不要な物を排出しないクリーンエネルギーを作る原子力発電所 なんて 聞こえはいいけど、やっぱり 脆く、危うい 毒のあるものということが、あの地震以来100日の間に、ぼろぼろと いろいろなほころびが露呈されることで わかってきている。
これだけ あらゆる方面で、その危険性や後々にまで影響を及ぼす害やらが ほとんど 明白といえるほどに わかって来ていると言うのに、それでも なお、原発は必要だ という人々がいるというのが、自分には どうにも 理解しがたい。

原発がなくなることで、経済や景気の低迷、生活の広範囲は不便などを危惧する声も聞こえてくるが・・
たとえば、これが通常 ということが、今日から 突然、そうすることができなくなったとしたら・・?
自分は どうするだろうか、多分 当初は、おろおろするだろうけれど、そのうち そうじゃない毎日に なんとなく 慣れてしまうだろうな と思う。
電気が足りないのなら、足りない中で できることを するだけだし・・、食料に 不足がでてきたとしても、それを求めても 得られないということであれば、もう しょうがない、それなしで過ごすしかないし、そうせざるを得ないだろう。
人って そういうものじゃないんだろうか?これまでも そんな風だったことは いくらもあったとおもうが・・。
今の状態が維持できない、あるいは すっかり変わってしまう、などと言うことになったとしても、人は はじめは 騒いだり 困ったりするとしても、結局 現状に合わせて生きていくしかないのだから、そうやって 生きてしまうものだ。
だから、電力の不足による 経済の不調、低迷、不活性化が起こったとしても、おそらくは 当初の混乱時期をすぎてしまえば、あとは もう それはそれなり となっていき、そこからは これまでとは違う形での 経済発展なり 景気の高揚なりがはじまるだろうことは、これまでの歴史を振り返ってみれば、わかることでもあり、また 過去から学べる 希望を持てることなのだと思う。
人が生活するということは 本来 想像的なことだ。
先の人たちに 教えられてできていることに、その人なりの工夫ややり方が加わって、その人の日常が創られていくものだし、事実、今 どんな人も そうやって 生活している。
足りないもの、足りないことを どうやって 不足を感じないでいられるようにするか、と あれこれ工夫するのは 大変だけど、結構 面白いことを思いついたりするものだし、そんなことについて 身内や友人と話し合ったりしていると、すごいアイデアなんかに出会ったりすることだろう。
どんなことも、おもしろがって 楽しもうとする気持ちがあれば、人は 結構 どうしようもない なんてことすら、気がつけば乗り越えてしまっていたりするように、自分は 思っているので、
だから、まだ そうなっていない先について、あれこれ 心配しないで、そのときがきたら そのときを、いかにして 過ごすかを考えるようにしたいものだ と 思うのだ。
もちろん、だからと言って、そうなっていくことになる因みを、しょうがないこと とだけで済ませてはならないと思っているのだが。

つまり、原発事故の原因の究明をあいまいにしたままにせず、本当に 悪かったことは 何なのか、一体 今回の原発事故の実際とは どういうことだったのか を、この事故に 直接的、間接的に関わった人々が・・ つまり 原発事故が起こったときに生きていた この国の人間たち全てが、すっかり 知るべきなのだと おもうのだ。
近い過去に起こった スリーマイル島やチュルノブイリなどでの原発事故と 今回の福島原発の事故との原因や経緯、それに関わった人達の関わり方や対処の仕方などなどにおいての、違いや似た部分などを 丹念に検証することで、見えてくるものは大きく、今後 二度とおなじことを起こさない為に、非常に重要なものになるだろうことは、素人の自分が考えても 想像に難くない。
御すだけの力のない者が、荒馬を無理に、あるいは意地になって御そうとするようなことをして、将来に及ぶ大怪我をしただけではなく、その馬まで駄目にし 使い物にならなくしたようなのが、原発事故 といえるだろう。
過去に 幾度かの 似たような経験をしているにもかかわらず、また 同じ愚かな、そして 自分たちだけではすまずに すべての今 この地球上に生きている人々を含む生き物に、とんでもなく ひどい悪影響、害を与えてしまったのだ ということを、まずは 直接に事故になった原因を作った人々、その原因に対して適切な対処をしてこなかった人達、そして、それに関わる全てを 長い間 知っていながら甘く見続け、何も知らされなかった人達から吸い上げる汁のほとんどを 懐にせしめていた者たちが、何をおいても 一番に 認めなくてはならないことだ。
そして、私たちは、どんなことをしても、何がどうであっても、今後、決して、未熟な力のまま、荒ぶる馬を力づくで 無策のまま 思うようにしようなどと 考えないこと。
それが、 どんなに 愚かしく、怖ろしいことかを、とことん 知っておく必要があり、それを肝に銘ずるべきだ と おもうのだ。
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