6月のお話 腐ったりんご
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あるところに、仲の良い夫婦がいました。
二人の家は 屋根に草が生え、窓は年中開けっぱなし、庭にはアヒルがよたよた、りんごのきがありましたが、大して実をつけるほどでもなく、また 畑仕事にそれほど役に立つようでもない馬が 一日中草を食べて突っ立っていました。 あるとき、亭主は 町で大きな市が立つというのを聞き込み、そろそろお金も底をつき始めていたので、持っているものと何か良いものとが交換できるかもしれないと思って、おかみさんに言いました。 「町の大市に行って、うちのなにかと交換してこようと思うんだけど、何を持っていったらいいかな?」 おかみさんは 亭主のネクタイを結んでやりながら、朗らかに言いました。 そういわれた亭主は「そうかい。それじゃ そうするよ。」と答え、馬を連れて町まで出かけていきました。 しばらく歩いていると 向こうから、牝牛をつれた人に出会いました。 牝牛を連れた人は、大喜びで馬を連れて行きました。なにしろ、年取った牝牛よりは馬のほうがずっと高いのですから。 牝牛を手に入れた亭主は、しばらく歩いていると 今度はガチョウをつれた男に会いました。亭主は 以前、おかみさんが「うちの池にガチョウがいたらいいのにねぇ。」と言っていたことを思い出して、その人に向かってガチョウと牝牛を交換しませんか、と言いました。 男は喜んで ガチョウを亭主に渡しました。なにしろ、ガチョウよりは牝牛のほうがずっと高いのですから。 また しばらく歩いていくと、今度は めんどりを抱えた人にあいました。亭主は、めんどりがいたら毎日卵を食べられる・・と思い、その人にガチョウと交換しませんか と尋ねました。その人は 喜んで交換してくれました。なにしろ、ガチョウのほうが雌鳥よりも高いのですから。 そろそろ町に着くというころ、亭主は こんどは大きな袋をかついだ人と出会いました。 亭主は そうだ、と思い出しました。以前 おかみさんが、「うちのりんごの木も もっと沢山実をつけてくれるといいんだけどねぇ。ああ、一度でいいから 腐るほど沢山のりんごを持ちたいものだよ。」といったことのあるのを 思い出しました。 そこで、亭主は その人に めんどりと腐ったりんごを好感してくれるように頼みました。 さて、亭主は 腐ったりんごがいっぱい入った重い袋を担いで、ようやく町に来ました。 沢山歩いて、いろいろな人たちと話をし、それぞれ交換しあったもののことを考えながら、おいしいビールを飲んでいると、暖炉のそばにおいておいたりんごの袋に火がついて、少し燃えてしまいました。 酒場の中は りんごの焼けるいいにおいで いっぱいになりました。 すると亭主はニコニコして言いました。「いやいや、うちのかみさんは コレを持っていくときっと喜んでくれますよ。」 ところが、亭主は その男にこそびっくりして なんども 大丈夫ですよ、本当に うちのかみさんは大喜びしますよ、と 繰り返しました。 そこで、亭主の言うことを どうしても信じられないその男は、実は自分は大変な大金持ちなのだが、あなたの奥さんが 本当に このりんごを持って戻って それを喜んだら、私は 樽に一杯の金貨を上げますよ。と言いました。 そして、半分焼け焦げてしまった腐ったりんごを背負った亭主と金持ちの男は 連れ立って 田舎の家に戻っていきました。 家に戻ると おかみさんがニコニコして 二人を出迎えました。亭主が おかみさんに 半分焼け焦げてしまった腐ったりんごを見せると かみさんは 手を打ってよろこんでいいました。 それを聞いて 金持ちの男は、頭を振り振り 樽いっぱいの金貨を亭主に渡したということです。 このお話は ご存知でしたか? なんとも おかしな話ではありますね。いわゆる’わらしべ長者’物なのでしょうけれど、それにしても 話しの展開がおかしいです。 この夫婦、似たもの夫婦なのでしょう。お互いにのんびり、物事を難しく捉えない鷹揚なところがありますね。まぁ、これで暮らしてこれたというのですから、それが一番の仲の良さのちなみというものでしょう。価値観がおなじなのですねー・・。(これは 一緒に暮らすには とっても大事!) しかし、価値観というのは 愉快なものです。 自分にとって 無価値、意味の無いもの と思っても、ある人にとっては 良いものであり、楽しいものであり、嬉しいものであり、助かるものかもしれない というのは、ちょっと考えるとありそうですよね。 事柄、出来事もきっとそうでしょう。 それにしても、お父さんの選んだことに間違いは無いんだから、と言い切ってしまうおかみさん。いいですね。おかみさんは亭主を信頼し、亭主はおかみさんの信頼に応えようと考える。 あなたは いかがですか?
