きょうは『金羊日』

6月

 

1 昔話は しない

2 弱い立場であっても・・

 


1 昔話は しない 

  もう なくなられて 数年になるが、記憶に残る言葉を おっしゃった方がある。

 なくなられたのは、90歳代で、その方と初めてお目にかかったのは・・、当方が仕事を立ち上げて以降のことなので、たぶん 10年以上前に 初めてお会いしたのでは、と 記憶している。

 お会いしたのは ほんの数回だったけれど、伺えば 甘いものをお出しくださったり、日本酒をお好みになられたので、時に お相伴させていただいたり。。
 二人になると 小声で あとで くすっと笑ってしまうような打ち明け話をされたり、、という お付き合いをさせていただいた、とても おしゃれで、その当時も 責任あるお仕事をしておられた方だった。

 その方が、あるとき こんなことを おっしゃった。

 「私ね、昔の話は しないようにしてるの。だって どうしても 苦労話と自慢話になっちゃうでしょ? そんなの、人は聞いたって 面白くもなんともないから。だから なるべく 昔のことは 話さないようにしているの。」

 そういわれれば、確かに、その方から そういった話を伺ったことはなかった。

 ・・・ これは、なるほど そうだなぁ・・ と そのときも思ったが、今、この年齢になると、本当に その通りだ と しみじみと思うことがある。

 話題として、その場にあわせて、子育てでの大変だったこととか、仕事でのあれこれなどを話すことはあっても、やっぱり 正直いって、たとえば おやじの苦労話なんてのは、ただただ 耳にしつこい 辟易以外のなんでもなく・・、まぁ おやじに限らずだけれど・・ 聞かされるほうは、面白くもなんともないだろうなぁ、と。

 大変だったんだねー くらいは思いはするものの、それで その人への認識が変わるというものでもないし、何かにプラスの影響があるかといえば、・・ たぶん ないのではないか、という思いもする。

 だけど、人というのは、やっぱり 言いたくなるのだろう。
自分が どれほど大変な思いをして ここまできたか、自分が どれほど 人のためにあれこれしたか、もっと評価してほしい、もっと 自分についてしっていてほしい、という
 おそらく そういう類のものも はいっているのかもしれず、そうだとすると、やはり 口が軽くなる時には、つい そういう話が 続くようになることもあるかもしれない。

 別に それをどうのというつもりはないが、しかしながら それは あまり 美しいことではないように思えて。。 なので、やっぱり 個人的には なるべく 控えて、とおもっているのだが、、 何かの拍子に 滔々と 口をついて出てしまうときは、やっぱり 話している最中から、なにやってるんだ?自分、いやだなぁ・・ と、突然 冴えきった感覚に戸惑いながら、話の収拾を どこでつけようか、と おかしな徒労をしたりする。

 「昔話はしない」という達観には、まだまだ 至ることは できそうにない。

 

 

2 弱い立場であっても・・

 その日は、よく晴れて、風はあったものの、この季節には まだ早いような日差しの強さでした。

 実家に行くときに寄るスーパーの近くの坂道をおりながら、ふと、白いリュックをしょって杖をついた、白髪の年配の女性が、歩道の端の日の照りつける中に じっと立っているのに気づきました。

 当方が 近づいていく間に、その方のそばを 年配の男女が ちらと横目でみながら 通り過ぎ、犬を連れた中年の男性が するりと 通り抜け、配達の車が ゆっくりと坂道を上がり、30代くらいの女性も 何回か その方のほうを見やりながら、過ぎていきました。

 その方は、白い木綿の帽子を片手に持ったまま、それらの人々の視線を知ってか知らずか、日差しをもろにあびて 立ち尽くしたままでしたので、こちらから 近づいて、日傘をかたむけ「どちらまでいかれますか?」と たずねました。

 「そこのスーパーまでなんですけどね。」
「あ、じゃあ 私も今行くところなので、ご一緒しましょうか。」
「ええ、でも、誰かがいると 頼っちゃうからね。なるべく そうしないように。」
「ああ、そうですか。それでは 少し 先に行きますね。帽子は かぶらなくて大丈夫ですか?」
「これね、今日は 風があるから とんでっちゃうでしょ。そうすると 取りに行かなくちゃならないし、近くの人が かわいそうだから。」
「ああ、わかりました。それじゃ すこしずつ 先に行きますね。」

