Aurea Ovis

きょうは「金羊日」

2009年4月

1 習慣・・

2 春の歌

3 手前勝手

4 「荘司福展」 荘司福さんの絵から

1 習慣・・

 さっき 認めたこと。=やっぱり これじゃ だめだ。

 毎週 決まった日に更新しないと ほんっとにどんどん ずるずる 書かなくなるなぁ・・、やっぱり 一応 金曜日を目安に 毎週 書いたほうがいいのかもしれないなー・・。

 忙しい を理由に、先にいいわけをしておいた その小狡いやり方は、結局 自分の怠慢を露呈するにいたっただけであって・・、なんて 言い方したって 現実の何も変りはしないのだけれど、まぁ そうやって 自分にごくたまーに ゆる〜い鞭をかる〜くあててやることも ある意味 必要かな なんて・・。 (はい、かなーり いいわけめいています。たしかに言い訳。)

 ・・ということで、これから 毎週金曜日を一応の更新日 としようと ちょっと決めました。

 人間 だれると際限なくだれますねー。ま この場合の人間というのは まったく「たった一人」のことなんではありますが。 まぁ いいです。とにかく ゆるゆる やりませう。

 いろんな思惑があるのだけれど、本当に 雑事に追われたり、しなければならないことを 溜め込んで、結局 ぼーっと 日を過ごしたり・・。なにやってんだか・・という そんな毎日ですから、ここは ひとつ ようやく あったかくもなってきましたしね(それがなんだ?ですね)、毎週の更新を心がけようと ひそかに心に決め、そして こんなところで 言ってみたりしてるわけです。

 それから・・

 アルゴテルムの商品ですが、大分 入ってきています。

 ただ この時季からほしい美白ライン=ブランペルフェクシオンは リニューアル中とのことで、5月20日過ぎに 入荷の予定と知らせてきています。

 あ でも 日焼け止めは ちゃんと 入ってきていますので、どうぞ ご入用の方は お知らせくださいませ。 あれこれのリニューアルにあわせて というわけでもないのですが、諸々の事情により、お値段の変更をさせていただいています。
  まことに 申し訳ございませんが、よろしく ご了承くださいませ。

 その アルゴテルムですが、インセンシ というラインが新しく入ってきています。
これ、いいです。とくに 敏感肌用 というわけ方ではないのですが、敏感肌の方にも使っていただけます。

 もともとは どんなお肌の人にもある 様々な理由によっておこる 季節、体調、ストレスなどなどによる お肌の不調時に 適切に働くように 設計されたラインです。

 そうなるまでは 自分の肌は 誰よりも健康で強くて、どんな化粧品でも 最初に使って試せるのは 自分しかいない というくらい、元気な肌だったのに、数年前 その自慢の肌が絶不調になってからは、ものすごく酷いときには やっぱり 薬を使わなくてはならなかったのですが、それが いらなくなるだろうと 今 思えています。

 肌を労わり 落ち着かせ、力を蓄えさせて 元気づけていく、そういうラインです。

 使い心地も良いですし、肌が 健康になっていくのが 分かります。

 通常 お使いのもののほかに、SOSアイテムとしてのご用意として お持ちになられるのも良いと思いますし、インセンシの常用も 勿論 OKです。

 気候や環境の変化、合わない化粧品による肌トラブル、ストレスや疲れなどから起こる お肌の不調。 加齢や病気などによるお肌のバリア機能の低下やそのために起こる乾燥。 
赤み、熱っぽさ、不快感、ツッパリ感などの炎症による 肌の反応に 効果的に対処します。

 以前は 季節変りとか 木の芽時 とか、そんなときに お肌の不調を訴える方が多かったのですが、最近は 季節などに関係なく 肌の不調のお知らせを戴くことが 多くなりました。

 インセンシは そんなお肌に 的確に働き、お肌を落ち着かせて やさしく 確実に元気にしてくれることと思います。

 インセンシ、かなり 期待しているラインです。

 

 本当に 日が伸びてきましたね。気が付くと もう こんな時間!というようです。
過ごしやすい季節ではありますが、ちょっと 油断すると 風邪を引いたり、おなかを冷やしたりしそうです。どうぞ くれぐれも 皆様 きをつけて お過ごしくださいね。

 では、今週の金曜日(あたり)に また 書くことをお約束して・・、今日は おわります。 

 

2 春の歌

  一晩続いた散々な雨風の後の鮮やかな緑が、朝日につややかにきらめいて、生々、清々としている。

 春だ・・!と ことのほか実感できる瞬間でもある。

 窓を開けると 最近とみに上手になってきたうぐいすの澄んだ歌声や畑のどこにいるのやら、かえるの声も聞こえる。

 菜の花の黄色、椿の赤や白、淡いピンクや紅白の絞り、桃紅色のつつじの下にはカラスノエンドウの紅紫やオオイヌフグリの明るい青、かわいいスノードロップの白・・などなどが、溢れんばかりの緑の中に、これまた 自分の存在を我先にと知らしめるかのように 咲き競っている。

