毎日新聞日曜版に連載されている コラムのひとつに 心療内科医 海原純子さんの書いている『新 心のサプリ』が あります。
先だってのそれは 当方にもかかわりある内容でもあったので、その部分を切り取り、数回 重ねて読みながら 考えていました。
曰く、「医療や工学系の研究の進歩がすさまじい昨今、ほんの30年程前には 死を覚悟すべき病気も 今では 治る病気 になっている。がんですら、死にいたる病気ではなくなりつつあり、慢性疾患として 治療しながら共存する時代になるだろう という研究者の声もある。
そうしたことは アンチエイジングの分野でも また然りで、美容外科では レーザーやら超音波などの手術で しわやたるみの防止がされている。
」
つづけて、そのような進歩を見聞きしていると、「老化」や「死」が 次第に身近なものではなくなってきて、しっかりと 老いや死と向き合う時間が減ってくる感じがする、と 海原さんは 書いています。
人は、生まれた瞬間から 年取っていくのだ ということを、私たちは、どこかで 自覚している必要がある と、当方も考えるところです。
かつて、上の子がお世話になった先生と 久しぶりに お会いして、お元気ですか?と いえば、同じ体を何十年も 使って生きているんだもの、どこかに がたが来るものですよ、と 笑ってお答えになったことがありましたが、時々 あれは 言いえて妙だったな と 今でも思います。
生まれてからずっと この体 で 生きてきているわけですし、これからも この体 で この先を生きるわけです。風邪を引いたり、おなかを壊したり、熱を出したり、あっちを切ったり こっちを治したり。。 あれこれ 手が入ったとしても、生まれたときに与えられたこの体で、人は その人生を生き、日々を重ねて事を為し、その変化とともに 終わりを迎えるのは、誰一人の例外もないことではありましょう。
それを しっかりと 意識して生きられるかどうか・・、そこを あえて 見ずにいるのは、どんなものなのだろうか・・、と 考えるのです。
再び、海原さんのコラムから・・
「しかしどのように医療が進歩しても、命にはかぎりがある。どう手を尽くしても、その自然の摂理に逆らえなくなったとき、どのようにそれを受け入れ、残された時間を豊かに生きられるかを考えることは不可欠である。
医療の進歩は「老いない」「死なない」幻想や錯覚を感じさせるものだから、注意が必要かもしれない。」
そして・・ なにか どこかで 勘違いしそうな、そんなきっかけを なんとなく?与えてしまうものに、化粧品なども 含まれるのではないか と。
自分で こういう仕事をしながら、こんなことを言うのもなんなのですが・・、実際の話、いつも どこかで これでいいのか、これがいいのだろうか と 感じています。
現在、私たちが手にできる化粧品のあれこれは、かなり研究されてきたものが多く、かつて、私たちを指導してくれた先生のお一人が、あるとき 「究極の化粧品というのは、つけた瞬間に 理想の自分になる というのでしょうね。」と 言われた言葉に、着々と近づいているように思えますし、それは たとえば メイクアップ商品などに、それをひとぬりすれば、目指す肌になれてしまう などということなどからも、まんざら 遠い先の話でもないように思えます。(どこのなにとは 詳しく知りはしませんが・・)
それは 決していけないことでもなんでもなく、むしろ うれしいことに違いないのですが、どういうわけか、自分の中には ほんの少し、違和感というのか、戸惑いというのか・・ そんなものが あるようで、人の中にあるときなどは、気づかれない程度に首を傾げたりしています。。
海原さんは ひとつの例として、こんな話を書いています。
「筋トレと美容室と美容外科通いで美貌を保ってきた60代後半の女性が、ケガで数ヶ月間運動を休んだのをきっかけに老いと向き合わなければならなくなった。若く美しくいることを自分のアイデンティティーとしてきた人だから老いを受け入れられず、精神的にも不安定になり、これが家族にも影響した」 と。
時々 お目にかかりますが、ほんの数日の入院や病気などをなさったというかたに、いったいなにがあったのか と 思うような変化をみることがありますが、こういうことは 案外簡単に うせてしまうものなのかもしれません・・
確かに、それまで 気にも留めなかったしわがここに! しみが!白髪が・・ などの最初は、かなり ショックで、自分でも 一応おろおろしたり おちこんだりしたことがありますが、それが あちこちに現れて、鏡を見ても それが通常になるころには、まぁ こんな自分も人並みに・・などと 多少のため息ともに、そんなものよね と 受け入れるようになりました。
人間の欲求は限りなく、それは 時に、どこか 自分を正面から見ることから、どんどん遠ざかるような場合も・・ あるのかもしれません。
「どんなに医療が進歩しても 私たちは老いる生き物だ。老いない、死なないことを目指すのはほどほどにして、限りある時間をいかに充実させるかに焦点を向けることも大切だろう。」
・・と 海原さんは 結んでいます。
メイクアップは 一種の錯覚、化粧は 化け装うこと。
自分は よく 人様にそういうのですが、メイクアップをして 一日の終わりにメイクを落として素顔の自分になり それを見るのを繰り返すことは、ある意味、そのたびに、自分の本当、現実を 改めて思い起こすには 良いことなのかもしれません。。
この世のすべてのものは、時とともに 変化し、与えられた時間が尽きれば、この世での生を終えるということは、どの生き物でも 同じです。
生き物だけではないかもしれません、山であれ 海であれ、人のそれとは 比較できないほどの長い年月、この世に存在するとしても、いつかは 高く険しい山も なだらかなそれになったり、美しい浜辺も、時がたてば、埋め立てられたり、波の影響で形を変えたり、私たちが 生きている間には ほとんど変わらないように見える海でさえ、いつかは 違ったものとなる可能性がないとは、人の誰にもいえないことでしょう。
変化するもの、自分も変化するものなのだ ということを受け入れられたとき、人は 初めて、何にとらわれることなく、楽に生きられるように思えてならないのですが・・
あなたは どう お考えになりますか?
|