3 何も出来ない人の伝言
母は、先日 86歳になりました。
かつての母を覚えている自分たちには、今の母は、別人のようです。
外に出て働く娘(遠藤)と5人の孫たちの食事や世話を 一手に引き受けていた母ですが、
夕食が終わると テーブルの端っこで トランプ遊びをしていた母でしたが、
遠藤の長男が おばあちゃんのコロッケの作り方を 教えておいてもらうんだった・・と 後悔しきりのおいしいコロッケを 面倒がらずに いくつもいくつも 作っていた母でしたが、
毎日 山のような洗濯物を 洗って干して取り込んで、せっせとたたんで 必要なものには 手早くアイロンをかけていた母でしたが・・、
今の母は、人の世話より 自分が世話される側になっていて、トランプを見ても それを使って何をしたらいいのか 分らなくなっているし、冷蔵庫を開けても 手に取った食材を どうしたらよいのかなど、すっかり忘れてしまっているし、習慣のように 母と父の最小限の洗濯物だけはするものの、娘たちの洗濯物を見ながら、いっぱいで大変ねー なんて 言ってしまう母になっています。
それでも、家の中のことなどは、ゆるゆると できるところまでやろうとしていて、お皿にパンをのせることを 父の食事の世話とし、人が来れば お茶を入れなくては と お盆に急須と湯飲みを整えたり、季節に合わせて 着るものを入れ替えようと 良く分らない分類のまましようとしてみたり、遠藤が食事を作りに行けば、調理の間中、そばで なにをするでもなく、野菜などの下ごしらえをする引きこもりの次女と遠藤との会話を聞きながら、お茶をのみ、お菓子を食べるという・・ そんな母ではあります。
そして、時々 ポロっといいます、「何も出来なくなっちゃったから・・」
だから 遠藤は言います。「お祈りしてよ。お祈りなら できるでしょ?」
母は そうなのよね、だから 毎日 お祈りばっかりしてるの、と これまた 言います。
祈るという行為は、祈りのための目的を意識することもありますから、たとえば、心配な孫のために祈るときは、母の頭の中には やはり その孫のイメージがあって、その子をどうかお守りくださいと 一生懸命 祈っているわけで、それは 母の自発的かつ積極的な活動の一つといえましょう。
人は 何もしないでいると、それも 自ら率先して行わないことを続けていると、本当に 何もかもが退化していくといわれます。
一見、じっとして ただ手をあわせて ぶつぶつ言っているように見えても、母の精神は 活発に神様と会話をし、そのための活動しているのですね。
みかんをむいて お皿に乗せて出せば、みかんをむくことも出来なくなっちゃって、悪いわね、なんていうし、食事の支度をして それじゃあ と 玄関に向かうと、ありがとうございました なんて 頭なんか下げちゃうし、坂道を登って 丘の上の実家に通う娘に、暑い中、寒い中 ご苦労様、すみませんね。暗いから 気をつけなさいよ、危ないから ちゃんと前を見て歩くのよ。。云々。
それは 娘だけでなく、孫たちにも その連れ合いにも、それぞれに いまだに同じように言い続けている母です。
そうやって 彼女は、人生を過ごしてきました。彼女の日々には、彼女が願うはずも無いような 酷いことや嫌なこと、苦しいことや悲しいことなど 数え切れないほどあったにもかかわらず、今 彼女は これっぽっちも そうしたことを思い出すことも無く、ただ、朝の目覚めから 夜の眠りまでの一日中、今できることを探し、時折、思い出したように 祈ったりして過ごしています。
その彼女の生活を 神さまは、当然、ごらんになっておられて、だから、必ず 母は、母の望むところへ 還って行くのだ ということを、遠藤は 母を見ながら 確信しています。
これが「もう、何も出来なくなってしまった」という人の、神様の御手による働きの故の出来事で、それは あとに残るものたちへの「どんなになっても できることはあるよ」 という伝言なんだな と 思います。
何も生み出さなかったり、目に見えたものをもたらさなければ、存在する価値など無い という、現代の「人」に対する風潮を思うとき、最期の最期まで、どんな人にも、かならず その人にしか出来ないことがある という 恩師の言葉を 是非 折に触れて、誰でもに 思い出してほしいと 願っています。
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