あたりは しばらくぶりの静けさに満ち、やっと ゆっくりと積もった雪の白さやその冬らしい感触を味わえるようになったように思えました。
まったく・・、彼らは とんでもなく長い時間拘束され続け、やっとのことで解き放たれた囚人たちのように、ただならぬ興奮の大騒ぎを巻き起こしながら、雪崩を打ってそれぞれの古巣へと向かう汽車にぎゅうぎゅうづめになって乗りこみ、彼らを待つ人々のいる家に戻って行きました。
私は 明日は もうイブの日という今日になって、やっとのことで、この先2週間にわたるクリスマス休暇のための準備を始めることができるようになった というわけです。
私の年若い5人の友人でもある生徒たち―それぞれがとても個性的な面白い連中―が、昨晩行ったクリスマスイベントでの愉快ですばらしい彼らの創作劇「飛ぶ教室」のあとに、私の一番の親友、ローベルト(彼とは もう長いこと会えずにいたのですが)を彼らが 私に引き合わせてくれたので、私は今年のクリスマスは、彼と一緒に、楽しかった若き日のあれこれを語りながら、いつものクリスマスよりも ずっと暖かで心豊かな時間を持てることになりました。
本当にすばらしいことです・・。
さて、家に帰る予定の生徒たち全員がすっかり出払ってしまったあと、この休暇中もここに残らなければならない事情のある何人かの生徒たちに声をかけ、あとはもう自分の時間にして良いというときになって、私は、校庭を横切って、ローベルトが住まいとする、菜園の中の払い下げの禁煙車両に向かって歩いていました。
が、
ふと 雪の上に 新しい一対の足跡が 九柱競技場へ向かっているのに気付いたのです。
はて? こんな時間に 一体どうして 九柱競技場なんかに だれが用があるというのだろう?とおもい、私は 足跡が向かっているほうに歩いていきました。
建物を囲む柱に頭を持たせかけ、その手すりに腰掛けた一人の少年がいました。
彼は 私の年若い友人のひとりで、入学以来飛びぬけた成績でずっと主席でしたが、やたらに勉強するだけではなく、大変な絵の才能もあり(「飛ぶ教室」の背景などを見事に描きあげたのは彼だ。)また、先日の他校との大騒ぎ(戦いとも言う・・)などでも陣頭指揮を執るなど、男としても魅力のある半給費学生のマルチン・ターラーでした。
その彼が 一体なんだって、彼をこよなく愛して誇りに思い、彼の帰りを今か今かと待ちわびている両親の元に返るための汽車に乗り込まずにこんなところにいるのか・・、私は あやしみました。
「やあ!」
私が声をかけると 彼はびくっと体を震わせて急いで手すりから飛び降りました。
「どうしたんだね?こんなところでなにをしているんだい?」
「・・ひとりでいたかったのです。」 「そうか、それなら邪魔をして悪かった。」
私は 彼の様子を見て言わずにいられませんでした。
「しかし、君にここで会えたのは良かったよ。君はこの何日か様子がおかしいように思うのだが、それは私の気のせいだろうか?
たとえば、昨日の午前中の授業など、誰が読んでも ああは間違えはしないだろうというくらいのひどい読み方をしたけれど、それは 一体なぜなんだね?」
「・・ほかの事を考えていたのです。」
「私が そんな言い訳で納得すると思うかい?
それに 君は昨晩の劇の中でも きっともっとすばらしい芝居ができただろうのに、なんであんなに惨めな演じ方をしたのか? 食堂でも ほとんど食事を口にしていなかったぞ。」
「そのときも ほかの事を考えていたのです。」
「一体何をそんなに考えなくてはならなかったんだい? クリスマスのことかい?」
「ええ、そうです、クリスマスのことです。先生」
「しかし・・ 格別それを楽しみにしている風でもない・・。」
「ええ、別段 とても楽しみというわけでもありません。先生」
彼には何か事情があります。私は 話題を変えてみました。
「君は 午後の汽車でかえるのかい?」
すると・・、彼の目から大粒の涙がすーっと零れ落ちました。
「僕は 学校に残るんです。」
「おや?君は 家にかえらないというのかい?」
彼は うなずいて 手の甲で涙を拭きました。
「君のご両親は 君が帰ってくるのを待っているのではないのかね?」
「はい、先生、両親は 僕が帰るのを待ち望んでいます。」
「それでは・・、君が 家にかえりたくないのかね?」
「いいえ、先生。僕は とても家に帰りたいのです。」
「おいおい、それは一体どういうわけなんだ?
君のご両親は君の帰りを心待ちにしている、そして君は家に帰りたがっている。
それなのに 一体なぜ君は 学校に残るなんて事を言う・・?どうして?
