7月のお話   七つの星

 その年は 大変な日照り続きで、国中のあちこちのなんでもが からからに乾いて、世の中の水気というものが、一切なくなってしまったかのようでした。

 それは、人々ばかりではなく、犬や猫、めいめいの家に飼われている家畜たち、それぞれの畑の作物などにも、勿論 たいそう辛いことでした。そして、その国のある小さな村に住む 貧しい親子にとっても、それは おなじことでした。 

 今にも崩れそうな小屋に住んでいる若い母親とその娘は、ただでさえ 毎日事足りたことのない貧しさに暮らしていたのに、この日照りは それを さらに追い立てるようなもので、食べるものは勿論、いつも頼んでやらせてもらっていた畑仕事も からからに干からびた土では仕事にもならず、見る間に お金は勿論、食べ物も飲み物も減っていきました。

 日々の心配と日ごろの無理がたたって、母親は熱を出して寝込んでしまい、まだそれほど大きくなっていない娘は、熱に苦しんで 水をほしがる母親を心配しながら看病しました。

 しかし、その看病もいくらもしないうちに、いよいよ 小屋に蓄えてあった最後の水が尽き、周りの家の井戸からの水をもらおうにも 井戸は干上がり、それでは と 近くの池に行ったところで、その池すら底がむき出しで、どこにも 水一滴 見つけることができませんでした。

 粗末な小屋の中では、暑さと熱に苦しむ母親が うわごとで水を求め続けます。娘は、いたたまれなくなって 水を求めて、池に注ぐ川の上流を目指して 歩き始めました。

 

 何しろ、どこもかしこも 乾ききってしまっているので、普段なら 緑の草が生い茂り、そこここに よい香りのかわいい花を 沢山に咲かせて 目を楽しませてくれる川沿いの道も、まるで そんな風景など 一度もあったためしがないかのように、ただただ、だらだらとつづく ぱさぱさの土の道となって、娘が歩くたびに起きるわずかな風にも もうもうと 土煙を上げる始末でした。

 娘は じりじりと照りつける太陽をさえぎってくれる木陰ひとつも見つけることのできないそんな道を、それでも なんとかして 母親に水を飲ませたいと 懸命に 川上目指して歩いていたのですが、そのうち、とうとう力尽きて その場にへたり込むと、あまりの疲れに そのまま眠ってしまいました。

 どのくらいの時間がたったのでしょう。
娘が気が付いてみると あたりは すっかり暗くなってしまっていました。
 「大変だ、おかあさんが 心配している。水は見つけられなかったけど、今日は、もう早く帰らなくちゃ・・。」

 しょうがないな・・と思いながら 熱気の去った乾いた道を戻ろうと立ち上がったとき、娘は ふと そばに なにかきらきら光るものを見つけました。
「・・あれ?なんだろう・・。」

 

 その 光るものに近づいた娘は びっくりしました。
なんと!それは 一本のひしゃくに 並々と注がれた水が 月の光を浴びて 冷たい氷のようにきらきらと輝いていたのです。

  きっと 神様の贈り物に違いない とよろこんだ娘は、心の底から感謝して そっとひしゃくを手にすると、日中の暑さが去って 幾らか過ごしやすくなっていたとしても、まだ やっぱり喉の渇きを覚えていたので、まず 一口飲もうとしました。

 娘は ひしゃくに口を近づけようとして、ふと 母親のことを思いました。
「水がこのひしゃく一杯しかないのなら、まず お母さんに飲んでもらってからにしよう。私は その残りを飲めばいい。それに・・、今 水を飲んだら きっと 最後まで 飲んでしまうかもしれないし・・。」
 そして、 水がこぼれないように、大切に持って家への道を歩き始めました。

 

 そろそろ 家にたどり着くというころ、娘は やせこけて 骨に皮をかぶせたような犬に出会いました。犬は 娘が通るのをじっと眺めていましたが、水のにおいがしたのでしょう。くんくんと 鼻を鳴らして 水をほしがりました。

 娘は 大切な水ですし、まず 母親に飲ませたいと思っていたのですが、あまりに気の毒な様子に胸を打たれ、ひしゃくの水を 少し片手に受けて、犬の前に差し出しました。

 犬は 一生懸命 久しぶりの水をすっかり飲み干しました。

 犬にやった分、水は 勿論 少なくなってしまっています。娘は、すこし 残念な気持ちにもなったのですが、でも 犬が すっかり しっかりした眼を取り戻したのを見て、よかった・・とおもいました。 

 その時、娘の持っているひしゃくが 突然 鈍く光ったと思うと、たちまち 銀のひしゃくになりました。びっくりした娘でしたが、とにかく もう ずいぶん 自分の帰りを待っているだろう母親のことを思って、急いで 家に戻りました。

 

 「お母さん、ほら、水よ。」
娘の差し出したひしゃくの水を 母親は ごくごくと音を立てて飲み、大きなため息をつくと にっこりして娘にお礼を言いました。
「ああ、おいしい・・!ありがとうよ。さぁ、お前もお飲み。」

