『幸せになる義務』 のページ
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人に迷惑をかけても
みなさんは、
人に迷惑をかけないように生きましょうと、よく言いますし、
またそう言われています。
でも人生には、迷惑をかけてもやらなければならないことがあります。
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人に迷惑をかけることは やはり 良くないことなのかもしれませんが、
どんな人も 自分の回りの人たちに 少なからず迷惑をかけながら生きているように思います。
迷惑をかけたり 掛けられたりしながら お互いを知ったり
お互いの役に立ちあったり、それぞれを分かってくることも あるでしょう。
人は そうやって 生きる生きものなのかもしれません。
『人生には 迷惑をかけても やらなければならないことがある。』
それほどに 思いと心をかけて「するのだ」と思うことがある というのは
確かに大変なことではありましょうが、ある意味 とても 幸せなことでもあるでしょう。
ただ、ほとんど 誰にも理解されない中で
「そう生きることが自分の人生」 と 思っていることを行うというのは
おそらく 大変 困難なことではないかと推察されます。
そして たいがい そういう時の その人の回りでは
殆どの人が その人に迷惑を掛けられた と 感じやすいように思います。
私の娘の一人は そんな人生を選んでしまっています。
彼女のすることは 親の自分にも どうにも分かりません。
何度も 何回も なにかのたびに 説明されたし 話もされたのですが
言葉としてはわかっても そうやってまでして そのように生きようとする彼女が
どうしても分からないのです。
それに 彼女がちかくにいようが 遠くにいようが
やはり 何かにつけて 思わないことはないし、
実際 なんて迷惑な・・と おもうことも 実は しばしばありましたし、あります。
しかし、彼女は それが自分の人生 と 折々に選び続けているのです。
思い込んでいる といえば そうなのかも知れません。
だけど 彼女を見ていると それだけではなくて
なにか 惹かれるようにして その道を歩いている という そんな感じがしなくもないのです。
まだ 本当のところは 分かりませんが、
彼女が そう生きることが自分の人生 と 信じて歩くというのなら
たぶん 自分の生きている間中 何かあれば 親ですから・・
人として 迷惑な奴だ と おもったとしても
やっぱり それをやり遂げることを 望んでいたりもしています。
自分の胎から生まれたというのに 何一つ 彼女のことは 分からない。
そこに 人間の有限を 思い知らされるのですが、
それにしても、なんで こんなに分からないのかと おもうことも たびたびです。
伊藤師の言われたこととは 大分 内容が違うだろうとは思いますが
私は 先の言葉を読み、
これまで自分のしてきたことや、娘の人生の途上を思い、
そう、人からの理解はいらない と かつてノートに書いたことを 思い出していました。
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