蝉の声も なんとなく力なく、少々くたびれ気味に聞こえてくるようになりました。
日々高くなりつつある空を ひつじ雲たちが群れなして 埋める日もみられるようになり、ようやく あの酷い暑さに決別を告げられるかと思うと とても嬉しい・・のですが、よく秋の運動会のころなどは 改めて日焼けするほどに日が照りつけることがありますね。
自然の成り行きですから、どうにも人の思惑通りになど進むわけがなく、地球を覆う大気の流れの影響で、太陽そのものが変化するでもないのに、我々と太陽との間に存在するものたちの動向によって、お日様のご機嫌のありようが変っているような毎日です。
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当ひつじ小屋は借り物なのですが南側に小さな庭があり、我々が来る前から建物のぐるりを椿の木が取り囲み、間につつじ、裏には甘夏の木もあって実も生り、地面にはなんという名なのか分かりませんが様々な緑が繁茂し、時季によってはまさしくジャングル状態、というのが、ここへ来て4年目になる当方のこれまでの庭事情でした。 |
ただ 別にそれで 自分たちが困ると感じたことはいちどもなく、どちらかというと 茶色の地面が見えて、乾いた土ぼこりが舞い上がるよりは、名の知れない草々が覆っていてくれたほうが気分的によいということもあったり、季節が変れば自然に草が枯れ木々の葉も落ちて、それなりに片付く?様な感じもあって、特に手を入れるということをしないで来たのですが、さすがに 庭木といえども3年以上も放りっぱなしでいると その存在範囲が広まってきたな・・と何かにつけて思うこともありました。
そんな時、道路側の駐車場にせり出した木の枝から 雨の後の雫や葉が車の上に落ちるので、切らせてほしいというお声が一軒先のお宅からかかり、これは気付かずに申し訳なかったと思い、庭木などの手入れは手馴れているとおっしゃる其方様なので、ものはついでではないけれど南側も・・などとお話したら、やりましょうかと言ってくださいました。 |
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その日、其方のご主人は手際よく椿の木にはさみを入れ、下草を刈り取り、ほんの数時間で、狭いなりにも大分この庭広さを実感できるような状態にしてくださいました。
椿やつつじの枝払いの頃とやり方、下草は出てきたなと思ったら根っこからとってしまうと後始末が楽。ここの庭土は大きな石が下に敷いてあるけれど、根気よく取り除きながら耕せばよい土になるから花を咲かせたらいい。木を放っておくと 夫々の木の間が狭まって互いの枝を傷つけてそこから枯れてしまうこともあるので、なるべくお互いの間に隙間を作ってやるとよい。みかんの木は、油が足りないから葉の色が薄く、このままでは見も結ばなくなる。油かすを入れてやって力をつけると大きくて良い実を結ぶ。
・・などなど・・ いろいろな教えていただくことが出来ました。
なにしろ こういうことには疎い上にさほどの関心がなく、蚊に刺され日に当たりながらするようなことは極力避けたい自分なので、これまで手をつけようなど考えることもなかったのですが、なるほど、やっぱり命のあるもの、気にかけることって必要なんだと思いました。 |
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其方のご主人は、目の前の畑の持ち主のご老人がお父様だということで、畑の向こうの小山は其方様の持ち物で、切り払って始末するような枝や草など、全部奥様がなんども一輪車に乗せてせっせと其方へ運んでしまってくださいました。
聞けば、一切其方では生ゴミをゴミの日に出したことはなく、地面を掘って埋めて土にするとのこと。当方も真似てみようと思いました。 |
ご主人の山の手入れについてのお話しに、たまに 山の木も大きくなった木を切ってしまって、下草に日を当ててやるようにしないと、木の陰で下草が生長しなくなってしまう。そうすると根が張らずに地面がゆるくなって、雨が続いたりすると崩れるようなこともある。だから時々木を切り払って山に光を当てるようにするのだ、というのがあって、それを聞いたとき、こちらに来てすぐの春に、一週間小山の木を切る作業が続いたことを思い出し、それがそのためのことだったのだと知って、なるほどと納得しました。
そういうことは山を持っている人の仕事の一つなのでしょうけれど、山を手放して山の手入れが出来なくなったり、あるいは後を継いだ人がそうしたことを怠ったりなどのことなどから山がよく守られずに災害につながったりすることもあるのだろうな・・と、ふとそんなことを思ったりもしました。
さて・・小さな庭は、だいぶ広さが出来て光も風も存分に入ってくるようになりました・・。今はともかく、冬場はきっと暖かくて心地よいことでしょう。もう少し涼しくなったら、土を耕して仕切りに沿って、花の咲くものを植えてみようかなと思っています。
そして、自分たちで食べるものの一部でも 自作できれば・・などと考えています。
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