暖かな日差し・・を ちょっと越えたような、幾分か暑さを感じるある日の正午前。もう少しで 昼食の用意が終わるというころに、その電話はかかってきました。
先に受話器をとったタコ氏が、少し困ったような様子でこちらを見つつ、「天野さん・・」と言うので、まぁ 珍しい! と思いながら、受話器を受け取りました。
「もしもし、お電話代わりました。遠藤です。」
・・
沈黙がつづくので、こちらから先に「天野さんですね?」というと、「ええ、そうです。」とおっしゃる。でも その後が続かない。で 再び
「遠藤です。御無沙汰しております。おげんきですか?」とお尋ねすると
「・・ええ、元気ですけど。」と なにやら あちらも困惑気味のような・・?
どうしたものかと黙っていると
「あのね、里子、知らない?」 「え?」 「里子がいないのね。」
(ああ、そういうことか・・)
「いえ、こちらには いらしてませんけれど。」
「あぁ そう・・。どこにいるのかしら?」
「さぁ・・ 私もわからないんですね。」
「どこか知らない?」「はい、申し訳ありません。」「どこにいるのかしら?」「・・・」
「里子、どこにいるのか 教えて?」
「申し訳ありません。私も わからないんですよ。本当に こちらにはいらしていないので。」
「・・ そう。」
そして ひどく がっかりなさったように 力の失せたような声で
「わかりました。・・じゃ。」
テーブルを挟んで・・
「びっくりしたねぇ。」 「うん。」 「だいじょうぶなのかな。」 「ねぇ・・、心配だねぇ。」
「うちの人たち、分かってるだろうけど。」 「大変だよねー・・、人のこといえないけどさ。」
天野さんは、以前 勤めていた化粧品販売店では ヴィップ会員様のお一人で、私が勤めに入る前からの 良いお客さま でした。
熱心にお手入れをなさって、いろいろな 習い事や勉強会にも通われ、お出かけもマメになさる 楽しいことをたくさんご存知の方でした。
お手入れのお相手をさせて戴くたびに、私には商品やお肌への詳しい説明を求められたり、時にはご自分が何をどんな風に勉強したり習ったのかなどを 楽しそうにお話したり、こちらのことも、問われるままにお話すれば、たまに お気遣いなど戴いたり・・、お客様と販売員としての間を保ったまま、気持ちよくお付き合いさせていただいていました。
私が その仕事を辞めるとき、せめて お便りだけでもくださいね とおっしゃってくださったので、仕事の合間に書き始めた 毎月のお便り(ひつじ小屋だより)を差し上げたところ、とても喜んでくださって、
「毎月 遠藤さんからお手紙がいただけるってことでしょう?ずっと 毎回 送ってくださいね。楽しみだわぁ。」
と おっしゃってくださり、何かの折には つたない文をお読みくださった後の感想や、ちょっとした情報などのお知らせを戴いたりしていたものでした。
それが、少し前のこと、いつものお便りをごらんになったから と 電話をくださいました。
その時、もう なかなか 文を読んでも頭に入ってこなくて、とか 読んでいるんだけど どんどん忘れちゃって とか・・、ひざが悪くて 胃が弱いから、もう 殆ど表に出なくなっちゃったんでね、ご挨拶にも伺えなくて 申し訳ないから・・・などなど、それまでと数度戴いた同じような内容の電話を戴きました。
私は、状況を察し、良く分かりました、では お手紙を差し止めますね、御心配くださいませんように と コレまでのご愛読とお気持ちに感謝して 電話を切りました。
その時の受け答えの様子などから、ずいぶんと 弱られたなぁ・・・と 思ったものです。
それは”心身ともに”ということで・・。
実家の母が数年前、80を越えているというのに 心臓に近いところの手術を受けました。
その前の数ヶ月は もう 本当に びっくりするほどの人の変りようで・・
それが 自然なこととはいえ、やはり いちいちの対応に 毎回 あたふたするようで、なんとも たまらない時を過ごしていました。
しかしながら、人というものは 本当に 面白くできているようで、手術の結果、血流がスムースになったとたん、いわゆる 呆けた症状がなくなって・・!