 そんなやり取りがあった後、自分のとった行動が 良かったかどうかと思いつつ、こちらは そろそろと 振り返りながら 先に行ったのですが、ほんの数メートル先の角を曲がるときにも、まだ その方の姿は見えないままでした。

 こちらにも時間の制限があってので、こまったな、と おもいつつも、では さっさと買い物を済ませて 様子を見に行こう、ということにして、スーパーに入りました。


 その日は たいした買い物もなかったので、それほどの時間をかけずに、入用なものだけ持って 出入り口に差し掛かったところ、ちょうど その方が ついたところでした。

 「ああ!よかった。大丈夫でした?」
「はい、ありがとうございました。」
「気をつけて お帰りくださいね。」
「ええ。」 ・・と ちょっと不安げに おっしゃるのを見ていた、別の ご年配の女性が こちらに話しかけてこられました。

 「ころばなきゃいいけどねー。」
「そうですね。」
「あの人、ときどき くるんだけど、帰りは タクシーなのよね。でさ、家がどこだかって いえないんじゃない?タクシーに乗って あちこち まわられちゃって、なんか 余計にお金をとられちゃったってのが 二度くらい あったみたいよ。」
「ああ・・ そうなんですかぁ。お気の毒ですねぇ。」
「」ねぇ、かわいそうに。だれか 一緒の若い人、いないのかしらねー。」

 そこまで話したとき、其方の方の少しお若いお身内の方がいらしたので、それじゃ といってあちらは車に、こちらは バス停に向かって 歩き出しました。

 だいじょうぶかなー・・と 思いながらも、自分では どうすることもできず・・ 
ただただ きにするばかりでした。

 歩き方も ずいぶんと 小幅で、杖を頼りに おぼつかな気なご様子でしたが、それでも 歩いて 買い物にこられる距離でしょうから、その距離に、先の話が本当なら、いったい どれほど加算された連れ帰り方をされたのだろう。。 と、腹立たしく思いながら バスに乗っていました。

 まぁ タクシー側としては、はっきりしないから いうままに乗せたんだ ということになるかもしれませんが、当節、お客様の様子を見て、先に住所を伺うとか、スーパーなら 届け物もするかもしれないですから、行き方を確認するとか、なにか 方法があったのでは。。と 思います。

 小ずるいこと というのは、しようとおもえば いくらでも できるのが人間。
すごく いけないことじゃないから、くらいにしか 思わないのでしょうけれど、そんなこと、わざわざ 弱い立場の人に、することではないだろう と思うのは、自分だけではないかと 思います。

 弱い立場の人たちが その弱さのままで 当たり前に暮らせるようでなくちゃ ね、と よく 娘たちともはなすのですが、弱さ というものが、肉体的なものだけに限らず、社会の中での立場的に、弱者といわれるところにいる人たちにも、ひろく 気遣われて良いはずだ と 思うのです。

 そうでなかったら、その社会は、健康であって当たり前、これこれができて当然という感覚が まかり通ることでしょうから、それは、突き詰めていけば、女であれば、子供を産んで当然、男なら、大人なら、普通の社会人なら・・云々の世界だけになっていくのは 目に見えています。

 その、それぞれの 尺度 にあわない人たちは、では どうせよというのでしょう?

 なんでも 普通にある人たちから、そのうち 面倒くさい厄介者扱いされていくようにもなりましょう。
 そのあたりのことを、もしも それが自分だったら、と 考えることが、すこし 柔軟な考えの社会を作り出していくことを可能にするのではないかな と 考えています。

 明日、何かの拍子に 体が思うように動かせなるかもしれない。思っても見なかった大変なことが起こって、心を病んでしまうかもしれない。
 そんなことばかりでなくても、振り向いたとたん、何かにぶつかって、しばらく 自由の利かない状態になる事だってありえます。

 先の 白いリュックの杖をついた方を思うとき、それが そのうち自分のことにならないとは、だれにもいえないことを 思えば、つまり 彼女は自分かもしれない、と 考えることは、相手の立場や状況への 少しの配慮を促すことにつながるはずでは・・と、今、そんなことを 考えているところです。

 あの方が、これから、すこしでも 無事にお過ごしになられますよう、祈ります。

 

 

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