7月のお話  もの言う猫
 

 昔、京都のある小さなお寺で 年取った和尚様が一匹の猫と仲良く暮らしていました。

 その猫は もうずいぶん長いことお寺に住み着いていて、いつも和尚様のそばのどこかしらにいました。お参りに来る人たちは 皆 和尚様について回る猫を見て、良い猫だ、とか賢い猫だ、優しい猫だ などと言い合っていましたが、和尚様も お経を上げに出かけて遅くなったりすると、留守番をしている猫にあいたくて 急いで戻ってくるほどでした。

 ある日のこと、和尚様は朝からおなかの具合が悪くて、なんどもかわやに立ちました。

 何度目かに 和尚様が かわやに入ったとき、裏の庭木戸の向こうから 誰かが呼ぶ声がしました。

 声は 「おい、おい。これ、これ。」と 誰かを呼んでいます。
でも お寺には 和尚様のほかには、あの猫しかいませんので、和尚様は どうしたものかと落ち着きません。

 すると、お寺の中から あの猫が 飛び出してきて 裏木戸を急いで開けようとしました。

 和尚様は、猫がそんなことをするとは思わなかったので、おなかの痛いのも忘れて じっと見ていました。

 猫は 裏木戸を開けながら、「さぁさ、どうぞ。」と 人の言葉を言うではありませんか。和尚様は びっくりしましたが、その裏木戸をくぐって入ってきたものを見て、もっとびっくりしてしまいました。

 なんと それは 一匹の大変年を取った猫だったのです。

 「いやいや、久しぶりだね。元気にしていたかね?」
「そうだね、久しぶりだ。私は元気だよ、こちらの和尚さんは とてもよくしてくれるしね。」
「そうだってねぇ。良いところを得たものだよ、お前さんは。」
「ああ、全くだ。」

 猫たちは まるで 普通の人間たちが話をするように 世間話をしていましたが、年取った猫が お寺の猫にこういいました。

 「ところで、今晩、月見が原で宴会があるのだよ。いつものように 踊りを踊るんだが、お前さんもおいでな。」
「ああ、それはいいねぇ。そうだな、行きたいのは山々だが・・。」

「どうしたね?なにか 具合でも良くないのかね?」
「ああ、具合が悪いには悪いのだが、それは 私ではなくて、和尚様なんだよ。
今朝から おなかの具合が良くないらしい。だから 今日は行くのをやめて、お寺にいることにするよ。」

「そうかね。残念なことだが・・ それなら仕方ない。では お前さん、ちょいと手ぬぐいを貸しておくれでないかい?」
「それが、貸したくはあるのだが、その手ぬぐいも ずっと 朝から和尚様が使っているので、今日は 悪いが貸すことができないんだよ。」

 年寄り猫は いかにも残念そうな身振りをしながら立ち上がると、よっこらしょ と縁側を降りて、また 裏木戸から 出て行きました。

 「すまないね。また 誘っておくれな。」という お寺の猫の言葉に、年寄り猫は、うんうんとうなずいて よったよったと歩いていってしまいました。

 和尚様は、お寺の猫が 自分のために 楽しみにしていた宴会や踊りの会に行くのをやめたことを思うと、なんと優しい猫だろうか と いじらしくなりました。

 そこで、和尚様はかわやから出てくると、猫の寝ているそばに来て 猫の頭をなでながら
「お前は 本当に 優しいね。ありがとうよ。話は聞いたよ。ずいぶんと楽しみにしていたような宴会ではないか。私は もう大丈夫だから、ほれ、この手ぬぐいをもって 踊りに行っておいでな。」
と 言って、新しい手ぬぐいを猫の頭に乗せてやりました。

 猫は のっそりと起き上がると、うーんと伸びをして 一、二度手足をなめたと思ったら、頭に手ぬぐいを載せたまま、裏の木戸の下をくぐって 走っていってしまいました。

 和尚様は それをみて、よほど楽しみにしていたんだなぁ、それほどのことを 自分のために断ったなんて、本当に 優しい良い猫だ、と しみじみ思いました。

 ところが、その晩から 猫は 帰ってこなくなりました。
踊りに出かけたまま どこへ行ってしまったのか、何日経っても 気配や鳴き声さえありません。

 猫を 大層かわいがっていた和尚様は、すっかり気落ちして、仲のよい隣の寺の和尚様に、あの猫のことを 一部始終語って聞かせました。

 すると 隣の寺の和尚様は、こんなことを言いました。

 「人の言葉を話すとなると、よほどの年月を生きてきた猫に違いない。そういう猫は、そろそろ命が終わりそうになると、飼い主を食べて生き延びるといいますぞ。
  だから いつそうしても良いように、人の言葉を話せるということを ひたすら隠すとも言われておる。

 だが、こちらの猫は、たまさか 人の言葉を話しているところを、和尚様に聞かれてしもうた。そうなると 人を喰ってしまいそうなものだが、そうはしなかった。
 きっと よほど 和尚様が好きだったのでしょうな。だから 和尚様に迷惑をかけないよう、出て行ったのでしょうよ。 」

 和尚様は、それを聞いて、なるほど と思い、とても残念なことではありますが、猫の気持ちを汲んで、それからは あまり悲しまないようにした ということです。

 

 

  このお話は ごぞんじでしょうか? 俗に言う 猫又 のことでしょうね。

 今月のお便りにも 我が家の最後の猫のことを書きましたが、実は 私自身は もともと あまり生き物を好むというほうではなかったのです。

 ほえる犬は怖い、次になにをするのか分からない猫は怖い、いきなり飛び立つ鳥は怖い、しらないうちに死んでいるような魚は怖い・・ と 何でも怖くて、気持ち悪くて、気色悪い。そんな風にしか思えなかったのですね。

 これは でも 今から思うと、幼いころから 動物を嫌う親の、特に母親の影響だったように思います。

 母は、とにかく 猫が嫌いでした。触ったときの 柔らかな体の感触に怖気がたつといって、決して触ろうとはしなかったのですが、それが たった一匹のおとなしい日本猫が、子供たちの小さいころに居つくようになって、子供達が当たり前のように猫に触ったりするのをみているうちに、そんなことがあったことも忘れたように、気が付くと 今は もう、現状 最後の猫である「あんこ」が見えないと探したり、具合を心配するくらいになってしまいました。

 でも、そうだったから というのではなく、やはり 猫というものが始終身の回りにいるのが当たり前になり、猫とはこういうものというのが分かってきたことで、猫を嫌うことがなくなったというのは自分に関しては確かなことでした。

 分からないということは、意味も無く嫌悪する理由にもなりますね。

 うちのあんこさんは御年15歳で 十分猫又の部類に入っているといえましょう。
 確かに人語を解しますし、たまに ふと 人語をしゃべった・・と 思われるときもあります。まぁ 耳慣れてきた、とか よくこういうときにはこうするから という経験から、そんな風にも思うのでしょうけれど、べつに 猫が人語をしゃべったところで、驚愕するほどのことでもなし、長きにわたってともに暮らしてきた猫ならば、あるいはこちらが猫語を話しても良いころなのではないか、なんて、ひょっとしたら 猫の側でも思っているかもしれません。

 猫語もしゃべれない不調法者で・・と言っておいたほうがいいかもしれませんね。

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