『幸せになる義務』 のページ

 

3 砂漠の水

 

『困っている人、苦しい人に 

大切なものを 見返りを求めずに分け与える。』

 

 

 「砂漠の地方では、水はとても貴重です。そして そこに住む人たちはほとんどが貧しい。

 毎日 水のあるところまで出かけていって、家族が一日に必要な量の水を汲んでくるのは、女の人や子供の仕事です。

  その水はね、素焼きの瓶に入れて、日のあたらないところに置いたり、半分地面に埋まった状態にしておくんです。そうすると、冷たくておいしい水になるんですね。

 そして それをみんなで 大事に飲むんですよ。」

 「そういうところにね、よそから人が来て、水がほしいと 簡単に言うんですよ。

 そういう時、その土地のどこの家でも 一番大きなきれいなコップに、なみなみとその大切な 水を汲んでくれるんです。」

 「その人が飲んだ水が どれほど貴重かなんて 一言も言わない。
そしてね、どうして大事なのかも どうやって保管しているかなんてことも 一切 いわないで、大事な大事なみんなの水を その地方やその家族のことなんか 全然知らない人に 分けるんです。」

 

 

どうして この話になったのかは まったく 記憶にありません。

ただ 思い出した というだけで 書き留めておいたものです。

水を そんな風に 蓄えるということを 私たちは しません。

必要ないからです、

だって この国では、蛇口から 栓をひねれば 当たり前に水が流れ出るのですから。
それも どこそこと限られない、どこの家でも 場所でも 当たり前に・・ です。

自分にとっては とくに どうということのないことであっても
その裏側にある 成り立ちにまで 思いを寄せるのが 伊藤師でした。

残り物や あまったものを 分けるのではなく
「これしかない」ものを 相手のために差し出す、それもよろこんで・・

 

「人を愛するっていうのは そういうことでもあります。」

 

 

恩師のある日の話  (愛することN)

 

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