ひつじ小屋の風景 96
「秋野不矩展」にて
秋は・・、気付いた時には、すっかりそのものになっているのですね。ほんの数日の間に、夏の名残りがどこにも見えなくなってしまいました。
風には涼しさを通り越して冷たさが含まれ、空気にもあれほどに降った雨の後にもかかわらず、湿り気よりは乾きを感じてしまう。昨夕からの厚い雲間に時折見える空の青には、はるか遠くへ誘うがごとき天の高みを感じさせ、地には様々な色合いの重さの失せた葉の数が、一晩のうちに増しているようになりました。それでも日の光だけはまだ多少にぎやかなようで、今だ自分の場合は肌には少々痛く、まだまだ衰えない太陽の勢いを認めざるを得ません。それも 秋ならでは に思います。
|
てんぐのうちわ
|
その日は、朝から霧のような雨が音も無く降り続き、この小さな世界は静けさの中でただただ黙し、まるで眠っているかのよう。時折、そこに茶々を入れるような風が吹くと、細かな雨粒たちは 皆そろっていっせいに向きを変え、その都度 まるで透けるレースのカーテンが気まぐれな風に揺れるように空中で波打っていました。
こんな日こそ 体をすっぽり覆えるレインコートだったなぁ・・などとぼやきながら傘を差し、ひんやりする中を歩いて 葉山は一色海岸そばにある美術館に行ってきました。
|
実は、今回の展覧会は コレといって何も期待もしなければ、それこそ興味が無いのですから調べもせず、つまり何の知識もないまま、いただいた券を無駄にしたくなかったり、最近ようやく表に出ることに ものすごい緊張を感じなくなってきているような次女が、先月行った鎌倉の美術館に行ったことをとてもよかったと言っていたので誘ったところ、行ってみたいということでしたので、それではとちょうど休みだった末の息子と一緒に3人で行ってみた というだけのことでした。 |
平日午前中の海辺の美術館はまだ訪れる人もまばらで、静かな空間に 秋野不矩さんの絵が 時代を追って かなりの枚数 展示されていました。
最初に見たのは、ほぼ等身大のこちらを向いた赤ん坊を抱いた着物を着た後ろ姿の女性を描いた「朝顔」。恐らく子供をあやしながら見るともなしに見ているのであろうような風で、女性の周りを埋めるように沢山の青い朝顔とその緑の葉群れが描かれていました。 これには・・、のっけからちょっと喉の奥に軽い痛みを喰らってしまいました。
女性の着物の帯は通常の結びの形を為さずに後ろで無造作にまとめられ、その上を帯締めでとりあえず押さえたという感じ。
その肩から身を乗り出すようにしてあらぬ方を見つめる たぶんぐずり泣きをしているであろう赤ん坊は、良く太った丸いむき出しの小さな肩を見せて女性にしがみつき、母親は子供の重みを胸と腹で受けながら、おそらく小さな背を軽くたたいて右に左にゆっくりと体を揺らしつつ、小声で寝かし歌など口ずさんでいるでいるのではないか・・と想像しました。
|
|
少しねじれの見える着物の背と腰から下の布のたわみに、まだ起きだすには早い時間に目を覚ました子供に起こされた若い母親が、家族の眠りを妨げないようにと、身じまいもそこそこに子供を抱いて表の朝顔の咲き群れる前に来た・・のかどうか、子育てを経験した女(ひと)ならばどこかで一度くらいは体験したような、そんな情景が 少々の悩ましさを滲ませつつ、心懐かしくに写されていました。
女児一人を含む6人の子育てをしながらの画家の日常でもあったかもしれません・・。
そしてまた、それが何を描いたものなのか 実は最初は分からない絵がありました。
幅広い黄土の流れと黒い奇妙な十数個の固体らしきものが同じ向きに中央より右下あたりに斜めにあり、画面の上部は黒く、ただ暗さが表されただけの、人の両手を広げたよりもまだ広いかなり大きな絵が、作者の代表作『渡河』であるとは露ほども知らずに、分けも知らずに 強く惹きつけられたまま、時を自覚することなく立ちどまっていたようでした。 |
調べてみれば「音が聞こえてくるような濁流の轟音、インドの大地から溢れ出した洪水を渡ろうとする水牛の一群。」(EPSON 美の巨人たち)とのことで、なるほど と。
|
館内に展示されたかなりの枚数の絵を一渡り見、また引き返して幾度か繰り返して見て回ったそのたびに、何故それほどに気になるのかというくらいに見入ってしまったことをよくよく考えると、そこに悲壮感から遠い「積極的な諦念」と自然に近く在るときに覚えるであろう「生きるものの靭軟さ」が感じられたからかも知れません。 |
「あるがままに」が物事の捉え方の基本という作者の在りようそのままを描いた大作『渡河』であるのかもしれない・・と。
先の「朝顔」といいその「渡河」といい、その人を知らないままにそう思えるのは、自分がある程度「生を意識してきた時を重ねた」からとも思ったりもするのですが・・、それは奢り、あまりに僭越というものでしょうか。
初秋の絵巡り、静かな雨の一日でした。