8月のお話  

わたしの浴衣

cut by bleu daisy

 

  8月最初の日曜日。今日は 本当にすっごくいい天気。

  今、私は おばあちゃんちにいる。

 太陽は きらきらしているし、空は 本当に真っ青。ぐるッと囲んでいる山は 緑がぴかぴかしているし、向こうからこっちへ流れてくる雲は まぁっ白!

 もしかしらた うちの方には 本当の空気がなかったのかもしれないと思うほど、ここの空気には味があるし、その場所その場所での温度がある。小さな風が 本当に 柔らかで気持ちいい・・。

 家の中は、涼しい・・。畳がひんやりして いい感じ。
すぐそばの木からは 沢山の蝉の声が 早く表に出ておいでって 呼んでいるみたい。いくつものいろんな蝶々が、ひらひらしながら 庭に 鮮やかに咲いている花たちの上を あちこち飛び回っている。

 こっちへきてから どういうわけか ご飯がおいしくて・・、普段は あんまり食べないんだけど、きゅうりもトマトもとうもろこしも、そう とりわけ野菜がおいしいと思って 沢山食べている。
 毎日 毎食、おばあちゃんは 沢山の野菜を 山盛りにお膳に用意する。

 6年ぶりに来た おばあちゃんちは、小さいときに来たときと 殆ど何にも変わっていない。
でも おばあちゃんは 私が あんまり大きくなったからといって、喜びながらも、その間を見られなかったといって すごく残念がっていた。

 朝早く家を出て、駅までバスで行って、おばあちゃんちの方に行くために乗る電車が止まる駅まで電車で行った。それから大分長い時間 乗り続けて、やっと 降りるところまでやってきた。 
  でも、山がすぐ近くに見えるその駅から、また さらに小さな短い電車に乗って、下を見るのが怖いような急な流れの川の上を通ったり、ほんとに通れるのかなー とおもうような 切り立った崖のふち すれすれをとおったり、ひろーい草原のほかには 何にも見えない、いつまで続くのかと思うようなところを通ったりして、やっと少しずつ 家の集まっているところが見えてくるんだけど、そういうところの駅を それでも まだ3つ先に行かないと おばあちゃんちのあるe駅に着けなかった。

 でも、お昼を過ぎたころには ようやく おばあちゃんちに行くために降りる駅について、ほっとしたんだけれど、さて、そこから、今度は また バスに乗って、ゴトゴトと山道を 30分くらい登っていった。

 そうして やっと着いたバス停では、おばあちゃんが待っていた! 
いとこの信子ちゃんも 隣の太一君と弟の次郎ちゃんも 待っててくれた。

 信子ちゃんとは 時々 手紙をやり取りしていたので、最初は ええー?こんなにきれいな子だったっけ?なんて 思っちゃったくらい変わっていたけど、でも すぐに いつも一緒にいる友達みたいなって おしゃべりできるようになった。
 その代わり、前は 普通に話せていた太一君とは、ちょっと 話しにくくなっちゃった・・。

 次郎ちゃんは 前に来たときは 赤ちゃんだったのに、保育園の年長さんになっていたので、最初は恥ずかしがって なかなか話ができないようだったけど、お母さんが 手をつないだり いろいろ話しかけると、少しずつ 打ち解けてきて、おばあちゃんちに着くころには、おばちゃん おばちゃんといって お母さんに まとわりついていた。

 おばあちゃんちに着くと、私たちは 荷物を部屋に運んで、みんなでおやつを食べた。
裏の井戸で とっても冷たくした 大きなスイカを、おばあちゃんが ざっくり切ってくれて、大きな一切れずつを みんなで おいしい おいしいといって 食べた。
 おばあちゃん手作りのかき餅も おおきなお皿に山盛りだったのに、あっという間になくなってしまった。

 おなかが一杯になると、ほっとして、私は ちょっと 眠くなってしまった。朝早かったし・・。

 おばあちゃんが 昼寝するといいよ、といって 2階の私たちが泊まる部屋に布団を敷いてくれたので、私は 太一君と次郎ちゃんに またね と言って、信子ちゃんと二人で 布団の上にはらばいになった。
 ふたりで沢山いろんなおしゃべりをしようと思っていたのに、でも、私は それほどしゃべらないうちに、眠ってしまった。


