Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2009年5月

1 電話

2 日常の冒険

3 鈍感力

4 だいじょうぶ

 

1  電話

 暖かな日差し・・を ちょっと越えたような、幾分か暑さを感じるある日の正午前。もう少しで 昼食の用意が終わるというころに、その電話はかかってきました。

 先に受話器をとったタコ氏が、少し困ったような様子でこちらを見つつ、「天野さん・・」と言うので、まぁ 珍しい! と思いながら、受話器を受け取りました。

 「もしもし、お電話代わりました。遠藤です。」

 ・・ 

 沈黙がつづくので、こちらから先に「天野さんですね?」というと、「ええ、そうです。」とおっしゃる。でも その後が続かない。で 再び

 「遠藤です。御無沙汰しております。おげんきですか?」とお尋ねすると

 「・・ええ、元気ですけど。」と なにやら あちらも困惑気味のような・・?

 どうしたものかと黙っていると

 「あのね、里子、知らない?」 「え?」 「里子がいないのね。」

  (ああ、そういうことか・・) 

 「いえ、こちらには いらしてませんけれど。」

 「あぁ そう・・。どこにいるのかしら?」

 「さぁ・・ 私もわからないんですね。」

 「どこか知らない?」「はい、申し訳ありません。」「どこにいるのかしら?」「・・・」

 「里子、どこにいるのか 教えて?」

 「申し訳ありません。私も わからないんですよ。本当に こちらにはいらしていないので。」

 「・・ そう。」

 そして ひどく がっかりなさったように 力の失せたような声で

 「わかりました。・・じゃ。」

 

 テーブルを挟んで・・

 「びっくりしたねぇ。」 「うん。」 「だいじょうぶなのかな。」 「ねぇ・・、心配だねぇ。」
「うちの人たち、分かってるだろうけど。」 「大変だよねー・・、人のこといえないけどさ。」


 天野さんは、以前 勤めていた化粧品販売店では ヴィップ会員様のお一人で、私が勤めに入る前からの 良いお客さま でした。

 熱心にお手入れをなさって、いろいろな 習い事や勉強会にも通われ、お出かけもマメになさる 楽しいことをたくさんご存知の方でした。

 お手入れのお相手をさせて戴くたびに、私には商品やお肌への詳しい説明を求められたり、時にはご自分が何をどんな風に勉強したり習ったのかなどを 楽しそうにお話したり、こちらのことも、問われるままにお話すれば、たまに お気遣いなど戴いたり・・、お客様と販売員としての間を保ったまま、気持ちよくお付き合いさせていただいていました。

 私が その仕事を辞めるとき、せめて お便りだけでもくださいね とおっしゃってくださったので、仕事の合間に書き始めた 毎月のお便り(ひつじ小屋だより)を差し上げたところ、とても喜んでくださって、
  「毎月 遠藤さんからお手紙がいただけるってことでしょう?ずっと 毎回 送ってくださいね。楽しみだわぁ。」
  と おっしゃってくださり、何かの折には つたない文をお読みくださった後の感想や、ちょっとした情報などのお知らせを戴いたりしていたものでした。

 それが、少し前のこと、いつものお便りをごらんになったから と 電話をくださいました。

 その時、もう なかなか 文を読んでも頭に入ってこなくて、とか 読んでいるんだけど どんどん忘れちゃって とか・・、ひざが悪くて 胃が弱いから、もう 殆ど表に出なくなっちゃったんでね、ご挨拶にも伺えなくて 申し訳ないから・・・などなど、それまでと数度戴いた同じような内容の電話を戴きました。

 私は、状況を察し、良く分かりました、では お手紙を差し止めますね、御心配くださいませんように と コレまでのご愛読とお気持ちに感謝して 電話を切りました。

 その時の受け答えの様子などから、ずいぶんと 弱られたなぁ・・・と 思ったものです。 
 
それは”心身ともに”ということで・・。

 実家の母が数年前、80を越えているというのに 心臓に近いところの手術を受けました。 
 その前の数ヶ月は もう 本当に びっくりするほどの人の変りようで・・
それが 自然なこととはいえ、やはり いちいちの対応に 毎回 あたふたするようで、なんとも たまらない時を過ごしていました。

 しかしながら、人というものは 本当に 面白くできているようで、手術の結果、血流がスムースになったとたん、いわゆる 呆けた症状がなくなって・・! 

