1 たいそう昔のこと、大神ゼウスは、まずは動物たちなどを作って、それぞれに 誰も勝つことのできないくらいの強い力や何よりも早く走れる足、大空を自由に飛べる大きな翼や水の中をすばやく泳げるひれなどを 与えました。
いろいろな生き物を作った最後に、ゼウス神は 人間を作りましたが、それは 強い力も、速い足も 大きな翼も しなやかなひれも 何も持っていない裸のままだったのです。
人間は、沢山の生き物たちを見回して、自分には何もないことを不満に思い、大神ゼウスに文句を言いました。
「神様、どうして 私だけが何も持っていないのですか?みんなは それぞれ強い力や速い足、大きな翼やしなやかひれを持っているのに、私は、このとおり、裸のままです。」
すると ゼウスは言いました。
「私は お前を何よりも大事に思っているのだ。強い力も速い足も大きな翼もしなやかなひれも、それはそのためだけのものだが、お前には それら全てに勝る力、理性を与えてあるのだから。」
「理性? 理性とはなんですか?」
「理性とは 我々神々の間でも、これから増えて地に満ちていく人間たちの中でも 何にも増して、大きな力になるものだ。理性は どんなに強いものよりも強く、どんなに足の速いものよりもすばやいもの。よりよく使えば使うほど お前は豊かになっていくというものだ。」
人間は、ゼウス神が与えてくれたものがすばらしいものだと知ったので、心から感謝いたしました。
人間は 皆、理性を授けられています。
それなのに 時々 そんなもの、一体どこにあるのだろう?と思うような人たち、つまり感情も理性も持たない動物のような人たちを見ることがあります。
|
2 ずっと昔のあるときのありは 人間だったのです・・。
その人は 畑仕事をする人でしたが、自分の畑でできるものだけでは不満で不満で、となりの家の畑や近所の家々の畑にできた作物をうらやましがっては、たびたび盗んだりもしていました。
大神ゼウスは その欲張り人間のしていることを見て、
「なんと欲の深いいやしい奴だ! ひどい罰を与えてやろう。」といって 今、私たちが ありと呼ぶ生き物に 変えてしまいました。
けれども、このありになった人は、そんなことをされても ちっとも やることを改めることをせず、いつでも ちょこちょことあちこちの畑を歩き回っては、あっちの大麦、こっちの小麦 と拾い集めて しょっちゅう 自分のところにため込んでいます。
これは 生まれつき性格の悪い人は、どんなに酷く罰を受けたところで、その性根はちっとも変わらない ということを いっています。
|
3 取った鳥を売って暮らしを立てている鳥刺しの男が、あるとき 鶴をとろうと 網を張って遠くから見張っていました。
しばらくすると 数羽の鶴がやってきて 忙しく餌をあさり始めましたが、よく見ると 中に一羽、コウノトリが混じっています。
そのうち、何羽かの鶴が 鳥刺しのかけた網に掛かったのですが、その時いっしょに あのコウノトリも掛かってしまいました。
鳥刺しが 急いでかけよって、網に掛かった鶴を取り押さえ、さて ではコウノトリも と おもったとき、コウノトリが 一生懸命 言いました。
「私は どうか 放してください。だって 私は 鶴たちと違って、人間たちが困るようなへびやトカゲなどのいろいろなわるい虫を食べて いつも 皆さんのお役に立っているんですから。」
すると 鳥刺しはいいました。
「もし、お前が本当にわるいやつじゃなかったとしても、悪い奴らと一緒にいて ここへ飛んできたんだから、鶴と同じ目に会うのは しょうがないことだ。」
悪いものたちと関わるのは(付き合うのは)やめなさい というこのお話は、よくないものとわかっていて一緒にいるのは、結局 よくないものたちが受けると同じ酷い目にあうことになる という 言い聞かせです。
|
短いお話を三つ、新年のお話としました。 すべて イソップ童話ですね。
最初の話は 人間なら 誰にでも与えられている理性について。次のお話は 生まれつきの性格は変わらない という話し。最後のお話は、朱に交われば赤くなる という話。
夫々、さもありなんとうなづけるようなものばかりです。
私は もう半世紀以上も 人間をやっていて、なんどもなんども年を新しくしてもきましたが、みてください、私の意識と記憶がはっきりしてくるころから 今に至るまでの間、人はいつも いつでも その愚かさによる 他人と自分を貶める行為を繰り返し続け、それは 一向 なくなるようすがありません。
今年こそは と なにを心がければよいでしょう?
今年の目標って・・?
理性を持った人間として、それをより良く働かせながら、生きたいものです。
確かに 生まれながらの考え方や感じ方、物事の捉え方というものの傾向というのは、それぞれあって、それは 恐らく何も考えないときやとっさに行動するときなどにでてしまう傾向なのだろうとは思います。
生まれつき悪い奴は悪い奴 かもしれません。ひょっとしたら 本当に、何をやっても 変わることのない 根っからの悪党 というものがあるのかもしれません。
(自分でも これ以上生きていると 今まで以上の事をしてしまうから と死刑を願った者もありました。)
若い人たちや子供たち、そして自分は弱いところがあると思っている人たちは、できるだけそういう人たちに近づかないように、かかわりを持たないように と 願います。
見分けるのは いつも 難しい。なぜなら そういう人たちは 羊の皮をかぶった狼だからです。ちょっとみると 普通の人、もしかしたらいい人に見えることもあるからです。
人間は 弱いものです。強い暗い大きな力には なかなか そのままでは勝てません。
だからこそ、私たちは もてる理性を知恵や連帯意識や防衛本能などにして、時に自分を守ったりもしています。それが 不十分であっても、できるだけの事は し続けなくてはなりません。
ところで、私たちには、愛する という力があります。愛するということは、時に 恐れを克服し、賢明な判断を何よりも優先する勇気に変えることができます。
どうか、今 苦しい思いをしている人たち、独りにならなずに 自分に理性と愛する力のあることを思い出して、勇気を持って 苦しんでいることを 人に伝えてください。
知らされた人たちは、どうか それを伝えた人の話を まじめに聴き、何ができるかを 信頼できる人に話しながら 一緒に 苦しい立場の人とそのことを共有してください。
人が生きる中では これまでも これからも いじめがなくなることはないでしょう。
だからといって ただ されるままになるのは 間違っています。(いつまでも 同じ事を繰り返して、矮小な優越感に浸っているのは ありのような情けない人間でしかありません。)
何よりも 今の不愉快な現状を 打ち砕きたい と 願ってください。
年頭に当たり、うまくいえないままに 思っていたことを 書き連ねました。
力強い歩みの よい一年になりますように!!
|