7月のお話  サン・フェアリー・アン

 

 ああ、重いわ・・ それに たまらなく くさい。

 いったい なんだって こんなことになっちゃったのかしら?

 ああ、そうだったわ。あの ちょっと 考えなしの太っちょの子が、キャシーに抱かれていた私を、むりやり 取って、キャシーにおいかけられるうちに、通りかかった この アヒル池に 放り込んだんだったわ。。

 まぁ、なんてことでしょう・・ ほんとに。

 キャシーが どんなに 悲しんで どれほど ひどく 傷ついて、泣いて泣いて どうしようもなかったことか・・!

 でも 私だって ほんとに 泣きたかった。泣けるものなら 泣きたかったわ。大声で。

 ああ いったい いつまで ここにいなくちゃいけないのかしら・・

 私は、このまま・・ ずっと このまま?  いやだわ! いやだ!

 キャシー! 早く助けに来て! こんな 泥池のなかなんか 我慢できないわ。

 ずーっと 昔、フランスのあるところに とても 素敵なお城がありました。
お城には まるで ケーキに搾り出されたクリームのような、つんと 先のとがった塔が、色のついた瓦におおわれて、あちこちにあって、まさに 妖精のお城そのものでした。

 ある日、そのお城にすむ姫様は、縫い物をなさっていました。

 なにを 縫っていたかというと・・、お人形のドレスとペチコートでした。
それは、硬くて白い陶器の肌に、真っ黒なこれも 陶器の髪、青い目とばら色の唇の とても 愛らしい人形でした。  

 姫様は そのお人形に お母様からいただいた布をつかって、かわいらしいきれいなドレスを ペチコートつきで 作っているところだったのです。

 ちょっと 古風だけど、青い小バラが 縞のようにならんだ布や 本物の手編みのレース、胸の飾りにも 小さなバラを つけました。 

 姫様は 人形にペチコートを履かせ、そのうえからドレスをまとわせると、にっこりなさって いいました。

 「さぁ これでいいわ。きっと 私のセレスティーンは、この子を気に入るでしょう。」

 その日の次の日は、姫様のちいさい姫君の 7歳のお誕生日だったのです。

 そして もちろん、セレスティーンは いただいたお人形が 一目で気に入り、ほんの一瞬も 手放せなくなりました。ちいさい姫君は、その人形に、自分の名前をつけましたので、セレスティーンの人形は セレスティーンと よばれました。

 小さい姫様が大人になって 娘が生まれたとき、セレスティーンは、その娘に 送られ、やっぱり セレスティーンと 呼ばれました。

 お城の日々は、たのしく 麗しく、おだやかにすぎ、セレスティーンは、次の 小さいセレスティーンに プレゼントされました。

 こうして 人形のセレスティーンは、三人のセレスティーンに かわいがられ、それは この先も ずっと 続くように 思われていました。

 しかし・・、第一次大戦が始まり、国のあちこちにひどいことが 毎日起こるようになって、きれいな 妖精のお城にも、鉄砲の弾が飛んできたり、屋根が落ちたりするようになり、ある晩、いつものように ゆりかごに寝かされていた 人形のセレスティーンは、自分の小さなご主人のセレスティーンに 突然抱きかかえられて、まだ 暗い中を、表に連れ出されたのでした。

 大丈夫よ、セレスティーン!私が 守ってあげるからね。

 と 姫様のセレスティーンが言ったとき、セレスティーンは、ふいに 庭に 投げ出されました。小さい姫様が 転んだのです。

 そして 人形のセレスティーンは、後から 走ってきた召使に蹴飛ばされて、枯葉のつもった お堀の中に おっこちてしまいました。

 姫様の手をつかんでいた お母様は、必死で 娘を抱きかかえて 走り始めたのですが、ちいさいセレスティーンは、おかあさまに「お願い、私のセレスティーンを助けにいかせて!」と 何度も頼んで 叫びました。

 「おお、いい子ね、セレスティーン、今は だめなのよ、言うことを聞いて。逃げなくてはならないのよ、私たち!」

 人形のセレスティーンは、小さい姫様の泣き叫ぶ声が どんどん 遠くなって行くのを 枯れたお堀の中で ただ きいているばかりでした。

 おや?なんだ、これ? ほう、こりゃ、いい。俺のかわいいキャシーの土産に ちょうどいいぞ。

 人形のセレスティーンは、枯葉のくっついた体を乱暴に振られたとおもったら、すぐに 兵士の懐に しまわれたのでした。

 

