『幸せになる義務』 のページ

 

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人は 思っているほど 自由ではない

 

「人は自分が思うほど自由ではない。

自分の意志で生まれてきたわけではない。

みんな神様の手の中で生きているんだよ。」

 


 「神に向かって、自由意志のもと、右か左かを選択することが信仰だと思っていた人がいた。」と この言葉を提供してくれた人について書かれています。

 その人は、そうやって 一生懸命 自分の中で物事のより良くあるための選択をしようとしてきたのだけれど、現実には たびたび 神様を裏切るようなことばかりする自分で、だめだ、だめだと悶々としていた・・と。

 そんな風に悩みのうちにあるときに その人に 伊藤師が言われた言葉が、冒頭の言葉でした。

 孫悟空のお釈迦様の手の上の話ではありませんが、自分も含めて 人間は、孫悟空同様、どこか 自分という存在を あまりに特別なものに思っている節があるように思うことがあります。

 ものすごく 自分に自信がもてなくて ひどく落ち込んだり、悩んだりしても、どこかで 自分というものの存在について、なんとなく 特別視しているようなことって 結構 だれにでも あるのではないでしょうか・・

 

 自分としては、神様の手の上で どこまでも自由というのは、ものすごい安心だなぁ・・と 思います。

 神様の手の上といったって、勿論 その端から端までなんて どこからどこまでなのか、一体 どこまを神様の手の上というのかなんて、全然 わからない。

 神様の手がどんなもので どれほど 大きくて広いのかなんて、自分には思いもつきませんけれど、今のここも 伊藤師の言う 神様の手の上のうちなら、自分は その中で どこまでも自由で 何の心配する必要もない、だって 今のここは 神様の手の上なんだから・・。

 ・・そうおもったら、そしたら、なんか すごく すっきり。 安心しました。

 人間の自由には限りがあるけれど、神様の自由には 限りがない。その限りない自由の中に 自分を入れてくださっているというのは すごく うれしいし、ありがたいし、そして 幸いなことだよ・・と 伊藤師がおっしゃってくださったように 思いました。。

 

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