砂混じりの春一番から、今日のそれはもう何番目のことか・・。
まだまだ、ひたひたとした寒さを感じる時もありますが、それでもそろそろ世の中は春めきつつあります。
先日、ネットサーフィンをしていたところ、こんな文に出会いました。
『母親が子育てにおいて理不尽な態度を取るのは,母親自身が孤独感や寂しさなどの寄る辺ない感情に悩まされてきたからかもしれません。それを子供によって癒そうとしているのかもしれません。
そしてそこには,どこか恨みに似た心理力動も働いているようです。その起源は母親自身の子供時代にあるに違いなく、その時代に味わったかもしれない鬼体験のごとき心の傷が癒されないままでいるのかもしれません。
そうであれば母親もまたほとんど子供のままといえるでしょうし、被害者です。人間は代々、順繰りに親から被害をこうむる宿命のもとにあるといってもいい過ぎではないように思います。恨みの根が深く、それだけに母親という立場、年齢になっても、被害をこうむった内なる子のネガティブな感情がはらんでいるエネルギーは強大です。母親としてもそれに逆らえないのです。
繰り返し世代を超えて引き継がれる人間であればこその不条理です。
せめて夫がしっかりと妻をサポートしていれば,かなりの確度でこういう悲劇を回避できるのではないかと思います。実際には夫たちにそれなりの問題があるのがほとんどです。』
(EME大河内メンタルクリニック 院内通信「自己の回復」その3より) (太字・一部書き換えは遠藤) |
ほら
春をあげる
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実は今、家族間で起こっている問題とそれに関わる長いこと引きこもったままの成人の娘について、喧々囂々の真っ最中なのですが、彼女の抱えているものに何らかの糸口は無いものかと探っているうち、結局は毎度のごとく自分の問題に還ってくるということを実感していた矢先に出会ったものでした。
ここにいう"世代を超えて引き継がれる不条理"はまさに自分にもあって、それは両親へのいまさらまったくどうしようもない思いで、半世紀も積み上げ固めてしまった感情の氷解はかなり難しいことをつくづくと実感中。こうなったら超人的?に我が意志の力を働かせて!覆すのみ・・なんて。(^^; |
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"人の不条理"・・これは どうしようもない人の業のようなものでしょうか。
それが悪であると分かっていても、そうしているときにはそれとは気付かず、いくつもの歯車が互いに連鎖しあって大きなものを動かしているように、小さな一つの悪感情の連鎖が恨みつらみや苦しみになっていることは、殆どの人が経験しているのではないでしょうか。ひょっとしてそんなものとは無縁の暖かい慰めと愛に満ちた家庭のなかで、心美しく育てられた方もあることでしょう。しかしながら、それもおそらくそれほどの数は無いのでは・・と思われます。
どうしようもないことをいつまでも・・と本当に思います。しかし、それに気付いた今の自分が思ったのは、遅まきながら できる限りこの悪の連鎖を自分のところで止めなくては・・、ということでした。それには、まず自分のこれまで抱えてきた恨みや憎しみの問題夫々について、正面きって対峙することから始めなくてはなりません。そして 今それを始めたところなのです。が、正直いってかなりきつい作業ではあります。
そんなことをしているときに出会った、もうひとつのブログ。
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「アダルトチルドレン」なんて言葉が流行り始めてから、「親にしてもらえなかったこと(でトラウマになっていること)」にフォーカスしがちだけれども、自分が一生懸命育児をしていると、「してもらえなかったこと」の記憶も蘇ると同時に、「してもらえなかったワケ」にも思い至るようになることもある。
だって、大変だもの。子どもがしてもらいたがっていることに目いっぱい応えるのは。
経済的にとか、兄弟が多いからとか、様々な理由でできないことがあると、親の立場になると分かるのだ。
「できるものならやってあげたかった。」という心情もあるだろう。』
(原文のまま)
(木下直子さんの"おうちケア"の2月のブログ「してもらえなかったワケ」より) |
後悔山積の我が子育てにも慰めをもらったように思いましたが、過去にしてきたことをいまだに悔やんでいる自分に気付いた痛みも 同時に感じました。
これまでの時をかけて作った間違ったものを壊すのは、きっとたいそう骨の折れることでしょう。でも、思い立ったが吉日、きっとできると(どこかで自分を)信じています。
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