 目が覚めると、開け放した窓から見える空が、鮮やかなオレンジ色に染まっていた。

 すごく 良く眠った という感じがして、体が 楽になっているのがわかった。
窓から入ってくる さらさらの風が とても 気持ちよくて、また 眠りそうだったけど、ちょうど そのとき 信子ちゃんが 声をかけてくれたので、すぐ 飛び起きて 下に降りていった。

 「房ちゃん、お祭り行くよね。一緒に行こう。ね。」
信子ちゃんに言われなくたって 絶対 行こうと思っていた。おばあちゃんちに来た目的には、お祭りに行くッて言うのもあったんだもの。

 信子ちゃんは 新しいかわいい浴衣を着て もう すっかり準備ができていた。
私も この間  デパートで とっても気に入った浴衣を見つけて、買ってもらったので、お母さんに それを出してくれるように頼んだ。

  ここのお祭りは、3日も4日も続く。その毎回が とてもたのしみで、いろんな お店が並んでいたり、いろんな催しがあって、わくわくするし、前に来たときも 晩御飯を早く食べ終わりたくて、夕方になると 早く早くと お母さんたちに ご飯を急きたてたくらいだった。

 2階に浴衣を取りに行ったお母さんは、何をしているのか なかなか降りてこない。

 はやくー!と言いながら、私があがっていくと、お母さんは 私を見て困った顔をして言った。

「ごめん、房子の浴衣 かばんに入れるの、忘れちゃったみたいだわ・・。」

 

 私は今、さっき昼寝をしていた布団の上で、うちの方では 決して見られないくらい沢山の星たちが しゃらしゃらと音を立てているような きれいな夜空を眺めている。 

 散々泣いて腫れたまぶたの上を、冷たい風が そっと 通り過ぎていく。

 今ごろ、信子ちゃんや太一君は、次郎ちゃんが迷子にならないように、手をつないで、面白いことを沢山しながら、楽しんでいるんだろうな・・と おもったら、ほんとに お母さんがにくらしくて たまらなくなった。

 そばには、おばあちゃんが これはどう?といって 出してくれた、古い浴衣がある。
お祭りには とても行きたかったので、ちょっと 袖を通してみたけれど、でも やっぱり おばあちゃんが用意してくれたのは、ずいぶん昔のものだったし、どんなにあちこち出して直してくれても、今の私には つんつるてんで・・・、とても 新しくてかわいい浴衣を着た信子ちゃんと一緒には 歩けないと思った。

 信子ちゃんは 最初 私が行かないなら 自分も行かないといっていたけれど、おばあちゃんやお母さんに言われて、結局 太一君たちと一緒に 出かけていった。

 お祭りだもんね・・、しょうがないよね。そうはおもうんだけど・・。でも・・。


 向こうの方から 太鼓やお囃子の音が聞こえる。ざわざわと沢山の人の声も風に乗って聞こえてくる。神社のある方の山は 今日から しばらくの間、この時間になっても 明るいことだろう。まるで かわいい山車のように、こんもりした灯りが山の中腹で 楽しげに揺らめいていた。

 長い時間かけて ここまで来たのは、半分は お祭りに新しい浴衣を着て行くことも大きな目的だったのに、遊びに来た最初の日から こんなことになるなんて・・。
 窓に 頬杖をついて、私は 思わず はぁ〜っとため息をついた。

 「房ちゃん!」 
呼ばれて、私は 声のするほうをみた。すると、家の前の玄関の明かりの中に、信子ちゃんが立っていた。信子ちゃんは 浴衣を着ていない・・・。

 「どうしたの?お祭り行ったんじゃなかったの?浴衣は?」

 私がそういっている間に 信子ちゃんはさっさと2階まであがってくると、私の隣に座って、ニコニコしながら、持っていた包みを開いた。

 中には、たこ焼き、焼きそば、綿あめ、薄荷パイプ、焼きとうもろこしに、大きなジャガバターが二人分ずつ入っていた。

 「食べよう!」 そういって信子ちゃんは、私に 一つ一つをてわたし、ついでにお箸も持たせた。そういえば、あのまま 怒って泣いてふて寝した私は、おなかがすいていた・・んだった。

