1 スペシャルデー
「誕生日」って スペシャルデー。
自分がその日に生まれたっていう 記念日。

子供の頃は 家族(といっても母と たまに弟)がお祝いしてくれたり、少し大きくなると 友達同士でお祝いしあって ちょっとした プレゼントなんか贈りあったり・・、仕事してても 誰かしらが覚えていて ちょこっと お祝いしてくれたり こっちも お祝いしたりして・・
そういうことって 単調な毎日での エッセンスだしスパイス。
我々の人生なんて 悲しかったり辛かったり苦しかったりすることのほうが多いんだから
たまにある 楽しさや嬉しさは 目一杯味わうようにすることって凄く大事だと思うし、それがあることで また 頑張れたり 笑顔になったりできるってこと、いくらも だれにでも あると思う。
3億円が当たったり、とんでもない幸運に恵まれたり、遺産が転がり込んだり、思いがけないめぐり合わせがあったり・・なんて 映画みたいなことは 実際 普通に生きてたら ほっとんど無いに等しい 一般ピープルの日常には、だから 自発的に、意識的に 楽しい事や嬉しいことを 作り出して、まわりも いっしょに 楽しく幸せにする瞬間があるってのは 意義深いことだと思っている。
それが 毎日顔をあわせている職場の人ってのは うれしいし、長い間の友達だったら なおうれしい。 それに、お世話になっている方たちや 気にかけてくれる人からなら さらに嬉しい。
でも 誰が一番っていったら その時 一番 身近にいる人が祝ってくれたら、それは もう 満面の笑みで 生きてて良かったって思うほどの 幸いだと思ってしまうのだ。
スペシャルなんだから 思いっきり 凄いことがあってもいいと思う・・けど
しばらく前から 何を上げようかとか なにしようかとか 考えることも、その人のことを 考えるっていう そういう行為になってるんだから。
コレは一体?とか はずれ・・のものがプレゼントされても、とにかく それを思いつくまで考えていた時間だって プレゼントになるんだから。

さて、ここからは 誕生日なんて それほど大騒ぎすることじゃないんじゃないの? とか
なにも その日に限って いきなりスペシャルしなくても 都合のいい日でいいと思うけど?なんていうことを 平気で言っちゃえる御仁(どっちかというと 男性に多いようですが・・)にもうしあげましょうぞ。
女にとっては これは・・、間違いなく イベントは すんげー 大事です。
男にとっては どーでもいいことだとしても!
これは ごく 一般的にも 通じることですから よく 覚えておくように。
ひょっとして 今 あなたに 取り入るべき女性がいたら 年齢に関わりなく、その方の誕生日に なにか ちょこっと 気持ちを送るってのは もんのすごーく 心証がよくなります。
たった一枚のおめでとう葉書やセンスの良いカードが あまり 普段行かないような、ずっとまえに 名前を書いたような店から 舞い込むことだけだって ちょっと気分良くなったりするんだから。
奇しくも あのマザー・テレサはおっしゃった。
「愛することの反対は 憎むことではなく 忘れることです。」 と。
それは つまり、その存在に関心を持っている ということになるんだよね。
だから 貴女のこと〈誕生日〉をおぼえているよ というのは、すごく 祝われるほうにしてみれば うれしい 幸せなことです。(これ、自分的にいえば いくつになっても!です。)
これは 誰だって そうなんだよ。
特に 小さい子ほど ちゃんと 誕生日を祝ってやらないといけない。
生まれてきてくれて このうちにきてくれて ありがとうね、嬉しいよ、って ちゃんと 言葉と行いで伝えることは すごく 強い自分の存在への自信になるし、それは 先になってからも自分をおとしめたりすることなく、何があっても 揺らがないでいられる基となりましょう。
これを 愛された記憶 といったりもしますね。

そうなんです・・ 先日は我が誕生日でして・・、で 毎度のごとく 聞けば 思い出したように そうは答えるものの、当日は おかしな事件が勃発したこともあって、結果を言えば つまり 誕生日どころではなくなった ということがありました。
先に書いたほどに 誕生日を ぎゅうぎゅう抱きしめるほど好きな自分としましては、それは とーっても どうにも不可解なことだったのです・・
が、それすら タコ氏には 通じなくて・・、挙句 逆切れされたりして、 ま それは こっちの思ってるようには どうしても 彼には 同じように思えない という そういうことがあったり、すぎちまったことを なにをいつまでも ということもあったり、もう いい加減、やめよーぜ的な気分だったり ・・ってのも あったと思います。
(なんて 理解があるんだろう・・!私ってば。。??)
話したところで どうにも平行線は 先々まで続きそうなので、一夜明けて タコ氏を仕事に送り出した後、ポン吉は 思ったのでした。
もう 期待するのは やめよう。誕生日は 子供達が祝ってくれるんでいい、いつもの日常のほんの一日なだけだし と。
だから タコ氏には こういおうと思う。
「友達に声かけて 一緒に食事したほうが たのしいだろうなっておもったんでね、来年からは そうするから もう 考えなくていいよ。」って。
そう思うにいたるまでには かなりの紆余曲折があったんだけど、(あまりの紆余曲折振りに もう 何をどう考え思ったのかも 全く思い出せないほどなので、中略 ということにして)結論として そういう考えに至ったのではあります。
ま・・ね、この年で なんで そんなに 必至に誕生日を叫ぶの?と 言われれば、そうだけど・・もごもご と ならざるを得ないんだけど、だけど 誕生日が 好きなんだもん。しょうがないじゃん! なのであります。