 それまで 本は読めない、字も忘れる、今 自分で言ったことも記憶にないし、こっちの話も通っているようで 分かっていない、やったことをやってないといい、やらないことをやったといいい・・、あまり大声を出さない人だったのに、ちょっとでもいらだつと なんなの?!というくらいの大声で ソレまで口にしたこともないような言葉で 人をなじったり、ぴしゃっと言い決めたり・・・、本当に何なの 一体? というような状態だったのに・・!

 あのときより 時間はたって、年は取っているのに、あのときのような 傍若無人ぶりというか 自己崩壊寸前のような状態は 今は とにかく収まったように見えています。勿論 それなりに 衰えはすすんでいまが。

 その母の 手術前のころの 幾分か静かな時の様子と その時の天野さんが似ている というのを感じ、母よりも 一回り近くお若いのに・・と 気がふさぎました。

 それにしても どうして こんなところへ 電話なさったのかな・・と 今 不思議です。たぶん 遠藤 という名の承知は特になくて、きちんとした方でしたから、なにか 表のようなものに書かれた番号を 順にでも かけていらしたのかもしれません。

 そして たまたま こちらの番号だった・・ と。

 それでも、良かったと思いました。

 まぁ それは こちらの勝手な思いなのですが、たまに 思い出すと、どうしておいでか と とても気にかかります。
 だけど たとえば メールなどならともかく、普段行き来のない人に電話するということは、突然 その方の日常に飛び込むような感じがあって・・、
 それも その方の日常には特に含まれない自分が、こっちの勝手な思いによって 連絡するとなれば、個人的には かなりの抵抗があって・・、

 だから なかなか ご様子を伺えず・・(なにしろ 文を読むのに苦労しておいでだというのですから 手紙は断念)気になりつつも 何もできずに ただ 思い出したときは 心の中でお祈りさせていただくばかりでした。

 ですから 状態の如何に関わらず、ご様子を知れたのは よかったし、なにより ほんの偶然だったとしても、こんなところへ ご連絡いただけたこと、それは とても嬉しいと思いました。

 人は、だれでも みんな おなじように そうなる とは いいませんが、でも たぶん 似たり寄ったり なんでしょうね。

 まだ 自分のこととして そういう状況を体験したことがないので、実際がどうなのかは全く分かりませんが・・、だけど、そうしたことへの経験や認識が少ない自分に、今回のような出来事があるのは、ある意味 何かへの「流れ」のようなもの、それも 促す という言葉のほうが 相応しいような「流れ」を感じたりしています。

 里子さん という方を 存じ上げませんが・・、天野さんは 里子さんを 見つけられたのでしょうか。そうだと いいな・・と 何の当てもなく 思ってしまいます。


 これは・・  つい 先日 体験したことです。

 こういうことを書くということが よいかどうか。 一週間考えて・・ でも いい、とにかく 記録しておこう と。

 お名前は まったく 違います。”天野さん”も”里子さん”も 架空の名前です。
 そうですね・・、そうしてでも 記録しておきたかった。 残しておきたかったんです。


 ”天野さん”の以前を存じ上げていますので、やはり この変りようは 堪えました。それが 特別なことではないというのが なおさら 今の自分に堪えているように思えています。

 途方にくれますね・・ 正直に言うと そうです。

 だって 分からないんですから。どうしていいかも。
その年齢 その状態を 実体験していない自分ですし、実体験するようになったら もう こんなことがあったことも わからなくなっている可能性が高いし、それを説明したり伝えたり というのも難しくなっているわけですから・・、それを 思うと ほんとに どう捕らえたらいいのか 
と 悩みます。

