9月のお話  おばあさんのおてがら

  
 

 むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが 住んでいました。

 おじいさんもおばあさんも ずいぶんな年でしたが、とくに おばあさんは 耳が遠くなってしまい、おじいさんとも なかなか おかしな話しをするようになっていました。

 おじいさんが「そろそろ寝ようか。」というと 「こんな時間に どこにいくんです?」と 呆れた顔でいったり、「今日のごはんは 少し硬いね。」というと、「赤くなんかありませんよ、白めじゃないですか。」と言ったりして、そのたびに おじいさんは笑い、おじいさんが もう一度 声を高くして 話しをすると、おばあさんも あらあら・・ と言う顔をして、これまた 笑ってしまうのでした。

 耳が遠くて、話が通じなくても、そんな風に 二人は なかよく暮らしていたのでした。

 ところで、ふたりは、長いこと よく働き、贅沢もしないで つましく暮らしてきたので、気がつくと、だいぶ お金が 溜まっていました。

 あるとき、おじいさんは 一体 どのくらい お金が溜まったのかと、夜、かめをひっくり返して 数えていたところ、ちゃりん ちゃりんという かめにお金を入れ返す音を ききつけた泥棒が、家の節穴からのぞいて それをみてしまいました。

 朝になって、おじいさんと おばあさんは 畳の上に、どろのついた足跡があるのを見て びっくり。いそいで お金の入ったかめのところへいくと、そこには 何もありません。

 「ああ、泥棒に 入られてしまった。」 そういって 悲しむおじいさんを見て、おばあさんも 様子がわかったので、「困りましたねぇ。どうしたらいいんでしょう。」と 涙を浮かべました。

 でも 悲しんでいても どうにもなりません。住んでいる 粗末な家だって 大家さんに借りているのです。家賃も払わなくてはなりません。

 おじいさんは、「しょうがない。お金が無いのだから、働きに行こう。」
そういって、持てるだけの荷物をまとめ、おばあさんには 雨戸を一枚 しょわせました。

 そうやって とぼとぼと 歩いていくうちに、日が暮れ始めたので、ここらで休もうと、おじいさんは おばあさんの背中から 雨戸をおろして 地面に敷き、足腰をのばしました。

 暗くなった森の中で、二人は くたびれはてて、横になっていましたが、ふと なにやら 人声がしたように思ったおじいさんが、声のするほうを見ると、数人の男たちが 大きな荷物をしょって やってくるのがわかりました。

 おじいさんは、急いでおばあさんを起こすと、なんだか よくわけがわかっていないおばあさんに、雨戸をしょわせ、そばの 大きな木のうえに おしあげました。

 おじいさんが その すぐ下に隠れていると、やってきた男たちは、どうやら 泥棒たちのようで、盗んだものを広げては、これ金になる、これは だめだ、などと 言い合っていました。

 おじいさんは あの中に、きっと 自分たちのお金を盗んだものがいるに違いない と おもいましたが、とても 出て行って 取り返すわけにも行かず、悔しい思いで 泥棒たちを見ていました。

 木の上のおばあさんは、木の上に 押し上げられたわけもわからずに、じっとしていましたが、なにしろ 背中の雨戸がじゃまで 重いので 下にいる おじいさんに そっと いいました。

 「おじいさん、おじいさん。雨戸がおもくて こまりますよ。」
すると おじいさんは びっくりして、おばあさんのほうをみあげると、「しずかに!」と 小声でいいながら、だめだめ というように、手をひらひらさせました。

 それをみたおばあさんは、おろしていい と 言われたとおもい、ああ 助かった と、雨戸を持つ手を ぱっと離したので、雨戸は 勢いよく 泥棒たちの上に どたん ばたんと おちてしまいました。

 泥棒たちは 突然のことに、たいそう びっくりして、「天狗だー!」「食われちまうぞー!」と 口々に叫びながら、何もかもを置いたまま、すっとんで 行ってしまいました。

 おじいさんが、おばあさんを 木から下ろしながら、おばあさんのしたことを褒めて、「よくやった、あんたは 勇気があるなぁ。」というと、おばあさんは「この上ほうきなんか いやですよ。雨戸だけで せいいっぱいです。」 というのでした。

 二人は、泥棒たちのおいていった物を 雨戸に乗せて、えっちらおっちら 夜道を もとの家に向かって 歩いていったのでした。

 それからも、ふたりは、やっぱり おかしなことを 言い合いながら、末永く 仲良く暮らしたということです。

 

 

 このお話は ご存知でしたか?

 ほんの先ほど、こんな話しがあることを 知ったのですが、てもとに 元の本がないので、筋は このままだと思いますが、こまかいところは 脚色してあります。

 実家の両親は このお話のおじいさんとおばあさんのように、今も 二人だけでは有りませんが、それなり 元気に暮らしています。

 お話のように、母は だいぶ 耳が遠くなっていて、一回や二回では すっと話が通りません。何かのたびに 大声でいうようなのですが、それでも 時どき ?? と 思うような返事が返ってきたりします。

 そのたびに、笑って済ますことが できればいいのですが、現実には なかなか そうもいかず・・、父などは 毎回、説明と称して、いつまでも 大きな声で、傍から聞いていると 責めるような、そんな物言いをします。

 父も 聞きたいことしか聞かなくなっていますから、それに対して 意見しても、話にならず、どうにも困ったものではあります。

 このお話のような夫婦だったら そうなっても だいじょうぶかな、などと 思いながら、書きました。 まぁ、実際のことは わかりませんけれど・・ね。

 人が 幸せに生きるために必要な物は ユーモアだ、という言葉がありますが、どれだけの人が、それぞれの境遇にありつつ、ユーモアをもって いきているだろうか・・ と。

 このお話は、ある意味、幸福に暮らすという ひとつのヒントのようにも おもえます。

 あなたは どう おもいますか?

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