 楓の木にはまだ初な若緑の葉が 濃い赤の先端を見せて風に揺れている。

 ほんのちょっと前までは、白壁にその這い後を恨めしげに残していた たくさんの蔦の緑が、これもまた つややかな新しい緑の波を作って、天を目指して壁を駆け上がって行く。

 柔らかく穏やかな風が 開け放した窓から遊びに来ては、部屋のあちこちを巡って また 外へと流れ出ていく。 
  彼女の置いたお土産は 花々のほのかな香りと深く息するたびに喉に染みとおる 新鮮なひんやりした緑の息遣い。

 目の前の小山の小さな鳥たちの歌声が絶えず聞こえ、時には 何をそんなに絶え間なくうたわなくてはならないのか とおもったり、少し黙っててくれないかなと 思うくらいににぎやかに、朗らかに 楽しげに 春を歌っている。

 

 この 恵まれた春を 毎日毎日いただけることを 心からありがたく思う。
私たちの季節は、どの 何にも増して、美しく麗しい と、春のたびに思うのだ。

 何にもない、変わったことも、面白いことも、良いことと取り立てて言うほどのことも、最悪だと思うことも、特に楽しいと思うようなことも、つまらないというようなことも、何も無い、単に 普通の いつもと変わらない毎日なのだけれど、
  でも ホントに 楽しい。嬉しい。そして 幸福を感じてしまう。

 それが 春なのだ と 春の歌を聞きながら 今日も 幸いに感謝しつつ、朝からゴミを出し、洗濯をし、掃除をし、食事を作り、手紙やメールの返事を書き・・傍楽(はたらく)のだ。

 この、春の日々を なんと言えばよいのだろう。 ただ ただ 感謝するのみ・・!

 

3  手前勝手

 当方の住まいは、かぎ型に建てられた4軒続きで、入り口からは一番奥にある。今 隣家にあたるところは先ごろ引っ越して、誰も入っていないのだが、今朝、ゴミを出しに玄関を出ると、その隣家の玄関回りと当方の玄関付近までの草が、すっかりキレイに取り除かれていた。

 これは、一軒向こうのご夫婦のなさったことだと すぐ分かった。

 本日、朝からの曇天にて 幾分涼しい故、それではと草刈鎌を持ち出して、玄関周りのちょっと伸びすぎかなと思うような草々を刈り取れば、すぐに小さな草の山ができた。

 当方の裏手には夏みかんのなる木があるのだが、その前を90度に曲がって、プロパンガスのボンベを運んでくれる人のことを思って その辺りを見れば、あまり通りやすいとはいえなくて、そんなことを考えたら やっぱり ここも草取りしておいたほうがいいだろうな と、せっせと取り続ける。

 そこも大体のことがすんだので やれやれと 辺りを見回したところ、ふと見てしまった南側の庭も気になって・・、で 結局 庭も少しだけど、つんつん飛び出している草などを 取り払ってしまった。そして 結構な量の草達が刈られて 大きなビニールの袋に一杯になった。

 幾分 すっきりはしたものの、ゴミステーションにおいてもどり、手を洗うと 指先が土と緑の色に染まっている。

 ごしごしとこする前に、なんとなく 鼻先に手を持ってくれば・・、草々の匂いがする。

 その 独特の香りを嗅ぐと、その嘆きが聞こえてくるような、そんな感じがして 少しだけ気持ちが沈んだ・・。

 いけないわけじゃないのに。そこに 彼らがいることなんて 全然いけなくないのに。
 
どうして 草刈なんてするのかなー・・ なんて 青いことを思ってしまった。

 でも まぁ 毎回ボンベを運ぶ人の足やそれを運ぶ車に絡みつく草のことや、あまりの草の繁茂による バッタなどの小さな生き物の勢いで、せっかく育てたハーブや苺や薔薇が食べられて虫食いだらけになってしまうことを考えたりすれば、・・ まぁ これも 仕方ないんだよねー なんて 自分に言い訳したりしてしまう。

 そんなことを ふと 一軒先の奥様に漏らしたとき、気にしないで平気ですよ、だって すぐまた一杯生えてきちゃいますから と 言われたことを思い出した。確かにそうなのだ・・!