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追記 毎日新聞「子育て」欄 ”読んであげて”より 2007年6月16日 掲載分
むかし、ばかみたいに正直(しょうじき)なお百姓(ひゃくしょう)さんがいた。いくら働(はたら)いても暮(く)らしが楽(らく)にならないので、ほかの仕事(しごと)をする元手(もとで)にしようと、大切(たいせつ)な馬(うま)を売(う)りにでかけた。町(まち)の入(い)り口(ぐち)で子牛(こうし)をつれた男(おとこ)に会(あ)った。 「こんなやせ馬(うま)を買(か)う人(ひと)はいない。よかったらこの子牛(こうし)と取(と)りかえてやろう。三年(さんねん)も育(そだ)てれば、乳(ちち)がしぼれる」 と、いうので、お百姓(ひゃくしょう)さんは馬(うま)を子牛(こうし)と取(と)りかえてもらった。しばらく行(い)くと、ふとった子豚(こぶた)をつれた男(おとこ)に会(あ)った。 「三年育(さんねんそだ)てなくても、この豚(ぶた)なら半年(はんとし)で一人前(いちにんまえ)になる」 と、いうので、お百姓(ひゃくしょう)さんは子牛(こうし)を子豚(こぶた)と取(と)りかえてもらった。また、しばらく行(い)くと、めんどりをかかえた男(おとこ)に会(あ)った。 「半年育(はんとしそだ)てなくても、このめんどりなら庭(にわ)にはなしておくだけで、あしたからたまごを生(う)む」 と、いうのでお百姓(ひゃくしょう)さんは子豚(こぶた)をめんどりと取(と)りかえてもらった。 にぎやかな通(とお)りへ出(で)ると、まんじゅう屋(や)があった。お百姓(ひゃくしょう)さんはおかみさんがまんじゅうの大好(だいす)きなことを思(おも)い出(だ)し、めんどりをまんじゅうひとふくろと取(と)りかえてもらった。 それを見(み)ていたお金持(かねも)ちがいった。 「どうしてめんどりをまんじゅうなんかと取(と)りかえる」 お百姓(ひゃくしょう)さんはこれまでのことを話(はな)して、 「まんじゅうは、かあちゃんへのおみやげだ」 と、いった。すると、お金持(かねも)ちはあきれて 「そんなばかな。この世(よ)に馬(うま)がまんじゅうになってよろこぶおかみさんなんているもんか」 といった。 「いいや、かならずよろこぶ」 「とんでもない。もし、そんなおかみさんがいたら、あり金全部(がねぜんぶ)くれてやる」 頭(あたま)へきたお金持(かねも)ちはお百姓(ひゃくしょう)さんの家(いえ)までついていった。お百姓(ひゃくしょう)さんが馬(うま)がまんじゅうにかわってしまったことを話(はな)すと、おかみさんはよろこんで、 「とうちゃんのすることはみんなよいことだ」 といった。おかげでお金持(かねも)ちはあり金全部(がねぜんぶ)を渡(わた)すはめになったそうな。 ・・というのを見つけました。 ちょっと 嬉しくて おかしかったので、追記として載せます。 いくつかの国で 似たような話があると 本当に あなたは いかがですか?
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