 次に、セレスティーンが 明るいところにだされたのは、これまで居たところとは まったく違う場所、国もちがえば、部屋の様子も、そばに居る人たちも、まるで 違うところでした。

 そこでは、兵士の奥さんが 無事に戻ってきた兵士を抱いて、さんざんに泣き笑いを繰り返し、また その二人の小さな娘のキャシーは、父親からのお土産の きれいなドレスの人形を手渡されて、もう ほとんど 息が止まりそうなくらいに、うれしくて、幸せでした。

 キャシーは 父親に尋ねました。
「とうちゃん、この子、なんてなまえ?」

 父親は そんなこと かんがえたこともなかったので、そうだな・・と つぶやくと
「この子の名前は、サン・フェアリー・アン っていうんだ。」と 適当に答えました。

 それは 敵地のフランスで 何回か聞いたことのある言葉で、どうでもいいさ という 意味でしたが、父親にも キャシーにも そんなことは わかりません、でも キャシーは その名前が とても きにいりました。

 なにしろ フェアリー、妖精という名前が はいっているんですから。これは もう いたるところ きれいなものやいいものなどが 何もないところに、突然 自分のためにだけ やってきた、キャシーには 確かに 妖精に違いなかったのですから。

 キャシーは、サン・フェアリー・アンを いつも 片手に抱いて、いつも 一緒で、とても 幸せでした。世の中が どれほど 悲惨だったとしても。

 かつて フランスの、代々の姫様に だいじにされ かわいがられ続けてきた 人形のセレスティーンは、こうして イギリスの下町、貧しい家の、ちいさな女の子の友達になったのでした。

 キャシーは、今、グリーンピースを 摘んでいます。とても いやそうに。

 だって、自分を引き取ったおばさんは 足が悪いせいか、とても意地悪で、何かにつけて キャシーに あれこれ小言をいうのです。

 今も 窓から じっと キャシーのことを 見ています。

 そして おばさんは、キャシーと同じように、少し離れたところにある、アヒル池のそばにたっている 二人の女の人も 見ていました。

 その年のそのころは かなりの日照り続きで、そのため アヒル池の水が ずいぶん へってしまってい、悪臭はするわ、不衛生だわ・・で 困ったことになっていました。

 そして、池の水がへったことで 現れたものが たくさんあって・・
昔の缶詰の空き缶とか、ビンとか、なべとか、長靴の片方とか、木馬のおもちゃとか、壊れた木のいす とか・・ などなどが、どろどろの中に 重なり合っているのが 見えてきていたのです。

 池のそばにたっている 二人の女の人の一人は 小学校の先生で、もうひとりは その先生と同じ学校で 教えている 男の先生の奥さんで、ついこの間、結婚して フランスからやってきた、ほがらかで 楽しい、素敵な人でした。

 二人は なにやら 池のそばで 話をしていましたが、しばらくすると それじゃ またあとで、といって、それぞれの家に 戻っていきました。

 グリーンピースを つまんでいたキャシーは、あの二人の女の人たちが これから することを思って、どきどきしていました。

 キャシーが この村に来たのは、遠いところから 無事に戻った父親と それを泣いて喜んで迎えた母親が、自分ひとりをおいて なくなってしまったからでした。

 キャシーを見る者は だれもいなくなり、でも 当時は、ほかにもたくさん そういう子供たちがいて、そうした子供たちは、時々、まとめて 田舎で 面倒を見てもらえそうなところへ 送られたのでした。

 キャシーは なにももたず、サン・フェアリー・アンと 二人ぼっちで この村に来たのでした。

 そして、キャシーの不幸は、この村にきた 最初の日におこったのでした。

 

 ちょっと 小太りの 考えなしのジョニーは、光るものや きらきらするもの、丸いものとかが だいすきで、きがつくと そういうものは ジョニーのポケットに しまわれていました。

 キャシーが 村の集会所につれてこられたとき、ジョニーは キャシーの腕に抱かれた つるつるの肌の人形をみて、ほしくなり、キャシーのそばに行って 言いました。

 「おい、それ 俺によこせ。」

 もちろん、キャシーは 猛烈に拒否しました。ところが 相手は 大きくて 力も強かったので、サン・フェアリー・アンをかばおうと身構えたキャシーの懐から、あっという間に 人形を抜き取ってしまいました。

 ものすごい勢いで、金切り声を上げて どんどん追いかけてくるキャシーが 途中で こわくなったジョニーは、ちょうど やってきた アヒル池にむかって サン・フェアリー・アンを 投げ捨てたのです・・!