 
 明かりをつけなくても 窓辺は月の光で とても明るい。
その灯りを頼りに、私と信子ちゃんは 二人で あつあつのたこ焼きを食べ、焼きとうもろこしにかぶりつき、バターがとろとろに絡まったジャガイモを はふはふいいながら 食べた。

 すっかり おなかが一杯になって、信子ちゃんが 下からもってきてくれた冷たい麦茶を ぐうーッと飲んだら、私は もう すっかり、なんで 自分があれほど泣いたりすねたりしたのか 忘れてしまったくらい いい気分になってしまった。

 私たちは 夕べ、二人で沢山話そうと思っていたのに、私が眠ってしまってできなかったお喋りを、片手に綿あめをもって、薄荷パイプをすいながら、月の照らす窓辺で、お祭りのお囃子をバックに、時々大笑いしたりして 次から次へと話し続けた。それは 本当に とても 楽しい時間だった。

 「ねぇ、浴衣 どうしたの?お祭りに着ていかなかったの?」

 そう聞いた私に 信子ちゃんは、ちょっと 小首をかしげて、にっこり笑って答えた。信子ちゃんのきれいに切りそろえられた前髪が さらりと風に揺れた。
  「行ったよ。だから買ってきたんだよ。こ〜んなにいっぱい!あははっ!」

 「私、あの浴衣を着たまま 出かけたんだけど、でも 途中で 思ったの。
もし、私が お祭りをとても楽しみにしている あんまりお祭りなんて しょっちゅうないところの子だったら、そして、やっと楽しみにしていたお祭りにいけると思ったのに、せっかくお祭りのために用意した とっても気に入っている浴衣がなくて、いつもの格好でお祭りにいかなくちゃならなかったら どうかな・・って。」

 私は はっとした・・。

 「私、とても 嫌だと思ったの。すごく いやだなぁ・・って。それなら 行かないほうがいいと思うだろうなって。」
 「のぶこちゃん・・・」

 「それでね、途中で 太一君たちと別れて、うちに戻ったんだよ。房ちゃん、そのとき、まだ 泣いていたから、私が戻ったのに気が付かなかったみたいだったけど、私、房ちゃんの泣き声聞いて、わるかったなーって 思ったの。」

 「そんなことない!そんなことないよ、信ちゃんは全然悪くないよ!・・私のほうこそ。」

 「夏祭りは 一年に一度だし、房ちゃんは 毎年 お祭りにいけるわけじゃないんだもん。それなのに、せっかく用意した浴衣を着ていこうと楽しみにおもっていたお祭りに、それを着ていけないってなったら、それは すごく悲しいし 腹も立つよね。私だって きっとそうだと思うよ。
 それなのに、私は 自分だけ新しい浴衣を着て、房ちゃんをおいて お祭りに行こうとしたんだもん。」

 信子ちゃんは うつむいて、ちょっとの間黙っていた。

 のぶちゃん・・?

 信子ちゃんは 少し顔を上げると ごめんね といって、困ったように笑った。月の光が 信ちゃんの大きな黒い目にすこーしだけ浮かんだ涙を 見せた。

 私は・・、信子ちゃんの手をとって、「私のほうこそ・・、本当に ごめん。ごめんね。せっかくのきれいな浴衣で お祭りにいけたはずなのに、私のせいで。ごめんね。」と 急いで言った。

 しばらく おたがいにあやまりっこが続いたけれど、少したって、私たちは 明日は ちゃんと 二人でお祭りに行こう と 約束した。
 信子ちゃんは、浴衣は着ない と言い張ったけど、私は 絶対 着て!といった。

 (もういい。こんなに気にしてくれる信子ちゃんがいるんだもの。それに、浴衣を忘れたのは、自分だってよくなかった。自分で ちゃんと荷物に入れればよかったんだ、それなのに お母さんばっかり責めて・・。きっと お母さん、本当に 困っただろうなぁ。おばあちゃんも 私のこと しょうがない子だって がっかりしたかもしれない。悪いことしちゃた・・。)