それまで 本は読めない、字も忘れる、今 自分で言ったことも記憶にないし、こっちの話も通っているようで 分かっていない、やったことをやってないといい、やらないことをやったといいい・・、あまり大声を出さない人だったのに、ちょっとでもいらだつと なんなの?!というくらいの大声で ソレまで口にしたこともないような言葉で 人をなじったり、ぴしゃっと言い決めたり・・・、本当に何なの 一体? というような状態だったのに・・!
あのときより 時間はたって、年は取っているのに、あのときのような 傍若無人ぶりというか 自己崩壊寸前のような状態は 今は とにかく収まったように見えています。勿論 それなりに 衰えはすすんでいまが。
その母の 手術前のころの 幾分か静かな時の様子と その時の天野さんが似ている というのを感じ、母よりも 一回り近くお若いのに・・と 気がふさぎました。
それにしても どうして こんなところへ 電話なさったのかな・・と 今 不思議です。たぶん 遠藤 という名の承知は特になくて、きちんとした方でしたから、なにか 表のようなものに書かれた番号を 順にでも かけていらしたのかもしれません。
そして たまたま こちらの番号だった・・ と。
それでも、良かったと思いました。
まぁ それは こちらの勝手な思いなのですが、たまに 思い出すと、どうしておいでか と とても気にかかります。
だけど たとえば メールなどならともかく、普段行き来のない人に電話するということは、突然 その方の日常に飛び込むような感じがあって・・、
それも その方の日常には特に含まれない自分が、こっちの勝手な思いによって 連絡するとなれば、個人的には かなりの抵抗があって・・、
だから なかなか ご様子を伺えず・・(なにしろ 文を読むのに苦労しておいでだというのですから 手紙は断念)気になりつつも 何もできずに ただ 思い出したときは 心の中でお祈りさせていただくばかりでした。
ですから 状態の如何に関わらず、ご様子を知れたのは よかったし、なにより ほんの偶然だったとしても、こんなところへ ご連絡いただけたこと、それは とても嬉しいと思いました。
人は、だれでも みんな おなじように そうなる とは いいませんが、でも たぶん 似たり寄ったり なんでしょうね。
まだ 自分のこととして そういう状況を体験したことがないので、実際がどうなのかは全く分かりませんが・・、だけど、そうしたことへの経験や認識が少ない自分に、今回のような出来事があるのは、ある意味 何かへの「流れ」のようなもの、それも 促す という言葉のほうが 相応しいような「流れ」を感じたりしています。
里子さん という方を 存じ上げませんが・・、天野さんは 里子さんを 見つけられたのでしょうか。そうだと いいな・・と 何の当てもなく 思ってしまいます。
これは・・ つい 先日 体験したことです。
こういうことを書くということが よいかどうか。 一週間考えて・・ でも いい、とにかく 記録しておこう と。
お名前は まったく 違います。”天野さん”も”里子さん”も 架空の名前です。
そうですね・・、そうしてでも 記録しておきたかった。 残しておきたかったんです。
”天野さん”の以前を存じ上げていますので、やはり この変りようは 堪えました。それが 特別なことではないというのが なおさら 今の自分に堪えているように思えています。
途方にくれますね・・ 正直に言うと そうです。
だって 分からないんですから。どうしていいかも。
その年齢 その状態を 実体験していない自分ですし、実体験するようになったら もう こんなことがあったことも わからなくなっている可能性が高いし、それを説明したり伝えたり というのも難しくなっているわけですから・・、それを 思うと ほんとに どう捕らえたらいいのか と 悩みます。
そしたら もう することは コレしかないと思いました。
自分が してほしいことを する、自分がしてほしくないことは しない。
自分だったら と 考えることしか 今の自分にはできないな と。
それだって かなりの的外れだろうとは思います。誰だって 自分以外の人には なれないんですから、誰だって。
ただ 自分としては そのくらいしか思いつかないし、そのくらいだったら なんとかやれるだろう というだけのことです。
”天野さん”も 実家の母も、そして ゆくゆくは 自分自身も、”流れ”に促されるままに 過ぎていくその過程。
その流れに在りながらも、せめて 無事で と 祈るばかりです。
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