」
「それは・・ 言いたくありません。先生。失礼します。」
彼は うつむいたまま くるりと後ろを向いて 立ち去ろうとしました。
私は 急いで彼の腕を捕らえ、自分のほうに引き寄せて、恐らく こんな時間に こんなところになど ほかに誰がいるでもないとは思うものの、彼の気持ちを傷つけたくなくて、そっと小声で 思ったことをたずねてみました。
「君は・・、ひょっとして 旅費でもないのかい?」
それからしばらくの間、私は 彼が 雪の積もった手すりに顔を伏せて泣きじゃくるのを黙ってみているしかありませんでした。こういうときは 下手な慰めなど 決して言ってははならないものだからです。
しかし あまりに長いことなかせておくのも良くないので、私はハンカチを取り出し
「もうよし、もういい。。」といって 彼の涙を拭きました。
長年 舎監をやっていますと、こういうことというのは たまにあるものではありますが、マルチンの場合は、やはり その人柄を思えば どうにも切なく 胸の痛むことではありました。
私は 軽く咳払いをして言いました。
「それで。。 君の家まで 一体いくらかかるんだね?」
「8マークです。」
「それじゃ・・、ここに20マークあるよ。これで 行きも帰りも十分だろう?」
彼は しばらく 訳がわからないというように ぼうっとして紙幣を見つめていました。
が 突然激しく頭を振って しっかりと僕を見つめて言いました。
「いいえ! いいえ、先生、それは いけません。」
私は 彼の上着のポケットに紙幣を押し込んで言いました。
「クリスマスだろう? 素直に言うことをきくもんだよ、意地っ張りくん。」
「でも、でも、先生。僕は5マークあるんです。母が先日送ってきてくれたんです。」
彼は つぶやきました。
「おや?君は 両親にプレゼントしたくはないのかい?」
「僕は おおいにしたいんです、先生。 でも・・」
「それ見たまえ!」
私は ちょっと得意になって言いました。
しばらく マルチンは もじもじしていましたが、すぐに早口で言い出しました。
「本当に ありがとうございます、先生。でも 僕の両親はいつ先生に借りたお金をお返しできるかわからないのです。父は働き者で働くことがすきなのですが、長いこと職がないのです。僕は復活祭がおわったら、補修してやれる一年生を見つけられると思いますが、それまで 待っていただけますか?」
私は 思い切り厳しい顔をしてみせてから言いました。
「もういい。クリスマスの前日に送る旅費は返すには及ばないものだ!」
そして、小さい声で「
そのほうが気持ちがいいに決まってる。」と 付け加えました。
彼は 私を見て どうしたものかと考えているようでしたが、ふと 私の手をとって強く握り締めました。私は のどの奥に 小さいな痛みを覚えながら 言いました。
「さぁ、はやく荷支度をしたまえ!」 そして
「そうだ、それからご両親によろしく。特にお母さんにね。君のお母さんを僕は知っているよ。」
少年はうなずき、そして 応えていいました。
「どうか、どうか 先生もお母様によろしくおっしゃってください!」
私は ちょっと 小首をかしげ、どういったものかと思ったものの、いいました。
「それは・・ちょっと難しいな。僕の母は6年前に亡くなってしまったから。」
彼は ある感動に 小さく身を震わせて、僕を後ずさりつつ見ていました。
私は その素直で率直な視線に耐えられずに 言わなくてはなりませんでした。
「もういい・・。そう、君たちは 僕に禁煙先生―ローベルトを贈ってくれた。
僕らは今晩、あの客車別荘の中で クリスマスを祝うんだ。いいだろう?
それに とんでもない勇気の示し方をして足の骨を折った君たちの仲間のウリーと、クリスマスをこちらで彼の介護をしながら過ごす彼のご両親、それに 君のもう一人の仲間で、ほとんどのクリスマスを学校に残ってすごすヨーニー・トロッツも気にしてやらなくちゃならない。
結構忙しくて 一人でいる時間は大してないと思うよ。」
そして いまだに 立ち去りかねているマルチンの肩をそっとたたき
「ごきげんよう!マルチン。」と いいながらうなずきました。
賢明な彼は ゆっくりと低い声で はっきりといいました。
「重ねて御礼申します。」
それから ぱっと振り向くや否や雪の中を転げんばかりの勢いで寮に向かって走り出しました。
彼の後姿が見る見る小さくなるのを見届けてから、私は 校庭の端に向かって ぶらぶら歩いていきました。
それから、垣根のところに着くと、辺りを見回し 誰もいないのを確かめた後、片手を垣根の横木について ひょいと飛び越えました。
やぁ、昔取った杵柄・・ってやつさ!
