梅雨に入ったとのこと。今朝も だから当然といわんばかりに しつこく冷たい雨が降り続いています。じっとしているとやっぱり寒くて、もういいだろうと洗ってしまいこんだ暖かい物を引っ張り出して着込んだり、丁寧にきっちり封をして仕舞った暖房器具を出そうかどうか、迷い続けています。
しかしながら、ことさら表に出る用のない雨の日は「ものづくりの日」に最適だと自分は思っていたようで、ふと気が付いたらあれこれ作ったものがその辺に・・。
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大きな野菜一杯のミートローフ、花梨酒の花梨の実とナッツ類のケーキとクッキー、裏庭で取れた夏みかんのマーマレードに夏みかんピール、おまけで夏みかんジュース、薄切り豚肉と鮭のアラの燻製、お焼きいっぱい。そして塩漬け豚、沢山の小さなソーセージ、いつでも使えるミートソース などなど。
その合間に3食と食べたいおやつや朝のパンなど、これまたせっせと作り続けています。
← 今年の夏みかん 重いものは1個で500gもあった。
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どうして こう「食べる」ということには拍手ものの積極性を見せるのだろうかと、他のあらゆることと比べてずいぶん勝った手早さで手際よく動く自分が不思議です。
もっとしなくちゃいけないことは、こんなこととは比べ物にならないくらい、山のように(うんざりするほど)あるのです・・が、ほんとになにしろ取りかかるというまでに、毎度の事ながら時間がかかりすぎて、手際も何も まずそれを始めるということでさえ なかなかという自分ではあります。
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やっていて楽しい、次にはおいしくて嬉しいということは、誰だって一生懸命になれますよね。食べ物をこしらえるというのは、そういう意味では最適な手作業ではないかと思います。
昨晩は連れ合いの夏の作務衣の一枚の後襟部分がすれて薄くなってきたので、先日買った和布の端切れを表に少し出すようにして包んで補正したのですが、夜、ミシンをかけるのも・・と思い、これも針と糸での手仕事。楽しいものでした。
手を使うことというのは何が良いかというと、特に自分にとっては『それをやっている間は何も考えなくていい』ということに尽きると思います。 現実逃避ともいいましょうか。
つらつら思い返すに、手作りのものが当たり前に日常にあったのは、自分の場合、生活が大変だったときが多かったように思います。子供が多かったし、彼らが食べ盛りのときなどは『いかにして"それだけしかないもの"をより多くするか』という命題のもと、熱意を持って創作し続ける毎日は、ちょっとスリリングなチャレンジでもありました。
着るものも安い端布やもう着なくなった自分の服などを利用して、子供のものですから対して時間をかけるでもなく、自分好みの子供服を楽しんで作っていました。(・・が、着せられたほうとしては趣向が合わないものが多かったと、今になって聞かされたりして・・。)
それでもやっぱり手作りは楽しいです。「手の仕事は心の仕事」と三女が言いましたが、なるほど・・と納得します。
天気に左右されてばかりですが、表に出る理由がことさらないのなら、雨の日や風の日、冷たい日や暑い日などは、それを口にする人たちのことを思いながらおいしいものを作ったり、ちょっとしたプレゼントを作る過程を楽しんで小さな布ものをこしらえたり、自分が楽しんで行った結果が誰かのサプライズや楽しみに役立つこともあるときなどがあると、そんな簡単なで些細なことを楽しめるなんて しみじみ幸せなことだなぁ と思います。
→ きれいに仕上がったクリスタルレモン色のみかんピール
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自然災害や政治的暴虐などの被害を蒙って困苦のうちに生きる人たちを思うと、まったくこんなことをしていて・・と、"そんなことしかしていない"生活を後ろめたくも申し訳なく感じますが、いつどんなことが起こるかなんて誰にもわからない。何か起こってしまって、そんなことを思うことすらなくなるまでは、今、自分がソレを楽しめる時ならば、思う存分楽しまなくては・・、と思ったりもしているのです。 |
時々立ち寄る年配の方のブログで、長年パッチワークに精を出されていた奥様が脳梗塞で倒れて数年の現在、自由な方の手でアイロンがけや料理、洗濯などができるようになって、ソレまで消極的だった手仕事の簡単なやり方を工夫しながらやってみたという、そんな記事を読んだり、今はもう根気が続かなくて、と言いながらも、人の作った布小物を目を細めて眺める母を見たりすると、人に自慢できるほどではなくても、手作りできるありがたさやそれゆえの豊かな時間の持てることがありがたいな と思います。
取るに足らないほどのことではありましょうが、その積み重ねを幸せと言いましょう。
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