 うなずいた娘が 水を飲もうとしたとき、粗末な小屋のドアをとんとんと かすかにたたく音が聞こえました。

 娘が ひしゃくを置いて、ドアを開けると ひとりの年寄りが 力なく、そこにうずくまっていました。

 「水をくれませんか・・。もう ずいぶん 水を飲んでいないのです。」

 娘は どうしようか と 思いました。ひしゃくの水は もう いくらもありません。これっぽっち 飲ませたところで、たいした役にも立たないようにも思えましたし、それに 自分は まだ 一滴も飲んでいないのです。この水を手に入れるために どれほどの苦しい思いをしたことか・・、それも思えば、水を その人に飲ませることは とても 簡単なことではありませんでした。

 

 だけど、その年よりを 放ったまま、自分ひとりで水を飲むことは、娘にはできなかったのです。
  ひしゃくの底に残っている わずかな水を差し出して、娘は言いました。

 「さ、おじいさん、もっと飲ませてあげたいけど、ほんとにこれしかないんです。お飲みなさい。」

 年よりは、わずかに残ったひしゃくの水を あっというまに すっかり飲み干し、お礼を言って 足元もおぼつかない様子で、のろのろと 立ち去りました。

 娘は、戸口に立って その後姿を黙って 見つめていました。

 

 その時、母親が 娘に声をかけました。
「おまえ・・! 見てごらん。ほら、ひしゃくが・・!」

 娘は ゆっくりと 手にしたひしゃくを持ち上げて、あまりのことに驚いて ひしゃくを取り落としそうになりました。

 犬に水をやった後に 銀に変わったひしゃくは、今、娘の手の中で 金色に輝き、さらに ひしゃくをかたどるように、七つの宝石が埋め込まれて、美しくきらめいていました。
 そして、その金のひしゃくには 水が こんこんと湧き出していたのです。

 娘は 急いで ひしゃくの水を瓶に受けていっぱいにし、自分も たっぷりと水を飲みました。

 すると、やっとのことで 一息ついた娘の手から ひしゃくがすっとはなれ、あっと思うまもなく、高い夜空に飛んで行き、たちまち ひしゃくの形になって 晴れた夜空に 輝きはじめました。

 娘の母親は ひしゃくの水を飲んだことで、たいそう元気になり、ふたりは それから 末永く 仲良く暮らした ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  このお話は ご存知のかた 多いのではないでしょうか?

 7月なので、七夕のお話を ともおもったのですが、こういうのもいいかなと書いてみました。

 北斗七星のことですね。ロシアの文豪トルストイは こういうものも書いているのですね。

 水は、だれにとっても 大切なものですし、なくてはならないものですね。
日照りというものの影響を もろに受けるということが、この現代日本には あまりないことではありますが、報道されて見知るその様子には、一体 それにどうやれば 何かの手立てになるのだろうか と たまらない思いになることが、しばしばです。

 トルストイの生きた時代のロシアは、まだまだ人が人らしく生きるには不十分すぎるところのある時代で、それを 彼は非常に憂えて、無学な農民たちに 読み書きを教えたり、考え方の啓蒙をしたり、彼にできる精一杯の当時の政府への抵抗を試みた人でもあります。

 でも、ただ それについて 真っ向から抵抗するばかりではなく、農民たちとのやり取りで得た、沢山の口伝えによるお話を丁寧に形にしたり、そうしたことからヒントを得て 新しい物語を作ったりして、人々を慰め、励ますようにしてもいたようです。
  トルストイにつきましては、過去のお話やそのあとがきをごらんください。

 さて、このお話の娘は、ずいぶんと優しい娘のようですね。優しいというか、思いやり深いといったほうでしょう。

 それほどの渇きの中、一体 人は そこまで他人に尽くせるものなのだろうか・・と、私などは思ってしまうのですが、おそらく 痛みをより深い痛みとして 受けざるを得ない時を多く重ねた者は、自分より弱いものへの心遣いが、そういう時こそ 働くのだろうと推測します。

 苦しい自分より、さらに苦しいものを思いやれるかどうか・・

 自分の苦しみで一杯になってしまっていれば、それは 行えないことではありましょう。

 でも、お話の中のこととはいえ、この娘は、飲みたい という気持ちよりも、かわいそうだから・・という気持ちのほうが強かった、だから、人ではない犬にも、そして 飲ませたところで、飲ませた甲斐もないかもしれない年寄りにも、心からの同情のゆえに、自分より先に水を飲ませます。

 苦しむ母親に 水を飲ませたい一心で 水を持ち帰った娘には、娘と母親との愛のある暮らしで培ったものがあったのかも知れません。
 その記憶のゆえに、娘は 自分よりも苦しむものへ 思いをかけたのではないか・・と。

 昨今の、苦しむものへの思いなど これっぽっちも持ち合わせることなく、そしてまた、自分ですら、一体 だれを思っているのか、よくわかっていなそうな者たちが横行するこの社会では、このようなお話は、まったくの夢物語にしかならないのでしょうか・・・!

 それでは あまりに さびしく 情けない とおもうのですが。。

 さて、あなたは どうおもわれますでしょうか・・?

 



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