「このごろ お菓子の更新が無いですね。もう やらないのですか?」
と、この間も 聞かれてしまった・・
言われて 初めて、ああ そうだった、と 気づくくらいだったから、ただ 単に 忘れていただけなのだが・・
料理をすることが 嫌いでなくて よかった、と 思ったのは、実家での食事作りが 当たり前になってきたころだった。
買い物も入れて 往復1時間くらいの実家に 週1〜2回行って 食事を作り出したのは・・ いつごろからだったろうか。
嫌いなことではないので、さほど 苦になることも無くきていたのだが、ここ少し前から、戻ってくると、ただでさえ 重い体が さらに重く感じられるようになり、帰宅後の食事作りが、いささか 億劫に感じ始めている。
出かける前の日のうちに、多少の用意はするのだが、そういうことを 続けているうちに、年がら年中 食べることばかりを気にしているのが、どうにも いやになってしまって・・ というのが おそらく、作ったものを写真に撮る という作業から 遠ざかった因みのように思える。
自分の作った料理を写真に撮る行為は、気持ちに ゆとりがあってできることなのではないだろうか?
今だって 料理することは好きだし、おいしいものを食べることは とても楽しい。
でも 今は、いくら おいしくできても、いくら きれいに作れても、その写真を撮って、サイトに乗せて・・ という 一連の作業が いかにも 面倒でならないのだ。
そこには 年齢的な、あれこれを面倒がるという傾向もあるだろうとは思うものの、それとは別に、どこかで 料理するということが、義務的で機械的な ひどくつまらないことになってしまっている、と 感じているからかもしれない。
もどってくればご飯ができている人は いいけれど、もどってきても、ご飯はないし、そこから作り始める人は 大変だ、これって 不公平だなぁ・・ と 思ってしまう。
しかし、だからといって タコ氏にご飯を期待しては ならない。
米を研いで、炊くことは 何とかできる、仕込んだし。 ねぎやきゅうりを刻むことも ある程度できる。インスタントラーメンとか 簡単焼きそばとか、そういうのは 具無し、あるいは 少々の残り物利用でなら できる。
でも それでは 出かけて立ち働いてきた者への食事というには ちょいと 悲しい。
せいぜい まぁ いつも言うのは、「納豆卵」で、栄養価が高い と 宣もう。
まぁ、それでもかまわないけれど、ほんとに これは 一念発起して びしびし仕込まないと、たぶん 自分は こいつ専属の飯炊き女で 終わってしまうのではないか、と 最近思い始めている。
・・のだが、
タコ氏の場合、この”びしびしと仕込む”というところが もう すでに 高い高い壁であって、自分は その前では あえなく惨敗を受け入れてしまうのだ。
いろいろ 考えるのだが、まぁ えーわ、物事というのは ちゃーんと おち というのがあって、どんなことにも かならず 付けがついて回るということを、この 約一名の同居人は 身をもって知るべきなのだ、と 開き直り気味に 考えることにした。。
決して いい結論ではないし、今後 多少 自分にゆとりができるようであれば、がんばって びしびし仕込んで・・ とは 思ってはいる。
が・・ はたして 可能なのか・・
。。と まぁ、こんな事情 といえないほどの事情がありまして、このところの お菓子と料理のところの更新が まったく無い というわけでございました。
来月は 早くも12月ですし、クリスマスなどもあることですし、ひょっとしたら、その気になったりするかも知れず・・
そうしたら タコ氏にかかわらず、なにか 載せる か なぁ・・
・・ と いうところでございます。
|