昔、富士山のふもとのある土地を、一人のお大名があずかっていました。
お大名には 奥様があり、二人は いつも 仲良く暮らしていましたが、子供に恵まれなかったので、毎日、観音様に 子供をお授けくださるよう、長いこと 祈っていました。
そんなある日、奥様は、夢を見たことを だんな様に言いました。
夢?どのような?
それが・・、私たちが 縁側で庭を見ていましたら、私のひざの上に 梅の花が 一厘、風に乗って 舞い落ちてきましてね。私、それを 右の袂に そっと 入れました。
ほう、それで?
いえ、それだけのことなのですけれどね・・
奥様は、観音様のお告げではないか と おもったのですが、だんな様に笑われそうで、そんな言い方をしたのでした。
しかし、それは 確かに 観音様のお告げの夢でした。
それから しばらくして お大名夫妻には、かわいらしい女の赤ちゃんが 生まれました。
夫婦は、娘に 梅の花のお告げを頂いたから、と 花世 という名前をつけ、たいそう かわいがって 大事に育てました。
皆から 花世の姫 と 呼ばれた娘は、両親や屋敷の人たちの、あたたかな世話を受けて、愛らしく 美しく成長しましたが、花世の姫が 生まれて10年ほどのころ、奥様は 病を得て、なくなってしまわれたのでした。
花世の姫の悲しみは たいそう深く、お大名はじめ 周りの者たちは、姫様までが 病にかかって どうかなるのではないか、と とても 心配でたまりませんでした。
そこで、お大名は、さる人のすすめをうけて、新しく奥方を迎えることにしました。
新しい奥方は、家柄も良く、綺麗で、また 頭の良い人でもありましたが、大名の奥方になったというのに、自分よりも 花世の姫のほうが 大事にされているように思えて、日に日に 花世の姫を 疎ましく思うようになりました。
ある日、お大名は 江戸に行かなくてはならなくなり、しばらく お屋敷を留守にすることになりました。
この時を のがすものか、と 奥方は、花世の姫を呼び、富士の山の向こうにあるという国の名をいって、お父様のためのことだから、だれにもしられないように と 言い含めて、あるはずのないものを取りにいかせる旅にだしてしまいました。
山には 姥が峰という奥深い谷があって、そこには山姥がすんでいる といううわさを聞いていた奥方は、花世の姫を 山姥に食べさせようとしたのでした。
姫は 何も知らずに、いわれたとおりの道を歩きましたが、山に入ると、聞いていたようなところは どこにもなく、仕方なく、あちこちをさ迷い歩き続けているうちに、とうとう 姥が峰の谷に 入ってしまっていました。
初めての長い一人旅で、つかれきった花世の姫は、大きな木の根方の 柔らかい苔のうえに腰を下ろして、痛む足をさすっていました。
あたりは、夕暮れが近づいて、谷を吹き渡る風の音が さびしく聞こえるばかりで、人気もなく、ただただ 暗くなって行くばかりでした。
たった一人で 大切なお父様のためとはいえ、一生懸命ここまで来たのに、帰り道さえわからなくなってしまって 心細くなった姫は、寂しさと恐ろしさで しくしくと泣き出してしまいました。
姫のひそかな泣き声は、風に乗って、山姥の小屋の中にも 届きました。
山姥は、はて なにごとか と、表に出て様子を伺うと、風の吹くほうから 人間の女の子のにおいがしたので、明かりをもって 声のするほうに 向かいました。
もう 誰にも知られずに ここで死んでしまうのかもしれない、と 思っていた姫は、向こうから 明かりが近づくのをみて、誰かが助けに来てくれた と思い、ほっとして 立ち上がりました。
しかし、近づいてきた明かりを持っている 恐ろしい顔の山姥を見た姫は、叫び声をあげることもできないほど 驚いて、腰を抜かしてしゃがみこんでしまいました。
山姥は、かわいらしい花世の姫が 自分の姿に驚いて、声も上げぬまま へたり込んだのを見て、たいそう かわいそうに思い、やさしい声で いいました。
お前さん、どうしたね?なぜ こんなところに、それも たった一人でいるのかい?
思いがけず、優しい声で 静かにたずねられた姫は、震えながら、これまでのことを 山姥に話して聞かせました。
山姥には、奥方の考えが すぐにわかったのですが、そのことは 姫には言わず、まず 自分の小屋に連れて行きました。
しかし、人食い鬼の妻だった山姥は、小屋に姫をおいておけば、亭主が 姫を食べてしまうことがわかっていたので、いったん、姫を 物置小屋に隠し、決して 声を上げたり、音をたてては いけない といいつけました。
しばらくすると 大きな地響きをたてて、人食い鬼が 戻ってきました。
山姥は、人食い鬼のために ぐつぐつと煮えるなべを用意していました。
人食い鬼は、小屋に入ると すぐに 言いました。
はて、良いにおいがする、いったいなんだ?うまそうな 人間の女の子のにおいだ。
山姥は 答えました。
何を言ってるんだい、こんなところに 人間の子供なんか いるわけがないじゃないか。ほら なべが煮えてるよ、さめないうちに たんとお食べ。
おなかのすいていた人食い鬼は、なべの中をかき回して、大きな杓子で 汁を飲み始めました。
それを 物置小屋の 羽目板の隙間からみていた姫は、汁のなかに、人間の骨が見えたので、息を飲み、がたがたと震えました。
そばにあった 立てかけた板が 姫の震えに合わせて 音を立てたので、人食い鬼は、物置のほうを見ながら 山姥に言いました。
向こうに なにかいるのか?今 人の声のようなものが聞こえたぞ。
山姥は 言いました。
何を言ってるんだい。物置小屋なんかに なにがいるってんだい?この間の人間は、今 お前さんが食ってる最中じゃないか。今日は 風が強いからね、里の人間のにおいがしたり、叫び声が聞こえたりするんだろう。いいから すっかり 食べちまって、はやいとこ、出かけないと。
仲間の鬼との集まりの約束のあった人食い鬼は、そうだった と、また 食事をはじめ、すっかり なべを平らげてしまいました。
山姥は、やれやれ だまされてくれたわい、と ほっと胸をなでおろしましたが、人食い鬼は、立ち上がると、ふと 物置小屋の扉を開けたのです。
山姥も 花世の姫も、ぎょっとして、その場に たちつくしてしまいましたが、どういうわけか 物置小屋に 首を突っ込んで 中をあらためていた人食い鬼は、姫を見ても 何も見なかったかのように、扉を閉めて、首をかしげながら 出かけていきました。
山姥が 物置小屋に駆けつけてみると、花世の姫の姿が 少しずつ 闇の色から にじむように現れてきました。
これは・・!
