10月のお話 福の神になった貧乏神 |
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このお話は ご存知でしたか? 大分前に テレビで見たような記憶があるのですが、こんなお話だったかな というところです。 このお話にも 貧乏神の住む働き者の若者のところに、もっと働き者の嫁さんが来て、二人で一生懸命働いたので 貧乏神が出なくてはならなくなった とか、ずっと居ついていた貧乏神が、ある年の暮れに福の神と入れ替わりになるというとき、家を離れるのが辛くて泣いているところを、気の良い夫婦が 元気をつけさせて応援し、福の神を追い出したので、裕福にはならなかったけど、ずっと 楽しく暮らした などなど・・、いろいろなバージョンがあるようですね。 それにしても、嫌われ者の貧乏神を、よくも引きとめたものですねー、このお話の中のだんなさん。おまけに その理由に納得して 一緒に お奉りしちゃうなんて・・、きっと もともと ほんとに気のいい夫婦なんでしょうね。 そういう気持ちが、きっと 二人に福を運んできたのでしょう。 貧乏神のせいで こんなに酷い暮らしなのだ というのは簡単でしょうし、恐らく そういう風に考えることで どうにも抜け出せない惨めな暮らしを 受け入れようとしたのかもしれない昔を思ってしまいますが、そこに ちょっとした風穴を開けたようなこの話は、とても 新鮮な感じがします。 熱心や熱意が ”それはそういうもの”と思われて当然と見られることにでさえも作用して、願っていたことを実現する という、そんなことのようにも思えます。 これは”そういうもの”とするのは簡単ですし、それで 諦めがつくのなら それでもいいでしょう。でも、ここまでしているのに どうして?というようなとき、これは ひょっとしてなにかがずれているのかな とか、もっと やれることがあるんじゃないか と やり方を変えてみることは、それこそ”それはそれで当たり前、そんなものだ”の陰気な貧乏神をも 陽気で沢山の福を授ける福の神にしてしまうのかもしれません。 神様なのだから と引き止めた夫婦には、人を超えたものを敬う心があり、分をわきまえて、相応な働きを惜しみなく行った という素直さがあったようにおもえます。 実際は、彼らが彼らを幸せにしたのであって、一体 その神様は 何をしたのか??と 考える遠藤は、福の神になった貧乏神を、つぼを押さえて うまいことをする 面白い神様だな。。と 思ったりもしています。 あなたは どう思いますか? |