遠い昔、大神ゼウスと息子のヘルメスは、地上の人間たちの様子を見て回ろうと、旅人の姿に身を変えて、人間界のあちこちの町や村を 歩いたことがありました。
あるとき、山間のちいさな湖のある村にたどり着いた二人は、その日の宿を求めて 一軒の家の扉をたたきました。
すこしたって、扉がそろそろと開いて 中から 家の主人が 面倒くさそうに 顔を出しましたが、くたびれた様子の二人の旅人を見ると、ちょっと びっくりしたような顔をして、いきなり 扉を閉めようとしました。
旅人姿のヘルメスが 扉に手をかけて、一晩 泊めてもらいたいことを告げると、主人は 両手に力をこめて 扉をばたんと閉め、中から 大きな声で あっちへ行け! と 叫びました。
ゼウスとヘルメスは 顔を見合わせて、なんと心の狭いひどい奴だ とつぶやくと、その家を離れ、隣の家の扉をたたきました。
しかし、その家でも 同じような扱いを受けたので、二人は つぎつぎと その隣の家、またその隣の家・・ と、扉をたたいて回りました。
なんということでしょう!その村の どの家も、疲れて 足を引きずる旅人を 迎え入れようとはしなかったのです。
これほどのひどい扱いをするなど、二人には 考えられなかったので、驚くとともに あきれ果ててしまいましたが、それでも なんとか その日の宿を求めなくてはなりません。
もう ここから先は 次の村まで 家が無いかな と 思うような 湖のほとりのさびしい道筋に差し掛かったとき、二人は 壊れかけたかのような 小さな小屋を 見つけました。
小屋からは 薄明かりが漏れ、人が住んでいることがわかりました。
そこで、二人は また同じ目にあうかもしれないと思いながらも たたけば壊れそうな 薄い扉を そっと たたきました。
しばらくして、小屋の中から 一人の老人が姿を見せ、疲れた様子の旅人を見ると、ちょっと 困ったような顔をしたものの、すぐに なにもないけれど・・ と 中へ招き入れてくれました。
ゼウスとヘルメスは、顔を見合わせて ほっとため息をつきました。
小屋の中には、小柄なおばあさんもいて、二人の姿を見ると、ニコニコしながら、お疲れでしょう、何もありませんが、一晩くらいなら お泊まりくださいといって、粗末なテーブルに 二人をつかせました。
おばあさんは 台所のあちこちを ごそごそとかき回して、ありったけの野菜や肉の切れ端を集めると、その日の貧しい食事の残りに それらを入れて煮込み、あたたかいスープを こしらえてくれました。
おじいさんは その間に、その週に食べる分として 用意しておいたパンをすっかり出して、旅人たちのために 切り分け、お祝い日に飲む為にとっておいた ぶどう酒を二人のコップに 一杯分ずつ 注いでてくれたのですが、そのぶどう酒は それで すっかりなくなってしまいました。
パンとスープだけの つましい食事でしたが、二人の旅人には とても ありがたい 心のこもった おいしい食事でした。
おじいさんも おばあさんも 二人が食事するのを 気遣いながら 給仕していました。
ゼウスもヘルメスも おじいさんとおばあさんが用意してくれた食事を食べてしまうと、その家には もう なにも残ってないことを 知っていました。
それでも 老夫婦は おばあさんの作った食事を おいしそうに食べる旅人の様子をニコニコしながら 見ているのでした。
その晩、ふたりは おじいさんとおばあさんが どうしても ここを使ってくれという ふたりのベッドを使って 休ませてもらいました。
いつも 隙間風から 身を避けるようにして丸くなって眠るような その小さな小屋は どういうわけか その晩は とても心地良く 暖かでした。
翌日、おじいさんとおばあさんは 朝のご飯を どうやって 用意しようかと 早くから 小屋のすみで ひそひそと相談していました。
そして、おじいさんが 隣の家まで 食べ物を分けてもらいに行こうとした時、旅人たちが目を覚まして ふたりに話しかけました。
「おじいさん、おばあさん。夕べは 私たちにたいそうなおいしい食事を 本当に ありがとう。その食事で あなたたちの食べ物が すっかりなくなってしまうのを 私たちは 知っていました。」
「私たちは この地上の人々が どの様にくらし、どんな風に 生きているのかを知ろうと オリンポスからやってきた ゼウスとヘルメスです。」
おじいさんも おばあさんも 腰を抜かして 驚いてしまいました。
まさか こんな貧乏で なにもないところへ 神様たちがやってくるなど 思ったこともなかったうえに、その神様たちに なんという 貧しい食事をだし、とんでもなく 薄汚れたところで 寝かせてしまったか ・・ と 驚きと心配と申し訳なさで いっぱいになって涙ぐんでしまったほどでした。
ところが 二人の神は 言いました。
「この村の人々の心は なんともかたくなで 自分たちさえ良ければという 利己心でいっぱいだった。私は とても 残念に思っている。」
「しかし、あなた方は、見も知らぬ私たちを案じて、一晩 宿として この家を貸してくれました。私たちは あなたたちにお礼をしたいと思うのです。
なにか ひとつ 願い事をかなえましょう、なんでも 言って下さい。」
おじいさんとおばあさんは 顔を見合わせていましたが、それを聞いて おずおずと 言いました。
「私らは もう 長いこと、この村のこの家で、いっしょに暮らしております。子供のひとりもなく、いっしょに年をとってきました。このまま ずっといっしょにいたいと思いますが、どんなことをしても 人間は必ず 死にます。
それは 仕方の無いことですし、かまわないのですが、どちらが先に死んでも かならず 一人が残ります。どちらが残っても その寂しさ 苦しさは、どれほどのことかと なにかのたびに 話しています。」
「神様方、私らの食事やこんなところでの一夜の宿に、こんなお願いも どうかとは思うのですが、できることなら、私ら いっしょに、同じ時に 同じように 死なせてはいただけないでしょうか。どのような形でもかまいません。二人が別々になることなく、ずっといっしょでいられるよう、お願い致します。」
二人の神様は それを聞いて、深くうなずいき いいました。
「わかりました。あなた方の願いはかなえられることでしょう。心配しないで 残りの日々を 仲良く暮らしなさい。」
おじいさんとおばあさんが ひれ伏してお礼を言って 顔を上げると、もう そこには 旅人たちの姿は 有りませんでした。
しかし、その日から 二人の家の台所には 食べ物が必要なだけ いつでもあるようになり、隙間風も 家の中には入らず、粗末なベッドも なぜか 寝心地の良いものになりました。
二人は これも 神様方のお恵みと、それからの日々を 感謝して過ごしました。
そうして、日が経ち、季節もすすみ、あるとき 二人は それぞれ自分たちの命が残り少ないことを知りました。
二人は 朝に晩に湖を見る為のベンチに、手をとりあい、仲良く腰掛けました。
穏やかな夕日が、きらきらと 湖に反射して とても 美しく輝いています。
ふと、ふたりは お互いの身体から 木の芽のような物が伸び始めたことに気づきました。
「ああ、最期の時が来たね。」
「そうですね、神様方が 願いをかなえてくださいましたね。」
「そうだね、これからも ずっと 二人でいられるよ。」
「そうね、これからも ずっと いっしょに、ね。」
そう言い合う間にも 二人の身体は 変化して、しまいには おじいさんは樫の木に、おばあさんは 菩提樹の木になりました。
山間の小さな湖のほとりには 今も、一本の樫の木と、一本の菩提樹の木が 仲良く寄り添い、枝を絡めあいながら 立っているということです。
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