ええ、きっと 観音様が お守りくださったのです。きっと そうです、なくなったお母様が いつも 私をお守りくださいと お祈りしてくださっていたのですから。
山姥は、深くうなずいて 姫を小屋に招き入れました。
そして、夜道でかわいそうだけど、ここにいると 危ないから、とにかく、これをもって こっちの道を 道のあるままに 歩いていきなさい と、送り出してくれたのでした。
山姥は、観音様が お守りくださった姫が 人食い鬼に食べられてしまうのは いけない、と 思い、花米(はなよね)という、富士大菩薩様の御前のお米で、一粒で二十日の間は 飢える事がないという ありがたいお米と 小袋をもたせ、自分の姥ごろもに着替えさせると、いいました。
私の衣を着ていれば、鬼や獣がお前さんに近づかない、だから 安心なのだよ。それに これを着ていれば、だれも お前さんを姫だとは思わないからね。
人里に出るまでは、花米をたべているんだよ。そして、この小袋は、お前さんを見初めて、妻にするという男と出会ったときに、開けるんだよ。
山姥は、それだけ言うと 急いで、姫を 山道のはじめのところまで 連れて行きました。
おばあさん、本当に ありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか・・
おばあさんに 観音様のお慈悲がありますよう、毎日 お祈りいたします。
山姥は、姫の言ったことを とても うれしく思ったのですが、そんなことはいいから と 追い立てるようにして先を急がせ、自分は 闇にまぎれていく 姫の後姿を、いつまでも 見送っていました。
どれほど 歩いたのでしょうか。
気がつくと、姫の周りには 木々や岩や草の代わりに、平坦な道や粗末な小屋や物売りの店などが見えるようになり、ようやく 姫は 人里に出られたことを知りました。
そうして 歩いていると、一軒の大きなお屋敷の前に来たので、以前 自分も このようなところで 寝起きしたいたのに・・と、思いながら 外から見ていると、中から人が出てきて、姫を見つけ、屋敷を見ているわけを聞きました。
花世の姫は、考えて、実は 働き口を探して歩いているうちに、こちらのお屋敷の前まで来ました。もし 人手がお入用でしたら、なんでもしますので、おいていただけないでしょうか。と いいました。
そのお屋敷は 中納言様のお屋敷で、今しがた 姫に声をかけたのは、中納言の息子でした。見た目は 薄汚れた様子の娘の物言いや物腰に、およそ その姿に似つかわしくない、優れたものを見て取った中納言の息子は、ちょうど 台所で 雇っていたものが 里に戻ったところだったので、それならば、と 働かせてみることにしました。
娘は、物覚えも早く、することが丁寧で、受け答えもしっかりとしていたので、周りの者たちからもかわいがられ、朝から 晩まで くるくると 良く働きました。
そうやって 数年が経ち、娘は すっかり 年ごろになりました。
ある日、仕事が終わって ほっとした娘は、すこし 風に当たろうと 井戸のところへやってきて、はらりと姥衣を脱ぎました。
ちょうど そのとき、中納言の息子は、梅ノ木を求めて、裏庭にやってきて、井戸のそばに たたずんでいる 美しい娘を見て、思わず、持っていたものを取り落としてしまいました。
その物音に驚いて振り返った娘は、なんと あの火炊き女ではありませんか。
娘は あわてて 脱いでいた姥衣を拾おうとしましたが、それより早く、中納言は走りより、娘の手をとって まじまじと その顔を眺めました。
貴女は、これほどに 美しかったのか・・! いったい 貴女はどなたです?
そこで 娘は、自分の名を告げ、これまでのことを 中納言に話して聞かせました。
花世の姫よ、よく辛抱なさった。とても 辛く長いときだったことでしょう。でも もう なにも心配することはありませんよ。どうぞ 私と結婚してください。きっと 幸せにいたします。
中納言の熱心な言葉に、花世の姫がうなずき、二人は 祝言を挙げることになりましたが、何も持たない姫は、中納言に恥をかかせることになるのではないか と心を痛めました。
しかし、ふと 山姥のくれた小袋のことを思い出し、袋を開けてみることにしました。
すると、小さな袋にもかかわらず、中からは、立派な調度品や 綺麗な衣装、髪飾りや宝物などが あとからあとから出てくるのでした。
花世の姫は、山姥の親切を思いつつ、観音様にお礼を申しました。
中納言の息子と花世の姫は、皆から祝福を受けて、立派な祝言をあげ、しばらくの後には、二人で 花世の姫の実家に行き、娘の行方を 長いこと案じていた父親のお大名と 喜びの再会を果たしたのでした。
ことの次第を知ったお大名は、すぐさま 後添えの奥方を追い出してしまいました。
長く 苦しいときをすごした花世の姫は、それからは 皆といっしょに 幸せに暮らした ということです。
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