結構 若いころから なぜか 誕生日は好きで、自分ひとりで サッサと盛り上がってしまって、その盛り上がりについてこれない ケーキとか料理とかプレゼントとかで、すんごく 機嫌悪くなったりしたこともあったけれど、大病の後、自分の誕生日を迎えるごとに、ああ また 一年生きたな という そんな感慨も しばらくの間 あったこともあって・・、
それと 子供たちのそれぞれの誕生日に あれこれ 嬉しく悩みながら プレゼントやケーキや料理を考えて作るのは、なにしろ 楽しくて、幸せなことで・・、
だから たいていの人は 誕生日って すごく 嬉しいイベントなんだろうって 当然のように思っていた。
でも、タコ氏と暮らし始めてから すっごく 不思議なくらい、そういうことにあまりも関心が薄くって、それが分ってからの数年間は 毎年 不愉快な思いをし続けていたんだけど、先日の 我がバースデーにいたって ようやく、そうだな、もう この人に期待するのは やめよう という結論にたどりつきました。
そう思わない人に そう思え というのは、そりゃあ きついことでしょう。自分に置き換えたって そうですもん。
そんなもん ちーっとも ありがたくもなんともないものを、ありがたく思え といわれたって、だれが そんなこと普通に出来るでしょう? それとおんなじなんですよねー。

。。ということで、マイバースデーは ちょっと うまく出来た カレーうどんと赤ワインで ちゃんちゃん ということになりました。
まぁ 子供たちは それなり 祝意を表してくれましたし・・。
今現在 半引きこもりの娘は
ふわふわのバナナホットケーキを焼いてくれましたし、長男は いかれないから ということで バースデーメッセージとお祝いの意味を込めての 見せたいyoutubeのアドレスを報せてきましたし、次男も これおいしいよね といったパンを覚えていてくれて それを 沢山くれました。
半分 夢と現を行き来している母も、かつての母からは 考えられないような 誤字のある稚拙な文で 祝ってくれましたし・・、子供の頃から お世話になりっぱなしの先生からは、まだ 起きて間もない すっぴんの顔で受け取った 和のスウィーツセットを、バースデーカードつきで 送っていただきましたし・・、うん、その日は まず それだけでも(!なんという罰当たりな・・・ですな。) すっごく 嬉しかったです。
・・ そうなんですよ、嬉しかったんです。だから それ以上を 期待するのも、ずうずうしいんだな と 思います・・
けれどね、やっぱ スペシャルデーは スペシャルな人から 祝ってもらって 何ぼのもの じゃありませんかしら?
だけど、たまたま そのスペシャルは こっちの思いをどうにも理解できない御仁だった ってことで、それは もう こっちの 大見当違いにして 見る目がなかった・・、これは 自分の失態だったのだ と 諦めることにしましたのです。
毎日が誕生日だったらな って 昔 思っていましたけれど、その後は 毎月 誕生日があるといいな・・になり、今は、まぁ 一年で一回でもいいか、になってきていて、だから 尚のこと スペシャルに こだわっちゃってるわけです。

誕生日には 何をくれるかとか 何をするか とか(ばかり)じゃなくて、実は、その日を記憶していて どうすると相手が喜ぶかなと考えてっていう そのプロセスこそを 自分は 大事にしたいと 思うのです。
ちょっと 一筆、ちょっと 可愛いカード、ちょっといいもの、間に合わないからメッセージ。
それを 用意している間は、その人を思ってるプレゼントタイムなんですから。
そういうのが スペシャルって 思いませんか?
(しかし・・ どうして そのくらいの手間隙も惜しむかなー っていうか、おもいつかんのかなー・・ タコ氏は。
「てめー、一体 何年一緒に暮らしてんだ!このバカヤロー」 と にっこり笑って 言ってやろうとおもいます。 ^^v)
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