昔、シリアのパレスチナに向かうある村のはずれに、一軒の小さな家がありました。
その家には、もう 200年も生きているという おばあさんが住んでいて、毎日、夕暮れになるくらいから、庭のいすに座って、何を見るともなしに、表を眺めていました。
200年も生きていれば、やっぱり だれも 普通の人間とは思いません。
そのおばあさんを 村の人たちは、魔女とよんで あまり近づこうとは していませんでしたし、おばあさんも これだけ生きてしまうと、知り合いというものも、みんな 死んでしまっていませんから、それで 表に座って 外を見るばかりの毎日をすごすようになったのでした。
ある日のこと、いつものように おばあさんが庭のいすに座って表を見ていると、もう あまり よく見えなくなった目で見ても、それが 人とわかるものが こっちに向かって 歩いてくるのに 気づきました。
いったい、だれだろう? おばあさんは そう思って じっと そちらを見つめていました。
近づいてきたのは、一人の若者で、背中になにかしょっていました。
若者は近づいてくると、おばあさんに向かって 片手を挙げて 挨拶しました。
「やぁ、こんにちは!」
おばあさんは こたえます、 こんにちは・・
「すみませんが、水をいっぱい もらえませんか?朝から 歩きっぱなしで、持っていた水を全部飲んでしまったもので、のどが渇いて仕方がないんです。」
おばあさんは 井戸のほうをみやって言います、どうぞ 好きなだけ飲んでください。
若者は お礼をいって 井戸から水をくみ上げると まるで 浴びるかのような勢いで、ごくごくと のどを鳴らして たっぷりと 冷たいおいしい水を飲みました。
「やぁ! おいしかった、ありがとう おばあさん。」
いいえ、お役に立てて よかったですよ
そして、まるで その形がおばあさんそのもの というように、エプロンのかかったひざの上に両手を 軽く組んでおき、じっと 遠くに目をやりました。
それを見ていた若者は、なんだか 自分のおばあさんのことをおもいだし、そして たずねてみました。
「あなたは、なにか 悲しいことがおありですか?」
おばあさんは 頬をゆるめて いいえ と 答えました。
「それでは なにか 一生懸命 考えていることがある?」
おばあさんは ゆっくり首をよこにふって いいえ と こたえました。
若者は、水を飲ませてもらった お礼がしたいと思ったので、なにか 話しのきっかけになるようなことを と おもったのですが、話が途切れて 少しこまりました。
「ああ、そうだ。おいしい水を 気持ちよく 飲ませていただいたお礼に、バイオリンを弾きましょう!」
そして 若者は、しょっていた袋を肩から下ろすと 中から バイオリンを出して、弾き始めました。
それは、鳥の歌や山の風の歌、海の歌や川の歌、ロシアの船頭の歌やアルプスの羊飼いの歌、スイスのきこりの歌や イタリアの舟歌、フランスのぶどう摘みの歌やスペインのにぎやかな踊りの歌。月夜の砂漠をいく隊商の歌や、今 こうしておばあさんに親切にしてもらってうれしい気持ちを表した歌。。などなど。。
それはそれは たくさんの、楽しくきれいな曲をつぎつぎと 弾き続けました。
バイオリンを弾きながら、若者は おばあさんが とても 熱心に聴いていてくれることがわかりました。これほど 一生懸命 耳と心を傾けて聞いてくれる人は これまで 一人もいなかったくらいです。
若者が 弾き終えると、おばあさんは 立ち上がって 若者の手をとっていいました。
ありがとう! 本当に ありがとう!とても とても うれしく聞きましたよ。
若者は ちょっと 顔が熱くなるような気がしました。
おばあさんは いいました。
こんどはね、私が御礼をしましょう。よかったら 食事をしてってくださいな、そして 今晩は もうおそいですからね。ぜひ とまっていってください。
おばあさんは 若者の袖をつかんで 家の中に案内しました。
小さな家でしたが、家の中は きれいに片付いて、清潔でした。
おばあさんは いそいそと 楽しげに 食事の支度を始めました。そして 食事が整うまで、といって ぶどう酒を一本持ってきて、グラスに注ぎ、若者にすすめました。
若者は、いろいろな国を旅してきましたので、どこの国のぶどう酒も 飲んだことがありましたが、おばあさんの出してくれたぶどう酒ほどの おいしいものは、一度ものんだことがないくらい、それは すばらしくおいしいぶどう酒でした。
おばあさんは 若者に言いました。
いいぶどう酒でしょう? これはね、もう200年くらいたっているんですよ。
こんなにいいぶどう酒を飲ませてあげたいと 思うような人に、なかなか 出会わなくてね。でも 今日、このぶどう酒を ぜひ あなたに飲んでもらいたいと 思いました。
そして つづけて こういいました。
さぁ、もう これで、長年の望みがかなったのですから、そろそろ 死ぬことにしましょう。
若者は びっくりして 叫びました。
「なんですって?! 死ぬですって?! いけませんよ、そんな!」
ずっと昔のことです。私は たくさんの財産を持っていて、それを 困っている人たちに 分け与えることを 喜びとしながら暮らしていました。
困っている人は だれでも 私のところへ来て、入り用なものは なんでも 私からもらっていきました。 それは 確かに 私の喜びだったのです。
本当に、たくさんの人がきましたが、その中に一人の聖者がいました。