 そしたら もう することは コレしかないと思いました。
自分が してほしいことを する、自分がしてほしくないことは しない。

 自分だったら と 考えることしか 今の自分にはできないな と。
 それだって かなりの的外れだろうとは思います。誰だって 自分以外の人には なれないんですから、誰だって。 

 ただ 自分としては そのくらいしか思いつかないし、そのくらいだったら なんとかやれるだろう というだけのことです。

 ”天野さん”も 実家の母も、そして ゆくゆくは 自分自身も、”流れ”に促されるままに 過ぎていくその過程

 その流れに在りながらも、せめて 無事で と 祈るばかりです。

 

 

 

2  日常の冒険

 
 もう
 大分前になるけれど、子供を幼稚園に送った後、あまりによい天気だったので、三つ前のバス停でバスを降りて、海沿いに歩いてかえろう なんて思ってしまった!ことがありました。

 ・・で どういうわけか 山の中に入って (あー もう 聞かないでください! 自分だって なんでそういうことになったのか 皆目分けが分からないんですから・・!)

 たかだか 三つ前のバス停ほどの距離だというのに、どうしてだか 家に着いたのは バスを降りてから 2時間後!だったことがあったんです。

 普通に いつものバス停で降りて 家に帰れば、そのバス停からだと 約15分というところなんですけどねー・・。たんに 道に迷っただけ、それも ご近所で!今もって どこをどう通ったのか 記憶がないんですねー・・)

 確かに それは極端な過去の体験ではあるけれど、出かけることが多かったころは、なにしろ そんなこと 日常茶飯事で・・、
  クリスマスや誕生日の買い物に出かけただけとか、セミナーに行くとか、お見舞いやお祝いを持っていくなどの用を済ませに行くというだけなのに、いちいち 突然 見知らぬ世界に 途方にくれて 突っ立ってることがよくありました。

 ある異業種混合セミナーで 一緒のグループになって数日をともに学びあった若いお医者さんは、真顔でこういいました。

 「MRI 撮ってあげるから、一回 きてくださいよ、脳内の神経に問題があるのかもしれない。」 
・・いきませんでしたけどね、あら〜・・という感じで 軽いショックを受けたものです。

 ちょっとした意味ありげな小道や抜け道、わき道をみると すぐ 行ってみたくなるだけなんですね。同じ町の中だけど ここを通れば あそこに出るはず なんて 勝手に思って、行ってしまうだけなんですね。 問題は まぁ かなりの方向音痴だってだけなんですけどね。 

 毎日通る道の 季節や天気の変化につれての様変わりも とても素敵で嬉しいけれど、そうやって 結局は こまって焦るくせに あちこち 知らないところへ 出てしまうというのも ちょっとした ミステリーっぽかったり、冒険っぽかったりして、わくわくできてしまいます。

 結構 やっぱり 怖かったり 危なかったりすることもあるんですけど、でも 結局 こうやって、家で こんなこと書いちゃってるわけですから、毎度毎度 当たり前に(?!) 戻ってこれているわけで・・。 だから まぁ 良し ということに。

 なんか・・ 書いていて 自分(の人生)って疲れる・・と、ほんの少しだけ 哀しくなったりして・・。

 

 

  鈍感力

 
 
昨日 バスで座っていたんだけど、杖を突いたおばあさんが、よっこらしょって 乗ってきて・・。でも だれも立たないし、自分は 少し離れていたんだけど 立って どうぞっていった。

 だけど バスは動き出して おばあさん、歩きにくそうだったんで 自分も傘やバッグを持ってて すごく 不安定な格好だったけど、そばにいって 腕をつかんで ゆっくり 座れるところまで 連れて行った。

 そういうお世話って ああいう場合は やっぱり あまりやりたくないけど、でも やっぱ 目の前にそういう人がいたら そうしないわけいかないでしょ?