 私たちは、夕べできなかったおしゃべりを 二人で布団の上に腹ばいになって すっかり眠くなるまで ずっと続けた。


 次の日、
おやつが終わると、おばあちゃんはお母さんに何か言い、お母さんは2階に上がっていった。
 しばらくして戻ってきたお母さんは 白っぽいものを持っていて、私に向かって差し出した。

 「これ、夕べ あんたが眠っている間に おばあちゃんたちとで作ったんだけど、どうかな?」

 私は 急いで それを広げてみた。
白っぽい地に 紺色の棒縞柄が 少しずつ濃淡をずらして描かれたものだったが、すそと袖の表側、それから胸と襟のところどころに いくつかの濃いピンクと淡い水色の朝顔が、緑の葉やくるくると棒に巻きついたつるといっしょに 縫い付けられていた。

 「わぁ・・!」「すてきー!」
信子ちゃんも びっくりしてみている。おばあちゃんが ニコニコして 私たちを眺めていた。

 「夕べさ、あんたがあんまり泣くんで、おばあちゃんがかわいそうだっていって。」

 「この布地は お父さんのために 私が昔仕立てた浴衣だったんだけど、それだけじゃあんまり地味だしかわいそうだっていって おかあさんと信子のおかあさんが 私が取っといた房子の小さい時の浴衣から 色のきれいなところを使って、朝顔にして 縫い付けてくれたんだよ。」

 「・・すごーい・・・。」 私は 言葉が出なかった。
「房ちゃん いいねー。すごくおしゃれでいい感じだよ。ね。だって こういうの どこにもないじゃないの。ね、恭子おばさん、お母さん。ねぇ おばあちゃん!」

 おかあさん・・ ありがとう、ごめんね。おばあちゃんも洋子おばちゃんも ありがとう・・。


 「房ちゃん、できた?」
信子ちゃんが 2階にあがってきたので、私は 急いで おかあさんに帯を結んでもらった。

 「あー、いいねー。すごく似合うよー。かわいい!」「信ちゃんも すごくかわいいよ、キレイ。」

 帯だけは どうにも間に合わなかったので、信子ちゃんのお母さんの洋子おばちゃんが、信子ちゃんが去年使っていたのをきれいにしまっておいたから といって、出してくれたのを借りたけれど、 私は とっても満足だった。だって、この浴衣は すごーく 特別のものだから。

 ”お父さんの着ていた浴衣”を使って、”お母さんとおばあちゃんと洋子おばちゃんがかわいく仕立ててくれた”私の浴衣。
 この浴衣は、どこにもない浴衣。お父さんとお母さんとおばあちゃんと洋子おばちゃんの気持ちがたっぷり詰まった 世界にたった一枚の 私のための 私だけの浴衣・・!

 

 下では お父さんやおばあちゃんやおじさんと洋子おばちゃん、太一君や次郎ちゃん、それから 太一君たちのお母さんとお父さんが、上でしたくしていたお母さんと私を待っていてくれたが、みんな 私たち三人が一緒に降りていくと、おおーっといって、沢山 キレイだとかかわいいとかほめてくれた。