その聖者も たびたび 私のところを訪れては、いろいろな話をし、そして ほかの人たちと同じように、入り用なものをもって かえって行きました。
あるとき、その聖者が こういったのです。
「私は、あなたのしてきたことに対して、ひとつだけ、あなたの願いをかなえられる力が与えられています。どんなことでも かなえられますから、よく考えて、言ってください。」
私は たくさん 長いこと考えて、とうとう こういいました。
私の庭に、おおきなはたんきょうの木があります。その実をとるために 木に登ったものは だれでも 私の許しなしには 木からおりられないように してください。
聖者は、なんとも不思議なことを願うものだ と いいながらも、願いどおりにしてくれました。
それから 何年もたって、私のところにも 死神がやってきて いいました。
「お前は もう80年も生きている、十分だろう。今日は 一緒にあの世に行こうではないか!」
私は 言ったものです。
もう ずいぶん前から お前さんが来るのを待っていましたよ。そう、もう 十分行きましたからね、なにひとつ おしいことはありませんよ。
ですが、ひとつだけ、お願いがあってね、庭のはたんきょうの実を食べたいので、とってきてもらえませんかね。
わけはないさ、と 死神は言いながら はたんきょうの木に登り、私は それを見て『死神は わたしの許しがなければ 木から下りられない』 と いいました。
すると そのようになりました。
それからは もう だれも 死ぬものがいなくなりました。私は やれやれ、ほんとに よかった、と 思いました。
ところが・・、そのうち、あちこちで 病気になっても 治ることなく寝付いたままの人たちや、怪我をしたままの人たち、年をとって弱ったままで生きる人たちなどがふえてしまったのです。
生きていたところで、体も自由に動かないし、病気は長引くばかり、仕事もできなくなって苦しむ人たちが あふれるようになってしまい、みな、死神の来るのを 待ち望むようになったのです。
私は、ほんとに 悩みました。 そして 死神のところに いって言いました。
私が三度呼ぶまでは 私の命を取りに来てはいけない。それから 私がはたんきょうの実を持っていった人のところへは、命をとりにいってはいけない。それは まだ 死にたくない人なのだから。 そういうことを 誓わせたのです。
死神は木を離れ、そしてまた、あちこちで 死ぬ人たちが あるようになりました。けれども、まだ死にたくないという人の話を聞けば、私は はたんきょうの実を持っていったので、其の人たちは 死ななかったのです。
そして、そんなことをしているうちに、気がついたら、私は 周りの人たちから 魔女といわれるようになっていたのでした。
それは そうでしょう、だって だれよりも 長生きしていましたし、私がはたんきょうの実をもっていくと、死にそうだった人が元気になったのですから。。
死神を契約している と 言われれば、たしかにそうですし、、ね。
でも 年をとって長く生きすぎた私は、死にたくない人がいる ときいても、もう 自由に 自分で はたんきょうの実をもっていくことが できなくなりました。
そこで 私は 死神を呼ぼうと思っていたのですが、そこに あなたがきてくれて、すばらしい音楽を たくさんに聞かせてくれたのです、どんなに うれしいかったことか!
そのぶどう酒は、かつて あの聖者に出したぶどう酒の、ただ一本残ったものなのです、たくさん 存分に 飲んでくださいよ。
おばあさんの出してくれたぶどう酒は 本当に おいしいくて、僕は すっかり 一本 飲みきってしまった。
ぶどう酒を飲みながら、目の前にいるおばあさんのことが、本当なのか 夢なのか、わからなくなってきていた。
だって 200年も生きてるって・・、死神?聖者?? なんだか もう わけがわからないや・・
僕は、朝日が顔の上に さしてくるまで、ずっと 寝てしまったようだった。
清潔なベッドの上に自分がいることとか、こざっぱりと整えられた小さな明るい部屋で 目が覚めたことに気づいて、すこしずつ 夕べのことが思い出された。
そして 僕は はっとして おばあさんを呼んでみたが、小さな家の中は しんと静まり返って、人の気配もなかった。
僕は いそいで、表に出てみたが、はたして 大きなはたんきょうの木の下で、おばあさんは 僕と会ったときと同じような格好で、死んでいたのだ。
散々泣いた後、僕は、村に出かけていって、村の人たちに おばあさんのことを話した。すると みな、おどろいて、やってきてくれた。
おばあさんを 魔女といっていた人たちも 天の使いといっていた人も、みんな・・
木に頭をもたせ掛けて、死んでいるおばあさんの周りを囲んで、みなは 口々に、いい人だった、親切な人だった といいあっていた。
そして 葬式の日の朝、どうにも ふしぎなことには、おばあさんの はたんきょうの木は いっぱいの花をつけ、それは たった 一日ですっかり実になったので、ぼくは それをとって、葬式に来た人たち全員に 持って帰ってもらった。
僕は それから 村の人たちの頼みもあって、次の旅に出るまでのしばらくの間、おばあさんの小さな家に 住んだのだが、その間もずっと、庭のはたんきょうの木には いつも きれいな花が咲き、おいしい実がなっていた。
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