良い気候の 明るいある日の午前中、
とても 少ない人数 (10人もいなかったように覚えています) が聖堂に集まったとき 伊藤師は 来た人たちを前のほうに呼んで 座らせると、ほとんど ささやくような 小さな声で そう お話なさいました。
夏が近かったような、そう 今頃の光の加減だったような そんな記憶があります。
私は 前から2番目の席に座っていたと思います。
私たちのすぐ 近くまで いらして、伊藤師は ゆっくり 丁寧に一つ一つの言葉をいいながら そんな話をしてくださいました。
それは 自分にとっては ちょっとした衝撃。 あー・・ なるほど! と 思いました。
自分が 何を一番と思っているのかをあらわしながら生きること。
毎日、朝生まれて、キリストが死に向かって生きたように、
私たちも精一杯その日を生き抜き、一日の終わりに死ぬ=眠る。
それを繰り返していけば、何も心残りは無い。
確かに、思いっきり その日 その日を生きていれば、突然 なんの用意もなく 死ぬことになったとしても、少しも あわてることは ないんだろうな と 思います。
難しいこと 凄いことをしろ とか 厳しい修行とかうんと勉強するとか、なにか大変なことをしなくてはならない とか そんなこと けっして 一言もおっしゃらなかった。
やさしく穏やかなその口調には、厳然とした 真理の希求への揺がない姿勢が現れていて、いつも お話を伺うたびに 私たちにもそのように心を正し、意識を正して日々を生きることを 願えるように と させてくださいました。
|