 そういうときの 行為そのもの、というよりも その時の「 いやだけど やらなくちゃ」っていう気持ちとそのためにしたこと が、たぶん
 愛するってことになるんだと思う。

 つまり 自分のこまったな とか、やだな とか、一生懸命じゃない ふつうの感情―ちょっとはずかしいな みたいな―そんな感じを ちょっとだけ押して行うことこそが 愛することになるんだろうと思うんだよね。



 恋愛なら
 好きという感情だけで なんでも出来ちゃうし それをすることになんら抵抗を感じないけれど、でも そうでない場合は とくに 恥ずかしいとかどうしようかな っていう、そんな気持ちとちょっとの間 戦わなくちゃならない時もある。

 その戦いに 簡単に 都度まけちゃうのが 一般的だろうと思うけど(そのうち誰かが立つだろう とか、なんで 不自由な人がバスに乗るんだろう、乗るほうがわるい とか、運転手が何か言ったら立とうかな とか・・)なんてことで、

 だけど その気持ちを すこしだけ 後ろへやって  ちょっとのあいだ 恥ずかしさを感じたり こまったな という気持ちになりながら、
でも やったほうがいい という 思いで行動するってのは 日常に愛することを実践するのに 必要なんだろうなっておもうんだよね。

  表に出てね そういう気持ちになりたくないし なったら困るから そうならないように なるべく外に出ないようにしている とか、人が一杯の時間に遭遇しないように出かけているって言う人 いるんだよ・・

 自分から 人を愛することへの実践チャンスを捨ててるよね。

 そういうことが出来ると 少しずつ 人とのやりとりが楽になっていくのに ね。
 自分は そうおもうんだわ・・



 たぶん もともと自分が 鈍感だからなんだろうと思うけど、鈍感って 結構 いいのかもしれないなんて いつも おもうよ。とくに そういうときに ね。

 ちょっとの間は 人がどう思ってるのか、これ見よがしに「いいこと」なんかやっちゃって って おもわれてるかな とか、思っちゃうんだけれど、でも 別にいけないことしてるわけではないし、いい人ぶってるわけでもない。

 『あなたが良いことをしても 偽善だといわれたり、あるいはすぐに忘れてしまわれたりすることでしょう。それでも良いことをしなさい。』という マザーテレサの愛することを実践するための励ましの言葉は、こういうときにも ちょっと当てはまるよね。


 神様は 自分のそんなごちゃごちゃした気持ちのことなんか ずっと前にお見通しで、だけど それでも なにかのときに 自分を使ってくれているんだっておもうのは すごく うれしいね。
 自分が「お役立ち」にしてもらえているんだから ね。 しかも 自分が気がつかないうちに さ。 

 それが いっちばん 自分としては うれしいのさ! ☆

 

4  だいじょうぶ 

 曜日の感覚がない・・。 ふと あ 金曜だ なんておもったけれど、今日は土曜日だった。

 ま いいです。大体が 生まれてからこの方、分かってるようで分かってないのが、日時だの、方角だの、数の概念だの、距離とか 地理的なこととか、
  (・・・ こういうのって 余談ですけど、あげつらっていけば行くほど どんどん 自分が混沌としてきますねー・・)
 とにかく 自分が そういうことには とんと 疎くて オールアバウトでくらしてきていて、この年まで それでやってこれている という既成事実を うちたててありますので、いまさら なにかをわかったところで、だからなんだ?です。

 おもうに そういうことって 大事かもしれないんだけど、こと 自分に関しては ぜーんぜん 大事じゃない! 平気。 いいの。 別に問題じゃない。

 当然のことながら、それではすまないという現実に 幾度も突き当たっています・・が、それでも 今があります。 これは 厳然たる事実。 ^^v

 例えば 曜日。中学生のころ、自分は その日を日曜日だと思った。で 制服は着ないで朝の食事をしに行ったら、母が 何事か というような声で、なにやってるの!という。

 日曜じゃないということが理解されたので、服を着替えて、学校へ行ってみれば、昨日のままの時間割なので、当然 持っているべきものがなかったり・・ まぁ 思い出したくもないようなことが 一日中 付きまとって、うんざり。行くんじゃなかった と。

