、化粧品の瓶から 真珠の粒を打ち出しているなんて話・・・!一体誰が 信じるかと思ったら、一言も言い返すことができなくなってしまいました。
そこで おじいさんは 「わかりました。すみませんでしたな。」と 答えて 戻ってきました。
おじいさんは 今 この仕事を失うことはできないのです。今の この仕事だって ずいぶん苦労して、やっと手に入れた仕事なのです。この仕事がなくなったら どうやって生きていくというのでしょう。
おじいさんには そんなこと わかりすぎるほどわかっていました。
クリームの空き瓶は それから ひとつも見つかりませんでした。
おじいさんは あと少しの 百々子との時間を大切にしようと思うばかりでした。
そして・・・、とうとう その日の分を打ち尽くしたら もう クリームの空き瓶は すっかり形がなくなってしまう という日がやってきました。
その日も 月のきれいな晩でした。
おじいさんは 少し眠った後、百々子が来るのを布団に入って待ちました。
うとうとしだしたころ、透き通ったかわいい声が 暗い部屋に差し込む 月明かりの中にきこえてきました。 そして、小さい百々子が いつもの銀のつるはしを持って、あの数え歌を歌いながらシャリーン・・ ころころころ と 静かに輝く真珠粒を 打ち出し始めました。
おじいさんは 思い切って 百々子にたずねてみました。
「百々子や、今日あたりで すっかり 瓶がなくなるね。」
「そうですね。私は とても 嬉しいの。やっと 決められた数がそろいそうなんですもの。」
「そうかい!それはよかった。でも そしたら もう ここへはこなくなるんだね?」
「ええ、そうね。」
百々子は シャリーンと瓶を打ちました。ころころころ・・
百々子の透き通った声が 歌を歌います。
おじいさんは 百々子の声に合わせて 唄い始めました。
ひとつ ふたつ みっつ よっつ・・・
その日に限って おじいさんは とても眠くて、ほんの最初のほうを一緒に歌っただけで ねむりこんでしまいそうになりました。
おじいさんは 眠らないで 最後まで ちゃんと 百々子を見ながら、唄っていたいと思い、なんども 百々子、百々子 と 呼び続けていました。
夜は 長く明けず、月の光は おじいさんの顔を照らしていました。
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