この数日、あの 絶望させられるような 猛烈な暑さの日々が いきなり はるかなかなたに遠くなり、降る雨も手伝って 突然の季節代わりのような、そんな日が続いている。
まぁ この涼しさも 特例のようで、予報によれば 明後日あたりからは、再びの真夏を迎えそうな様子ではある・・ 尚のこと つらくなりそうだ・・。
今年の8月は、長いなぁ・・ と ふと 思っていた。
夏と自分は とくに 相性が悪く、子供の頃から 夏休みのある夏が、本当に うんざりするほど 重苦しくて 嫌でたまらなかった。
大人になると 体力のあるうちは まだいいけれど、それも 峠を越した今となると もう ただただ 苦痛以外のなにものでもない季節として 自分に迫る数ヶ月となっている。

先日見た動画に、数年前のものではあるが、やはり この季節に放送された原爆被爆者や戦争体験者から 寄せられた手紙についての番組があった。
様々なそのときの克明にして 詳細な記述もさりながら、ひとつ、とても 印象に残った言葉があった。
「何が怖いって、自分が一番怖い。だって 何するか わからないんだから。」
今は 大きな店を構えて 平穏に暮らしているそこの主人は、そういって なかば 狼狽したような表情、あるいは 取り繕うような、あるいは 余りに困りきって 不安げな様子を見せながら そう 語っていた。
軍に徴兵されたのだろう、”上からの命令でやったことなんだもの、自分でなんか やろうとなんて 思ってなかったのに、やれっていわれて やった・・。
そのときは そうしないとだめだったんだ。だけど やだった、今だって ずっと やだよ。”
そして、何かを振り払うように 言った。
”だから、だから 自分が一番怖い。やっちゃ駄目だってわかってるのに、言われて やっちゃうんだ。自分が 何するかなんて、そのときまで わかんないんだ。 自分が 一番怖いよね、もう やだ。もう あれは やだよね。”
この言葉通りではないけれど、そんな内容だった。
思いもよらない 自分のそのときしてしまった 瞬時の行いに、彼は 敗戦後、66年たっても、その間を 生き延びて80歳代の今になっても、変わらずに 苦しみ続けている。

人は 悲しいほどに弱い生き物だと思う。自分の無事の方が 絶対的に 大事なのだ、誰でも。
だから、それをしないと 自分が危ないというときは、容赦なく 目の前のものを 全力で 苛む・・
それを、、だれが 断罪できようか・・。
決して 許されはしないけれど、だからといって 動物的に生命の危機に反応したことを、その時の その人の切羽詰った そのときの心情を、誰が そのものと同じように 理解できようか。。
しかし・・ しかし、である。
しかし、やはり それは あってはならないことなのだ。
ただ・・、こうも 思ってみるのは どうだろろうかと 考えたりしている。
彼は 自分だったのかもしれない・・ と。
66年前のあの時代、もしも 自分が 彼の立場にあったら、自分は どうしただろうか・・ と 考えてみても・・ と 思った。
ひょっとしたら、自分は 言われても やらなかった、やれなかった かもしれない。そして そのかわり ひどい目にあったかもしれない。言われたとおりに しなかった ということで。
あるいは、やっぱり 痛いのは 絶対嫌だから、きっと やってしまっていたかもしれない。それで 自分が今 あるかどうかは わからないけれど。
他に 方法があるのだろうか・・、他に なにか より望ましい方法と言うのが あるのだろうか、今は まったく 思いつかない。
あの時代に限らず、どの時代にあっても、人は 思いもよらぬ方法で、自分を押し切ってしまうことがあるものだ。
誰の命令でもなく、ただ、そうしないと 自分に危難が降りかかるから、ということで。
どうにも抗いがたい者に、強いられて、それをしないと 自分が危ない ということで。
人は、どうしようもなく、弱く 危険な生き物なのだ・・ と 思った。

一方で また、人は とんでもなく びっくりするようなこともするものだ。
自分も苦しい中、相手のために 持っている物を 苦しみつつも分け与えたり、信ずるもののために、我を捨てたり、たとえ まがまがしい戦禍にあっても 人を思いやり、励まし、助け、そして 時に わが身に代えても 相手を守ろうとすることも、あったりするのだ。
気付くべきは、その二つの面、怖ろしいものに服従し、望みもしないことに手を下すことも、どうにもならない困難な状況にあっても、先に希望を人を 見出していくことも、同じ一人の人間の中に 存在することがある、ということだ。
だから・・ 彼は 自分だったかもしれない と、私たちは 考えてみる必要があるのでは ないだろうか・・ と。

人の行動は、ある部分、その人が それまで 生きてきたもろもろに起因するのではないか と 考えている。
中でも どの様に育ったか、どんな考えの傾向を受けてきたのか、どのような人達の中で育ったか・・、そんなことも その人の行動の半分くらいは 裏付けるような気がしている。
もちろん そればかりではないには 違いないだろう。
だから、まだ 自分で より良い判断に基づいて 行動できない人達のために、先に生まれた私たちは、心して 生きなくてはならないのだ。そう生きようとしなくてはならないのだ。
まぁ 時には、幼い子供の方が 打算や思惑などに浸りきった大人などよりも、率直に 正しい行動をすることに、躊躇の無いときも 往々にしてあるが。
とにかく・・ 私たちは、「それ」を 他人事で 済ませない、自分のこととして いったんは 考えてみる、多分 それが、この世界で 生きていくために、今も これまでも これからも 必要なことなんじゃないかな・・ と、あの 動画を見た後からこっち、そんな風に 思ったりもしている。
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