 サン・フェアリー・アンは、すこしのあいだ 池の水の上にうかんでいましたが、ドレスに水が浸っていくと同時に、ずるずると その きれいな顔も 池の中に しずんでいってしまったのでした。

 キャシーの鋭い悲鳴が あたりに響き渡り、何事かと 飛び出してきた人たちは、小さな女の子が 顔を真っ赤にして、泣きながら 太っちょの考えなしのジョニーの上に 馬乗りになって、めったやたらに なぐりかかっているのを見てしまいました。

 事情を知らない大人たちは、なんという子供だ、女の子だというのに、と。

 あちこち 殴られて べそをかいていたジョニーは 助け出され、キャシーは そのときから 扱いにくい子、と 言われるようになったのでした。

 キャシーは かわいらしい顔をしていたのですが、そのときから 仏頂面のキャシーになり、だれとも 打ち解けようともせず、だれにも 心を開こうともしなくなりました。

 キャシーは ひとりぼっちになってしまったのでした。

 バーンズ先生のフランス人の奥さんが ご主人の長靴をはいて、泥の中から いろいろなものを とりだすたびに、一緒に手伝っている女の先生が 物のなまえを言って、周りにあつまった 子供たちが、それらを 手押し車に乗せて、処分場に持っていくという段取りが、アヒル池のまわりで 行われていました。

 それを キャシーは 木の陰から じーっと 見つめていました。

 キャシーは サン・フェアリー・アンが 助け出されると 思っていたのです・・ が、

 しばらくして バーンズ先生が やってきて、風邪をひくから もうやめなさい と言って 奥さんを泥の中から連れ出して、周りのみんなも それでは と それぞれの家にもどったあと。

 しずかになった アヒル池の中に キャシーは これ以上 できないというくらいに 顔をしかめて たっていました。 
 サン・フェアリー・アンは 助け出されなかったのです。

 

 泥で汚れたシャツを脱ぎ、暖かいシャワーを浴びて、さっぱりした バーンズ先生の奥さんは、遠い国から やってきて住むようになった この小さな村が とてもきにいっていました。

 とりわけ、月夜の晩、アヒル池を見下ろせるところにある 自分の家の窓から 表を眺めるのが 好きだったので、大変な作業をおえて ほっとした今も、お気に入りの風景を見るために、窓をあけたところでした。

 この、陽気で 親切で、なんでも 楽しもうとする フランス人の奥さんは、そのとき なにかを 耳にしたようにおもいました。

 ”なにかしら? 犬?猫? いいえ! いいえ、子供だわ、まぁ! なんてこと!”

 奥さんは アヒル池のなかに 小さな子供が しゃがんで泣いているのを見つけ、いそいで パジャマのまま 長靴をはいて 表に飛び出しました。

 「まぁ!いったい どうしたっていうの?! キャシー! なにがあったの?」

 「奥さんは 取り出してくれなかったの、私の サン・フェアリー・アンが居るのに、たすけてくれなかったから、私は 助けなくちゃいけないの。」

 キャシーは 泣きながら 泥をかきわけいいました。

 おくさんは ようやく 事情をのみこんで、わかったわ、わたしがやるわ、といって パジャマの袖をまくりあげ、泥の中に てをつっこみました。

 カップの破片や ガラスのかけらなど、あぶないものが取り出された後、奥さんは 自分の手に なにか 覚えのある形が触れたのを かんじて、ゆっくりと 取り出してみました。

 サン・フェアリー・アン! と キャシーが言うのと同時に、セレスティーン!という 奥さんの声がきこえました。

 二人は 腰が抜けたように 泥の上にしゃがみこんで、どろどろの人形を 一人は かたく胸に抱きしめ、もうひとりは あまりのことに 驚いたまま、キャシーと人形をみつめていました。

 そうだわ、と 奥さんは 力強く言うと、人形を抱いて泣いているキャシーを 抱いて、自分の家に もどりました。

 ドアを開けて見たことに びっくりしてつったっているご主人に、お湯を沸かして あたたかいミルクを用意するように 言った奥さんは キャシーとセレスティーンと一緒に おふろにはいりました。

  ”まぁ。。 まぁ! なんてことかしら・・! こんなことって・・ いったい!?”