 そして それを思い出したとたん、そうなんだ・・ これは まだ 暫く続くのだ・・と、さっきの思いはどこへやら、今度は かなり げんなりした気分になった ということも とりあえず 付け加えておこう。

 まだまだ 修行が足りないなー・・。

 

4   「荘司福展」 荘司福さんの絵から

 少し前に 「秋野不矩展」に出かけたことを書いたが、昨日は 今 それと同じ場所である神奈川県立葉山美術館で開催中の「荘司福展」(花、大地、山―自然を見つめて)を見に、季節の逆戻りを感じる中、出かけていった。

 当日、表では何かの撮影をしていたらしく かなり人だかりがしていたが、館内には 我々のほか ほんの数人しかおらず、しかも それぞれが黙って 絵を観ているので、適度な温かさのなか、ひっそり、静かに観て回ることが出来た。

 今回のお気に入りは、到春賦、刻、そして 蒼 など。

 荘司福さんの略歴を少し。

 1910(明治43)年に父の仕事の関係で赴任していた長野県松本で生まれる。
青春時代に東京の女子美術学校で日本画を専攻。卒業後、若き数学者荘司篤と結婚し、東北の仙台に新居を構える。しかし、夫は結核にかかり、若くして命を失い、二人の乳飲み子を抱えながら、当時30歳だった荘司福が生きる目標としたのが日本画の創作活動だった。
 
 画家として仙台でスタートさせた前半生と、その後に過ごした東京、横浜での後半生を通じて荘司福の創作活動は、戦後の日本画の歩みをそのまま体現したといえよう。
  戦後の洋画を貪欲に吸収していった1950年代の作品から始まって、荘司福は、徐々に東北の生活や信仰に共感を寄せていった。

  1960年代から1970年代にかけては、海外への取材にも意欲的に取り組み、インドやネパール、さらにエジプトやケニアといったアフリカにまで足を延ばしている。仏教遺跡やオリエントの神々に接することで、古代への思いを創作に生かそうとしていた。そして、若き日に東北の土俗的な神々を題材にした素朴な美意識に彩られた作品から、1980年代に入ってくると、静謐で玄妙な画風を経て、日本画の世界に独特の深遠な境地を生み出すようになった。

 1980年に70歳を迎えた荘司福は、さらに亡くなる92歳までの晩年の20年間を、自然との対話に努め、苔むした石が連なった《刻》(1985)や清々しい早春をとらえた《到春賦》(1987)といった傑作を生み、さらに自然と交感し、ついには自然と融和した精神状態で《明け行く》(1999)や《春の海》(1999)などの絵画を描く境地に至った。

 上記文中に 静謐 という言葉が出てくるが、まさにその通りで・・、なんと言えばよいのかと ずっと考えていたことに しっくり来る表現だとおもった。

 実際、初期のころの作品よりも 年を経て描かれたであろう 石や岩、北国の季節風景などを観たときの、なんともいえない しん とした感じについて、静けさを感じるには感じるのだが、なんだか それでは言い足りない、そうじゃなくて もっと・・という、歯がゆく思っていたことが、その 静謐 という言葉で 一番近いかな と納得しかけた。

 しかしながら、まだやはり 静謐(物事がうまくおさまっている穏やかな状態)とだけでくくるにはものたらず・・、なおも 似つかわしそうな言葉を 胸の奥のほうで探していたようだ。

 そして、ふと そういえばと思いついた言葉に 英語のcalmという単語があった。

 calm、そう どちらかといえば そんな感じ。
 クリスマスキャロルのひとつに”silent naight”(聖しこの夜)があるが、その中の♪all is calm,all is bright,♪と歌われるところを思うと なんとなく伝わるかな と 思うのだが・・、ちょっと無理やりな説明するとすれば、侵しがたい静けさ、人の手では実現できない=神聖な静けさ・・のようなものを感じていた。

 それは 特に 北国の春の訪れを感知して描かれた作品に流れている空気感のようにも思える。

 抽象的なものやイメージを追ったものなどもあって、おそらく 観て感じたままを 彼女なりの技法で描いていけばそうなっていくしかないという絵なのだろうと思っているのだが、70歳を越えてからの 自然との対話から得たものを、表をなぞるようにしか見ない 我々の目で見ても、ある種のなじみ感(共感)を覚えるような作品として置いて行ってくれたのは、ありがたかったなぁ と しみじみと思った。

 小柄な人だったのかもしれない。実際は 何も知らないが、出口付近の壁に掛けられていた 雪の中に ベージュのコートで体を包み、しゃがみこんでで写生する 真摯な眼差しの荘司福さんをみて、それが晩年というのなら、なんと意欲に正直なことか と 恐れ入ってしまった。

 時を重ねていくたびに 形為し 創り上げていくことを楽しめる人になりたいものである。

 『今回の展覧会は、荘司福の没後初めての大規模な回顧展で、代表作約90点を通して、荘司福の雄大で厳粛な世界を展観します。戦後の日本画の質の高い到達点の一つを示す荘司福の芸術をご堪能下さい。』

 荘司福展 09年4月11日〜6月14日  於 神奈川県立近代美術館葉山  

 

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