1 あれから・・
今日は 2011年3月の20日である。 彼岸の入りから二日目にして、一年間楽しみにし続けてきて その日は またしても頓挫してしまった我が誕生日から9日目でもあり、そして・・
このたびの大震災からも9日目となる日である。
この一週間、震災についてなどもふくめて あれこれ書き始めてみたものの、つまりは 自分の内側が 余りにざわめきすぎていて、何を書いても 書き終わりにまで到達しないので、しばらく 書くことを止めていたのだが、そろそろ 一週間以上が経過してきて、ようやく 思うところを形にして 留め置こうかという気になってきたようである。
・・といったからといって なにを書くでもないのだが・・

産まれて初めて というのは、これだけ生きてきても あるものなんだなぁ・・と なんだか ピントの外れた感慨を深めているところだ。
しかし・・ すさまじいものだ。常日頃 怖いものと思ってはいたものの、映画などで 何度も もしもの想定においてのそうした状況を見たことがあったとしても、・・あれは、無い。
なにか 兆候が有ったのだろうか・・ それとわかるような??
いやいや、そうであれば もっと 人々は警戒していたことだろう。そんなこと これっぽっちも思うことなどないくらいに、それは いつもの日常の始まりだったはずだ・・
すさまじい地震、そして それにつづく あまりに巨大な津波が、人々の当たり前の日々を 突然襲い掛かって飲み込み 消滅させてしまったのは・・、まさか! まさか?!の現実。
それが、ほんの一瞬の出来事、ほんのわずかな時間でのことだった というのが・・
それに続く 福島の原発事故は、(これは人災!)もう いい加減、人間の驕りによる『人命をいつまでも脅かし続ける犯罪行為に等しい原発』を、この地球上から 一切無くすための、一種の喚起を呼び起こすためのものかも・・などと、この時期には 少々不適切ながらも 思ったりもしているのだが・・
とにかく、様々な議論が沸騰する中、原子炉爆発の危機を阻止せんがために、命を賭して 恐怖と緊張の中、身をなげうって働いてくれた方々に、そして そのご家族の方たちに、心からの感謝と賞賛を、そして 申し訳ない気持ちと謝罪を 申します。
しかしながら、様々な情報が錯綜していて、もちろん テレビなどは信用できないし、実際 メディアで報道されているようなことの裏には、こんな風(*下記参照)に 離れていては 見聞きすることも 知ることもできない悲惨が まだまだ、今後も続く可能性が高いということを、離れて日常をすごす我々は知っておかなくてはならない。

遠藤的には、子供達が とくに心配でたまらない。赤ん坊やちいさな子供達、小学生や中学生、それに 妊婦さんたち、出産を控えている人達、出産した後の人達・・ 何しろ、安静を保護と栄養の必要な人達が 心配でならない。
もし 出かけていっても良いといわれれば、赤ちゃんをお風呂に入れたり、ケアしたりという そういうことを是非と 思っているけれど、ちいさな子供達や学校に通う年齢の子供達のために、できるだけのことを・・なにがいいのかまったくわからないけれど・・ したいと 願っている。
お母さんたちも、お乳を出さなくてはならない人達も、特に 心配だ。母乳は血液の変形した物なのだから、お母さんの健康状態は 即、赤ちゃんに影響する。母乳以外、口にできない赤ちゃんたちは、お母さんのお乳が出なくなってしまったら、そこに ミルクなどがあればよいけれど、ないのだから・・ そうなると もう あっというまに衰弱してしまい・・、想像したくない事態に陥ることは必至だ。
なんとか、なんとか、なんとか!どうか 助かって欲しいと 毎日、思い出すたびに 祈り続けているが・・、この状況を 歯噛みし、強くもどかしがるばかりで こんなところで暮らしている我々には 直接何をどうすることもできないままが、今後もしばらく続くことだろう。

買い物に行けば、どこのブログでも書いているけれど、ほんとに 物が無い。
これとこれをかってこよう とおもっても、そんな がら空きの 薄暗い店内に群がる人々をみてしまうと、なんだか もう なにも買う気が起こらなくなってしまう。
しかしながら、こんな意見もあり・・
お金を使おう
「あちこちの飲食店が悲鳴を上げている。お客さんが来なくて、食材が余っているそうだ。おにぎりひとつで一日をしのいでいる人たちがいるのに、こっちで食材を捨てるなんてあっちゃならないことだとカフェの人がつぶやいていた。この際、少し暗かろうとなんだろうと、どかどか外食に出かけ、東北以外の人で経済を回していこう。よしきめた。今日はイタリアンに行くっ。 (以下略)
Date: 2011/03/18(金)」
また とても参考になった こんな考え方もあり、離れている者たちは その場その場で それぞれに きっとこれがいいと 思うことを 行い進めていくことが 今は 大事なんだろうな という、・・そんな気持ちになってきている。