 「キャシー、教えて。その人形のセレスティーンは どうしたの?」
「この子は あたしの子よ。父ちゃんが 帰ってきたとき、あたしにくれた サン・フェアリー・アンだよ。」

 「そうなの?! そうだったのね、ええ、わかっているわ。でもね その人形は 私が子供のころ 私のものだった時があるのよ。そして 私は この子を セレスティーンと 呼んでいたのよ。見て。」

 奥さんは、小さな引き出しから 青い小バラ模様の布地を出して キャシーに見せました。それは サン・フェアリー・アンが 最初にキャシーと会ったときに 着ていたものと 同じ布地でした。

 「ほら、これも ペチコートといっしょでしょう?これはね、私の ひいおばあ様が この人形のために 作ってくれたドレスなのよ。」

 「でもっ!でも、この子は あたしのサン・フェアリー・アンだよ、あたしの子だよ。」

 「わかってるわ、キャシー。そうよ、その子は これからも ずっと あなたの子よ。そして あなたが子供を生んだら きっと その子が かわいがるんだわ。

 ねぇ、キャシー、明日 私たち、この子に 新しいドレスを作ってやりましょう。ペチコートもいっしょに、ね。体も きれいに作ってあげるわ。

 そしてね、キャシー、私たち、これから ずっと 一緒に ここで暮らすのよ、どう?」

 もう このまま 誰にも知られずに、ずーっと 泥池の中にいるのか と 思っていたけれど、なにがなんだか わからないうちに、気がついたら 私、ずいぶん さっぱりして、また こんなに きれいにしてもらって・・ 

 新しい 大好きなドレスを やっぱり ペチコートと一緒に着せてもらえたの。
うれしいわ! ほんとに よかった。

 でも なによりも もっと 良かったのは、私のセレスティーンに また 会えたこと、そして キャシーが よく笑うかわいらしい子にもどって セレスティーンといっしょに 私を大事にしてくれることだわ。

 

 バーンズ先生の奥さんの部屋の窓を 月明かりが照らします。

 窓には、アヒル池を見ながら 楽しそうにはなしをしている、二人の大人と、愛らしい人形を抱いた かわいい女の子が いました。

 

 

 

 このお話は ご存知の方 いらっしゃるかもしれませんね。

 元のおはなしは、遠藤の大好きな イギリスの詩人、エリナー・ファージョンが 書いたものです。

 なんとも 素敵に、ドラマチックなお話ではありませんか。

 しかしながら、毎度のごとく かなり 遠藤が手を入れていますので、興味をもたれたときには、どうぞ 元のお話を 岩波少年文庫から出ている ファージョン作「天国を出ていく」本のこべや2 の中のお話を お読みください。

 ca ne fait rien というフランス語の俗語(と注釈がありました)の音が、英語圏の人に sun fairy ann と 聞こえ、それは そのまま 人形の新しい名前となって行きます。

 正直なところ、最初のほうの、セレスティーンが、何人 続いたんだか・・というのが、ちょっと はっきりしていません。。 ので、ひょっとしたら もうすこし すくなかったか・・ とも おもうのですが。。 確か、記憶では ひいおばあ様、と あったようにおもいましたので、あらためて調べることもしませんが、今回は このまま 書いておこうと思いました。

 それから・・ キャシーの手から サン・フェアリー・アンを 取り上げた子供のことを、元の本では 頭の足りない、という 書き方をしていました。
 個人的には それだって かまわないと思ったりもするのですが、一応 このごろのことを おもって 考えなしの・・と 書き換えてみました。

 自分の記憶をたどりつつ の ことですので、話が前後していたり、もちろん 人形の独白などは 原作にはありませんし、ほかにも 大分はしょったりしていますので、やっぱり 元のお話を ぜひ お読みいただきたいと 思います。

 ほんとに 素敵で ドラマチック、そして 夢のある お話だと、思い出すたび、また 読むごとに おもいます。

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