 今日は、やっと 仕事が終わって ようやくこっちに着いたお父さんも一緒に、みんなで お祭りに行くことにしたのだ。

 私は、信子ちゃんと手をつないで、これも借りた掃きなれない下駄に 時々躓きながら、暗い夜道を、みんなで ぞろぞろと 神社のほうへ歩いていった。

 あちこちの家から 子供たちが走り出てきたり、浴衣に団扇のたくさんの人たちと前後して、私たちは おしゃべりしながら、お祭りをやっている小山の神社を目指した。

 ふと 袖を引っ張られて下を見ると、小さい次郎ちゃんが 手を伸ばしてきたので、私は信子ちゃんと二人で 次郎ちゃんを間にして 歩いた。

 「おねえちゃんのこと おとなみたいだなーって 兄ちゃんが言ってたよ。」

 私は 思わず 後ろを振り向いた。そのとたん、自転車に飛び乗った太一君が、めちゃくちゃに飛ばして 人ごみの中を 走り抜けていった。

 私と信子ちゃんは 顔を見合わせて 大きな声で 笑った。

 沢山の星たちがにこにこしているような濃紺の空の下、にぎやかな祭囃子と虫たちの声が 少しずつ明るくなる道いっぱいに大きく響いていた。


 このお話は もしかしたら どなたかが 似たような別のお話を思い出されるかもしれません。

 実は、私は その似たような別の話を書きたかったのですが・・、どうにも元になる本を見つけたり探し出したりができず、結局、思い出される部分と毎度のように、自分で作った部分とをあわせて、ひとつの物語にした次第です。

 覚えているのは、浴衣がお父さんのものお母さんがつくったという部分と房子という名前田舎お祭りに行く、そして、一枚の挿絵だけでした。

 でも その挿絵も 本当に 思い込みのような記憶で・・、だから あんまり当てにはならないのですねー。

 この話も なんども なんども ふと 思い出しては、あまりに思い出せる部分が少なくて、ずっと後回しにしてきたお話です。それでも 今回 書いてみようと思ったのは、やっぱり 8月だからというのと、先日 葉山では花火大会があって、それを見に出かけたときに 沢山の浴衣姿の女の子たちをみたから というのもありました。

 今は もう 手縫いの浴衣など、本当に 珍しいことでしょう。私だって、縫い物は嫌いじゃありませんし、かつては 自分の浴衣も 授業の一環としてではありますが、とりあえず 縫ったことはあります・・けれど、とても 一晩じゃ・・ と おもいます。

 でも、慣れた人は できるんですよねー。和裁のよいところというのは、その人のための原型がなくてはならない というものではない、どちらかというと ポイントさえ知ってできてれば、後は 殆どまっすぐなので、ミシンなどなら尚のこと、割に簡単に縫える。特に 一重仕立ての浴衣などは、というところでしょうね。

 私のなくなった母方の祖母も 一晩で 小さかった私の綿入れを 手で縫ってくれたことがあります。昔の人は、本当に たいしたものだと 思います。

 

 さて、このお話、二人の女の子が出てきます。
  (別に 男の子は特には必要ないとも思ったのですが、うろ覚えの挿絵の中に ランニングシャツの男の子の絵が描いてあったように思って、やっぱり 入れといたほうがいいだろうなんて思ったので、添えました。ついでに弟も。)

 彼女たちの心の行き来。ちょっとしたことではありますが、もし 自分が相手だったら・・と思うことは、人を思いやるためには よく言われることですが、実際には なかなか できにくいことではないかな・・と 私などは思ってしまうのですね。

 このお話の場合は 小学校高学年ですね、そのくらいの女の子達だと、もう こういうことは しようと思うとできるものです。そういう相手に対する思いやりというか・・心遣いは、でも できることなら 日常の小さな出来事を持って ある程度習慣づけるようなところがあると、ここぞ というときに 必要な心遣いを さりげなくすることができるように思われます。

 人間の想像力なんて 本当に ちっぽけなものです。自分と似たような格好をしていたとしても、あるいは 例えば自分のおなかから生まれ出たものだとしても、人は 自分以外のものの思いなど、なかなか わかるものではありませんし、どんなに身近な相手でも、決して 自分と同じようには感じたり思ったりは 恐らくできないのではないかと思います。

 そういう時は、このお話の女の子たちのように、ちょっとだけでいい。もしも 自分が相手だったら・・と 思ってみることは、それが まったく 的外れであったとしても、大事なことだろうと思われるのです。

 でも、おそらく そういう時は まったく すっかり的が外れているということは、多分 あんまりないだろうとも思うのですが、ただ、その思いの度合いは やっぱり どうにもわからないものだろうな・・とは 思います。 私たち人間の、有限のものの 悲しい性(さが)というものでしょう。

 だからこそ、そう、だからこそ それでも 懸命に 相手だったら・・と 考えることは、とても 求められることなのではないだろうか・・ と おもうのですが、

 あなたは どう 思われますか・・?

 



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