こんな非常事態であっても、当方は、あたりまえに 血圧の薬がなくなったので、医院に出向き、N先生と楽しく会話しつつ、もうちょっと 様子見て、それから お薬のこと考えましょう と言われた後、スーパーにいけば、まぁ 先のような様子で・・、なので 調剤薬局のとなりにある 一度もはいったことのない、ちっちゃな『八百屋が主体のいろんな物を売る店』に入ってみた。
ふたりのおばさんが 小さいおばあさんのために あれこれ買い物を手伝っていたが、腰のひどく曲がったおばあさんは、小ぶりの買い物カートで 身体を支えながら、それから これも・・と いって 手近なひとつ包みの和菓子を数個、買い物籠に入れていた。
「お客さんがきてくれても お茶菓子もないんじゃ ね」 といって。
それを聞いたとき、ああ、おばあちゃんの生活には、こんなふうに どこにいっても 欲しい物が何も無いというときにも、尋ねてくれる人がいることを考えて そのために用意するっていう そういう毎日が 当たり前にあるんだな・・と おもって、なんとも 暖かい気分になった。
お店の人とのやり取りを聞いていると どうも 連れ添ったご主人は、いないか 動けないか、、のようで、だから、足が不自由でも 身体が痛くても、自分が買い物に来るのだ と言うことのようだった。
このおばあちゃんは、痛い足で 小ぶりのカートの助けを得て、日々に必要な物を買いに来ているのだ、それなのに、ようやくたどりついたスーパーでは、必要な物が ほとんど無い状態で・・・
そうなった原因は、この葉山にくらす おそらくそんなに 買い溜めなくても、数日は もんだいなく 暮らせる、そういう人達の先走りで 起こってしまっているのだ、と 思ったら、ほんとに おばあちゃんが気の毒で、でも そこでも だからといって 自分の買い物を控える以外、なにをすることもできない自分もいて、なんとも やりきれない思いで 店を後にしてきたのだった。
欲しい物が無いのは まぁ 困る・・ けれど、食材に関しては、もう あるもので 何とかしようとしなくては と 思うのだが、だれでも そう思うのではないだろうか・・?
栄養のなんのと言うよりも、なにしろ それしかないのなら それで何とかするしかないわけで・・
(そう、ここが工夫のしどころで!) せめて そのくらいのやりくりでもして、被災地の苦しい現状に こちらの生活も 少しの間でも、添わせていくことは、本当にせめてもの犠牲になるのではないか と 当方は考えるのである。
停電ごとき、なんてことない、いくらでも やればいい、それで あちらが助かるというのなら。と 思うんだけれど、実際 停電になった実家では 母が身体が冷えておなかがおかしくなったというし・・ ほんとに なんともいえない気分ではある。
極東の、ちっちゃな島国の我が日本は、今、岐路に立っている。
これから、日本は どうしていこうとするだろう?
再生なんて しなくていい。 同じ国を もう一回つくることなど 考えなくていい。
そうじゃなくて、新しく 原発の無い国にして、世界中の原発撤廃の発起国になるといい。
原発で 暴利をむさぼってきた連中や そうしてきたこの国の悪が すべて明るみに出されて、人々が 何が真実だったのか、を すべて 明らかに知るようになるといい。
まだまだ、長いスパンで 今後の被災した各地のために バックアップしていかなくてはならないのは当然なのだけれど、そのためには、日本の国中の一人ひとりが 本当に、自分のことを100%にしないで、顔もしらない、あったことも無い苦しい生活をしている人達を、日々、何かにつけて 心に掛け、なにかを選んだり 決めたりするたびに、被災したり 苦しい立場、不利な立場の人達のことをおもって 判断 実行できるような国民性の、そんなより良い国になるといい。
小さな子供たち、これから生まれてくる子供達、そのお母さんたちが 被爆してしまわないように、と 心から祈っている。なによりも なによりも これが一番 怖くて心配だ。
だけど、その恐怖は じわじわと現実になりつつあるようだ・・
ここでも 遠藤は奇跡を願い求めている。もう それについて 遠藤ができることといったら それしかないのだから。

正しい情報が ほしいとおもう、正しい情報を 手に入れたいと思う。
それは 自分に限らず、だれでもが 思っているはずだ。
なのに、どこもかしこも 言いたい放題で どれが本当なのかなんて、素人には何もわからない。
実際に チュルノブイリ原発事故で被曝した子供達のケアをし続けている 鎌田實氏のブログの情報を、今のところ 一番信用している自分ではある。
(NHKをはじめとする 一連の報道は、じつに 嘘くさいので、あれらは 無視している)
それでも やっぱり 人間のしていることなのだから、何から何までを信用できるのかといったら それも どうなのかと思ってしまっている。。
なんにせよ、一週間・・いや 10日近くがたっている今、徐々に見え始めている 様々は現地の状況に 的確に対応していけるよう、まずは 何よりも それを進めていくことが 今 一番 大事なことなんだろうと 思えている。
毎日 毎日、かの地で苦難のうちにある人達をおもって、ただただ 祈るばかりの自分だが、亡くなった尊敬する恩師の伊藤神父が『祈りの力は絶大だ』といっていたように、多くの人達の祈りが集まって、きっと この状況を良くしていくだろう と これは 心底 信じている。
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