2 雨を眺めて
天気予報は また 当らないな・・ と 思っていたのに、ちょっと 曇ってきた と おもったら、突然 静かに さーさーと 雨が降り始めました。
風もなく、だから まっすぐなこの雨を ただ ぼうっとながめていました。
これまでの暮らしが長ければ長いほど きっと、こんなときに あれこれ かつてのことを 思い出したりするのでしょうけれど、大体が それほど たのしかったり 愉快だったりするようなことではなく・・、なんでいまさら と おもうような ことのほうが 思い出されるような・・ 気がします。
ある人が、昔のことが あれこれ思い出されて仕方の無いときは、気持ちが後ろ向きになっているのだから、それをほうっておくと どんどん 落ち込んでいく、だから、そんな風になると 一生懸命 とくにそれが必要でもないようなことを あれこれ考えては 必至になっってやるのだ と言っていたことがありました。
・・まぁ。。 わかります。だれでも きっと そんな風になるし、そんなことも するのかもしれません。
年齢的なものとか、もともとも ものの考え方やとらえ方の傾向 というものも 有るのだろうと思いますが、こと 自分に関して言えば、そんな風に 過ぎたことの取り返しのつかないあれこれを思い出すときは、しばらく それを じっと 思い返すようにすることがあります。
別に 自虐的なんかじゃないんですけれど、どうも 自分的には そういうことを思い出した ということの方が、ちょっと問題で・・
つまり、自分で納得したかたちで『それ』が終わってない、と思ってしまうので、かつてのことを思い出して、またぞろ 嫌な思いや 恥ずかしさや悔しさ 惨めさをなぞるように味わったとしても、なにしろ それは 自分の中では未解決、・・ ちょっとちがうかな・・、いまだに 続いているのは、しっかり対峙してこなかったから 時として なぞり返すのだ・・などと、そんな風に 思えるのです。
そんなの、しょっちゅうやってるわけには行かないし、それこそ 何か 思いもかけないようなときに、なんだかをきっかけに ふうっと 思い出したりするのですが、そのとき 考えられる余裕がなくても、あとで こうして 雨が降ったりして 周りが静かで・・、特に何をするでもないような時などは とくに、馬鹿な自分のしたことで 嫌な思いをしたであろう人たちの事などが、思われてなりません。
自分がはずかしかったり 嫌だったり、みじめだったり・・ なんていうのは、そんなのは 過ぎてしまったことで、知っている人がいたとしても、そのとき 自分が感じた思いまでは、その人達には わかりません。・・ と 思います。
でも、言ってしまった、やってしまった ということについては、時が過ぎて そんなことを 憶えている人が 身近にいなくなってしまっても、やっぱり 思い出すたびに、申し訳なかった、悪かった、すまなかった という気持ちになって、本当に だれもそばにいないというのに、ひとりで 恥ずかしさにうつむくようです。
先の人のいうようであれば、心が弱っていて 後ろ向きになっているので、そんな、いつもは忘れてしまっていることを 突然 思い出しては どんどん 落ち込んでいくのでしょうけれど、ここは、こんな自分ですから、そして もう いい大人ですから、そのとき 傷付けた人達の心を いまさら どうすることもできないのなら、せめて 今、自分が その くだらない自分をじっくり眺めて、とことん 嫌な自分に付き合い、散々な思いになってしまおう・・ と 思うのです。
・・ で、さっきまで そんなことを やってました。
卑怯者の自分、意地の悪い自分、なんでそれほど?と おもうような 言葉を投げつけて 人を傷付けている自分、どうして そんなことをしたのかと思うようなことをしている自分を、じっと 見つめていました。
結局、時はすぎて もう どんなに心からのごめんなさいであっても 嘘っぽくなってしまうほどになってようやく、自分は 自分が許せていないのだ ということに 気づきます。
だれが ゆるしてくれても、そんなことをした自分は、やっぱり どんなことをしても 許せない。
それに 気づいてしまっていました。
釈迦力になって 掃除をしたり、床や窓を磨いたり、片付け物に精出したとしても、『それ』は 片付くことが無い。
当然です、過去は 消しようが無いのですから。
後ろ向きなんかじゃないんですね、積極的に『それ』に立ち向かわない限り、つまりは ずるずると いつまでも 自分の後ろにくっついて離れない『それ』に ずーっと ずーっと 捕えられているって事なのかもしれません。
しかし、向き合って すっかり 何かが清算されて、そのようなことが 解消されるかといったら、これも また そんなことは無いのは、重々 承知です。
さて・・ では どうしたものか・・ ですよね。
つまりは 辛いのだ ということを 自覚し、そして 過去は どうにもならないし、してしまったこと 起こったこともまた、変えようが無いことを 認識する。
そして、そういうものに いまだに捕らわれていて、なにかにつけて それを 苦しく思い出し、もう どうしようもないのだ ということを、受け入れるまでしか、自分には できないと知ること・・、それが、過去に対して 人ができることなんだろうな・・ などと、思いました。
朝 目覚めて、今日は なにをしようか、どんな日になるだろうか と 思っているときには、自分が あとで ひどいことをいったりやったりするかもしれない なんて これっぽっちも 思わないはずです、だれでも・・ 多分。
できれば よい行いをし、人に親切にして・・と 思いましょう、それなのに、思いがけない言葉を吐いたり、人を傷つけたり、ちょっとした悪意のある行動をしてしまったり・・、
人と言うのは、どうにも しょうのない生き物なのかもしれません。
だからこそ、自分を許してくれる『なにか』が 必要になるんでしょうね。
そして 許された自分を、今度は 自分が許してやらないと・・ ってことなんでしょう。
切ないほど 苦しいほど、なさけない自分で 悲しく思いますが、でも 自分をゆるす『なにか』があることは、なんとなく わかっていますので、自分も 難しいけれど、自分を ゆるしてやらなければ ・・と 思うのです。
そして そうしているうちに、自分が 後ろに引きずっているものを 少しずつ、切り離していくのだろうな・・ と、そんなことを さっき、雨の降るのを眺めながら 考えていました。
夕暮れ時の雨は 煙るようで、蒸し暑くなる この先の日々が思われます。
人を許すよりも 何を許すよりも、ひょっとしたら 自分が自分を許すことって、すごく 難しいのかもしれない・・ と 思い至った 雨の日でした。 |