かつてほどのことはなくなったけれど、時々、こんなところにも 取材の申し込みとか、当ホームページ内のサイトのひとつへの 他の場所への掲載依頼やら、ホームページを発展させませんか などなどの連絡が入ることがある。
こういっちゃあナンだが、ひょっとして、世の中のあれこれに すでに手が回りきったのか(・・なんかほかの言い方があるだろうけれど、今とっさには思いつかない)、当方のような 超微弱小店もどきにまで 声をかけなくては 仕事にならないのか、なんて おもってしまう。
まぁ よそ様のことは さておいて・・ 大体が、そういう関係からの連絡は、最近は 電話かメールがほとんどである。
忙しいさなかに、電話をかけてきて、何事かと思えば、わたくし・・○○なんとか・・の △△と・・・もうします・・ お忙しいところを・・大変・・もうしわけ・・ございませんが・・オーナー様、おねがい・・できますでしょうか? という。
(この ・・・は いらいらするほどの間延びした時間だ)
そういう電話には、「今 出ておりまして、本日は 戻らずに帰宅するということです」云々ということにしている。 オーナー本人が・・であるが。
あるいは ホームページの担当者様お願いします などというのもあるが、本日 こちらには出社しておりません、と 当方担当のタコ氏を目の前にいうこともある。
相手も仕事なのだから とは思うのだが、もうちょっと 工夫した物言い、気色悪いばかりの丁寧さだけではない、当たり前の話し方をしてくれれば、ほかの答え方をしてもよいとも思うのだが、なかなか そういう問い合わせがくることはない。
メールにしてもそうだ。突然のメール失礼いたします、からはじまって、自分の要求ばかりが書かれていて、最後まで読んだところで、どこの誰とも はっきりしない書き方のものは、読み捨てにすることにしている。これは当然。
どんなに こちらによい条件が列挙してあっても、だ。
なぜかといえば、返信しようにも 相手の名前宛てにかけないのだから。
ネット上での安全のために 本名を明かさないというのはわかるけれど、当方は、ホームページ内に、かなりの情報を載せていて、そういうところへ 個人宛のメールをするのというのに、なぜ、自分の本名やプロフィールのわかるようなものを 連絡してこないのだろうか? おかしなことだと思う。
かつて、とても 感銘した お話の掲載希望をメールでくださった方は、ご自分のホームページのアドレスとともに、改めてのご自身のプロフィール、そして、これこれの目的のために、このお話の掲載をお許し願えないだろうか・・と詳細を書いてこられた。
その文章は 涼やかで率直な、親しみのあるものだった。
すぐに、どうぞ お使いくださいと書くともに、そんな方の目に留めていただけたことを感謝し、先様のホームページを拝見して思ったことなどを書き添えて 返信した。
こうやって 日々 誰の目に触れても当然のものを、発信しているのだから、どんな人が見ようと、それは こちらのあずかり知らぬことではあるが、何かの折に、コンタクトを取ろうとするときには、顔の見えない相手を思って、誠実であろうという姿勢が感じられることは、大変 好ましく、また 見習うべきことと考える。
自分などは、あまりよい性格ではないので、そうきたか と おもうと、そのように返すという(思えばずいぶんとレベル低い)反応をすることが多いのだが、先の方のようなご依頼メールをいただけば、だからこそ、当然、丁寧に、できるだけ誠実に、たとえ お断りするようなことになったとしても、書いて送ることにしている。
また ほかにも、メールを書いた送ってきたその人はよくても、そちらでの当方のものへの扱い方に どうにも納得できないというのもあり、そういう時は、残念ですけれど、と お断りせざるを得ない。
それにしても、どうして 自分の正体を明かさずに、要望だけを突きつけるようなことができるのかなぁ・・と 思うが、つまりは それだけ 相手(世の中)を信用できない、信用してしまうと 面倒なことに巻き込まれたり、いやな思いをしたり・・などという、そんなことへの警戒があるのかもしれず、そうならば、なんとも いやなお便利グッズの 文明の利器なるメールや電話か、と 思わずにはいられない。
しかしながら、書いて出しているものについては、だまって 使われることも あることもあり・・(現に、どこかで読んだなぁ・・と おもったら、かつて自分の書いたものがそのまま載せられていた なんてことが、偶然 たどりついたサイト内にあるのを発見したこともある)
そうなっているものを 見てしまったときの気持ちたるや、その人の書いた文章の前後からだと、自分の思いとはまったく別ものになっていたりしていて、そんなときは、気分的には かなり つらくなる。
まぁ、表に何かを出す ということは、当然 波風を受けることの覚悟も同時にするというのはわかりきっていることだし、何度かのそうした経験もあるが、それでも、それでも、いやなものはいやだし、落ち込むときは 落ち込むものだ。
そして それでも、・・それでも、普段は そんなこと、これっぽちも 思わずに、好き勝手に書いているのだけれど、たまに ありがたくも素敵な企画に参加できて お役に立てるようなことがあるとしたら、それが 何十回かに一度だとしても、やはり それは とても うれしいことには 違いないのだ。
2001年から書き続けてきた このホームページを、自分は 自分なりに 大事に思っているんだなと、そんなこんながあるたびに 感じる。
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