11月のお話 猫の踊り場 |
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昔、戸塚の町に、代々続いた「水本屋」(みずもとや)という 醤油屋さんがありました。 その店には、主人とおかみさんとその娘が、長年勤めている番頭と小僧をひとり置いて、毎日 せっせと忙しく働いていました。 幸い、店はお客様のごひいきも沢山にあって、とても繁盛していました。 ところで、その店には 一匹の黒い猫が買われていて、とてもおとなしく、人の仕事の邪魔をしないで、でも 猫好きの人のご来店には、そそっと出ていっては、頭を撫でてもらいながら お客様のお相手をするなど、これも 愛想の良い猫ではありました。 醤油屋ですから、お客様の持ってこられた入れ物に、樽から醤油を注ぎます。手や樽の注ぎ口、入れ物などに醤油がたれ、それをふき取ってきれいにしてから、お客様にお渡しするのですが、そのとき使う手ぬぐいは、醤油を拭くものですから、見る見る汚れてしまいます。でも これは仕方のないことですよね。 ですが、店の主人は、とてもとてもきれい好きで、見た目を気にする人だったので、いつもさっぱり洗ったきれいな手ぬぐいを使うように、毎日 必ず汚れた手ぬぐいは洗うように、と 口をすっぱくして皆に言いつけていました。 店のものは 皆 言いつけに従って、いつもきれいなてぬぐいをつかっていましたが、そのためには、毎日 当然 汚れた手ぬぐいを洗濯しなくてはなりません。 ある日、いつも朝一番に起きる主人が庭に出て、手ぬぐいを取り込もうとしたところ、
主人の手ぬぐいが 見当たりません。 新しい手ぬぐいを下ろし、その日は、また いつものように 忙しく働きました。 次の日、今度は おかみさんの手ぬぐいがありません。。。 たかが手ぬぐい数本、どうということはないのですが、それでも 誰も気付かないときに、誰かが来て 店のものを持っていったとなると、やはり 商売としているところですから、心配です。それより何より、なんで 手ぬぐいなんか・・と、薄気味悪い思いがしてきました。 その晩、小僧は 寝ずの番をして、雨戸の隙間から 庭を見つめていました。 最初こそ、一生懸命みはっていたのですが、やはり 昼間の疲れが出てくれば、真夜中すぎには うとうとしないではいられなくなってしまいます。 すると、まるで それを待っていたかのように、番頭さんの手ぬぐいが ふわりと宙に浮いたかとおもうと、す〜っと地面を這うように 動き出すではありませんか。 小僧は、がらっと雨戸を開けると、こら、待てー!!と 怒鳴りながら飛び出したのですが、あっというまに 手ぬぐいは 暗闇の中に消えていってしまいました。 騒ぎを聞きつけた皆がおきだし、小僧の話しを聞くと、おかみさんは、本当に怖くなって、もういいから、早く戸締りをしっかりして もうわすれておくれ、といいながら 娘と一緒に部屋に入ってしまいました。
それから、しばらくたったある日の夜。 丘に差し掛かったとき、主人は ふと なにやら 話し声を聞いたような気がして、足を止めました。そして、声のする方に そっと近づき、草むらを分けてのぞいたところ、そこにはなんと 沢山の猫たちが集まって にゃごにゃごやっているではありませんか。 よく見ると、その猫のうちの何匹かは 頭に手ぬぐいを姉さんかぶりにしています。 猫たちは、そんなこととはつゆしらず、おしゃべりを続けています。 「今夜は おっしょうさま、おそいねぇ。」「今日こそ、私が手ぬぐいをもらう番だよ。」「何を言っている、それはオレの言うせりふだよ。」「いやいや、あんたはまだまだ。私こそ、今日一番にうまく踊って、手ぬぐいをいただくさ。」 ははぁ・・、さては 手ぬぐいは そのおっしょうさんが盗んで持ってきていたというわけだ。主人は すっかり酔いも吹っ飛んで、面白くなってきていました。 やがて、猫たちが ざわざわしだし、あっちこっちで、「あ、おっしょさんだ。」「おっしょさん、こんばんわ。」という声が聞こえました。 息せき切って遅れてきたのは、なんと、水本屋の黒い猫。 「やぁやぁ、おそくなってすまんね。さて、月も昇った。始めようじゃないか。」 そういって、水本屋の黒猫は、みんなの前に立って、チントンシャン、テテツツ、テンツツ、ツテテテテン・・ と 口三味線を取り出したのです。 皆、一生懸命、前足を振り上げ、腰を揺らし、しっぽをたてて、うまい具合です。
さて、翌朝。 その日の晩、店を閉め、すっかり仕事が終わったとき、主人は言いました。 「さ、みんな、出かけるから支度をしなさい。」「え?皆で出かけるのですか?どこへ?」 おかみさんの聞くのにも主人はおかしそうに笑いながら「まぁ、いいからついておいで。」というばかり。皆は 不思議に思いながらも、ぞろぞろと 主人の後についていきました。 そして、丘に着くと、主人は 皆に言いました。 皆は、主人の後について、そぉっと身をかがめながら 草むらの中を進みました。 さて、今日は満月です。あたりは 明るく照らされて、ぐるりと囲んだススキを涼しい風が揺らして、丘の上はまるで、沢山の猫たちが踊るための舞台のようでした。 沢山の猫たちは、きょうも 何とか手ぬぐいを自分のものにしようと、一生懸命 おっしょさんについて 踊っていました。 水本屋の皆は、自分たちの見ているものを にわかに信じることはできませんでしたが、でも 見ていると とてもおかしいし、楽しい。なにより、自分たちの猫がおっしょうさんというのが、とても 愉快でした。 ふと、気が付くと 店の黒猫は、今日は小僧の手ぬぐいを持っています。今日、うまく踊った猫には、小僧の手ぬぐいがごほうびというわけです。
皆、帰る道々、あの猫がうまかった、あの猫は まだまだ 練習しなくちゃいけないね。などといいながら、珍しい面白いものを見たことを 楽しく語り合っていました。 最初のうちこそ、皆、黙っていましたが、誰かが話したのでしょう、そのうち、町でも 猫が踊るということが評判になり、そっと見に行く者たちが増えてきました。 でも、そんなにすれば、猫たちは すぐに気付きます。 相変わらず、水本屋の黒猫は、店のお客の相手をしたり、娘のお稽古をじっと見つめたりしていましたが、あるとき、出かけていったっきり、とうとう帰ってきませんでした。 店の皆は、黒猫を思って、あの丘に碑を立て、猫を偲んだということです。 今では その碑は もうなくなってしまいましたが、ただ、猫が踊った場所ということで、猫の踊り場は、今も”踊り場”という名前で 残っているということです。
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