それから5人の生徒たちの、困ったときの相談役を長いこと引き受けてきてくれた、私の永の友人、彼らの禁煙先生を訪ね、私たちは もみの木に 金色の鎖をかけたり、きらきら光るくるみなどを止めつけたりしました。
学校の更衣室から飛びだしたマルチンは、居残りのヨーニーに見送られて学校をあとにし、汽車に乗る前に両親のために買い物をしました。
父のために ハバナの25本入りのリボンつきの葉巻を、母のためには メリヤスの暖かいスリッパを一足。いつもお母さんは このスリッパは まだまだ10年は持つよといってはいましたが、それは もうだいぶ前から ぼろぼろになって沢山繕いあとがあったのです。
「ヘルムドルフ行き 一枚。」 マルチンは出札係に言いました。
切符を受け取るとき 彼が 大きな声で「ありがとう!」といったので、出札係は 顔を上げ、不思議そうにたずねました。
「なにがそんなにたのしいんだね?」
「だって、クリスマスですもの!」
このお話を ご存知の方、多くおいでのことと思います。
ドイツの作家エーリッヒ・ケストナーの代表的な作品「飛ぶ教室」の中からのほんの少々を、遠藤がものすごい脚色をして 2005年最後のお話として 改めてご紹介しました。
脚色というのは すきでする場合と、できれば あまりしたくないんだけど・・ という場合があるのですが、いまは しなくてはならない状況にあるんですね。著作権の問題などがあって・・。
ま 別に まったく原文のまま書いたからといって それでどうしようというつもりは毛頭ないのではあります・・が。
このお話は いくつかある遠藤のお気に入りの中でも 上位ランクに入っています。
常に主席で、人望も厚く、正義においては何ものをも恐れず勇敢に立ち向かおうとする、両親思いの半給費生 マルチン・ターラー、
4つのときにその人生に加えられた悲しみを抱えて、優しい心遣いをえながらも 正面からその悲しみを受け止めてきた 将来文学者になるかもしれないというヨーニーこと ヨナタン・トロッツ、
大人びて 恐ろしく難しい本を読み、とっさの時には すばらしく機転の利く 行動派のゼバスチャン・フランク、
しょっちゅうお腹がすいていて 食後は必ずパンをかじらなくて入られない、将来ボクサーを目指しているマチアス・ゼルプマンは有史以来という寄宿学校と実業学校との”戦争”で、敵の猛者をふらふらになるまでぶちのめし、その将来に有望の文字を得ました。
その彼の一番仲の良い友達は 金髪で貴族の出の小柄なウリー・フォン・ジンメルン。
彼はマチアスの強さをうらやみ 皆から馬鹿にされないためにも”勇気を示す行為”を行うことを決意、それなりの代償を払いながらも 実行の果てに一目置かれるようになります。
そんな10代の若者たちを、彼らを人として導くにふさわしく また 彼らの尊敬を一身に集める舎監のヨハン・ベク先生―今回の遠藤のお話では 彼の目線で書きました―、と 彼が やはり5人の寄宿学校生たちと同じことを経験したときには すでに親友であった穏やかな、5人の少年たちの相談相手、払い下げの禁煙車両に一年中住んでいるローベルト・ウトホフトの二人が、少年たちの世界を尊重し、彼らに一種の敬意すら持って接する日々などをも通しながら、さまざまな 人に必要な「賢さを伴う勇気」を 書き記しているのが、ケストナーの『飛ぶ教室』です。
その 人生に対する真剣で賢明な態度を、彼の本から その登場人物たちのそれぞれの行為や言葉を通して、私たちは 学ぶことができるとおもいます。
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さて・・、今年も 最後のお話になりました。
今年は どんなことがありましたか?
良いこと、良くないこと、うれしいこと、つらいこと、悲しいこと、楽しいこと、意味深いこと、すばらしいこと・・ そして 沢山の出会いがあったことと思います。
ケストナー風に 締めくくってみましょうか・・。
『私たちは どんなときでも 正直でなくてはなりません。骨の髄まで正直で。
何事も ごまかさず、またごまかしてはなりません。
たとえ 不運にあっても それをまともに見つめるようにしてください。
何か うまくいかないことがあったとしても 恐れてはいけません。
不幸な目に出会っても 気を落としてはなりません。
元気を出しなさい。不死身になるようにしなくてはなりません。
私が今言うことを よく頭に入れておきなさい。
賢さの伴わない勇気は 不法です。勇気の伴わない賢さは くだらんものです!
勇気のある人々が賢く、賢い人々が勇気を持ったとき、はじめて 人類の進歩は確かなものになるでしょう。』 (エーリッヒ・ケストナー作「飛ぶ教室」 高橋健二訳 より)
ごまかしのない正直な人生を、賢い勇気を持って生きようとしてください。
私たちには 幸せになる義務があるんです。 ひつじ小屋だよりをお読みの方は すでに ご存知ですよね。
良いクリスマスを・・!!
そして 小さな毎日を重ねて 今を迎えることのできた今年のこれまでを感謝して、
新しい年を 喜びを持ってむかえてください。
そして 勿論 元気でいてください。 遠藤からの お願い です。
2005年12月 クリスマスによせて
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