 約束しても なんだか 行き違ってしまったり、時間も もともと 時計を読むということが 難しくて、「絵」としての認識は出来るけれど、どうしても 時計や時間、時間的感覚を 人並みにあわせるのに 実は いまだに苦労し続けています。

 方角に関しては 先(この頁の2 日常の冒険)にも書いたように、自分では それでいい と 思って行動しているのに、世の中が意地悪くて! ほんとに なんど 酷い目にあったことか、です。

 数の概念なんてのは もう のっけからなくって、自分では 「あー どっかほんとに なんかがないのねー 私の頭の中には」 と 納得しているので、べつに わかんなくても どうでもいいわけです。それについては もう 小学校の3年で 自分は 焦ったり、恥じたり、悲しんだり、落ち込んだりを辞めました。

 でもねー 親は そういうわけには行かないみたいでしたね。必死になって 泣きながら 娘の宿題を何とか分からせようとするわけで・・、なんか 悪いんですけど、ほんとに いけないと思うんですけど、妙に滑稽で、泣いてる振りして 笑っていたりなんていう 自分は そんな奴でした。

 親には なんどか説明したんですけどね、どうしても 分からないんですよ。特に 母などは 「良く出来た」人だったので、自分の娘が バカかもしれない というのは たまらなかったんだろうと思いますよ。 だけど そうなんですから。しょがないです。

 で 母親は とうとう、長い月日をかけて 彼女自身をなだめ、なにをしたかというと、高2の面談のときに、「この人には 数学はさせなくて結構です。」と 言い切り、それをうけて 担任の先生は「かしこまりました。」と おっしゃった。。!
 
それから 自分は 晴れて数学と縁を切ることが出来たというわけです。
 
いい学校だなぁ・・と 初めて 思いました。

  数学にしても なんにしても 理屈は分かるんですけどね、ただ わかっているはずのことが なぜか 形にならないんですねー。

 それでも こんなにおとなになっちゃいましたし、子供たちも それなりになりましたし・・、こんな自分を気に入っていっしょに居ようという 奇特な御仁にも であっていますし、ね。

 なにより、毎日が なんとなく たのしいですし、いいなぁ・・と 思って生きています。

 だから ちょっとだけ「ポン吉の恩返し」を と おもっています。
 ( あ ポン吉 というのは、タコ氏が 私を呼ぶときの呼び名です。)

 これを 書いた<打ち明けた>のも そんなつもりも あってのことです。

 回りは大変だったかもしれないとおもいます。ほんとに。とくに 母親などは。でも 気づいてなくても 本人が 一番 やっぱり 大変なんです。世の中と 相容れないのだ ということを 子供のころから 肌身に受けて知ってしまっているので、それを どうやって 自分を貶めずに それなりに見せつつ おもいつつ やっていくか という、それはそれは 結構 しんどいおもいをしながら 生きてきた とも いえるんですよね。

 それでも、それでも だいじょうぶ と いいます。

 だって 私 今 ちゃんと 生きてるし、いろんなこと考えてるし、成績なんか もんのすごーく わるかったけど、別に それで何の不都合もなかったし、今も ないです。

 こんな自分でも 恩師は いっぱい 話をしてくださったし、いろんなところへ連れて行ってくださったし、たくさん 自分を認めてくださったんですから、私は なんにも不足のない人間なんだ と 思っていました。

  それが 人にとって 一番 大事なことなんだ と 実感しています。

 出来ないことを あれこれ言うのは簡単です。まぁ ソレを言うのは 普通なんでしょうから 言ったとしても かまわないけれど、だけど ソレを言ったなら、必ず すぐに その時できていることを ことばにしていいましょうよ。
  それは できていない相手に言うだけでなく、声に出し 言葉にして言うことで 言っている本人が 相手について 改めて 認識を持つためにも、ほんとに とても 必要なことなんです。

 そして それは 特に 自分の言葉で 自分を説明できないような そんな小さな人たちにこそ、それでいいんだよ と言うべき 大切なことだと思っているのですよ、私は。  

 

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