朝からの曇り空から 冷たいものが降ってきたな・・と思ったら、突然雲間から日が差して、雪になり損ねた細かい雨がきらきらしながら、そちこちの家々の屋根や庭の枯れた木々などに振りまかれていた。
高台にある、道から奥まったところの羽村さんの玄関先に着くころには、もう それも止んで、明るい日差しの割には、冷たい空気が満ちた あたりまえの冬の一日(ひとひ)に戻っていた。
2階の 海に面した出窓のある居間は暖かくされ、お見舞いだというのに、私は 午後のお茶に呼ばれたかのようなおもてなしを受けて座り、ひとわたり用意してくださったお菓子と2杯目のお茶を一口飲んで、ようやく 私は 目の前の羽村さんに 具合はいかがですかと尋ねた。
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この頃は 大分いいのよね。周りが静かだと やっぱり 気持ちも落ち着くような気がするわ。
・・ただ、寒いのだけは どうしても 嫌だわね。
毎日 独りでいるでしょう?体が言うことを聞かなくなってからは、以前のように 出かけることも減ったし、そうなると 人と会うことがないので おしゃべりもしないし・・。
話さないというのは ほんと、どんどん 落ち込んでいくような感じがするわね。
仕方がないから あちこちの片付けなんかをはじめたんだけど―もう 私もいつお迎えが来てもいいくらいの年だもの―そしたら、おかしなことに ずっとずっと昔の自分のことなどが いきなり とてもはっきり思い出されてきてね。長いこと 特に取り立てて こういうもの と言葉でいえなかったことに対しても、ふと、言葉にしてみたら こういうことなんだなってことを 見つけたようなきがしたの。
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羽村さんは そろそろ80に手の届くお独り暮らしの老婦人で、お身内は もう どなたもおいでにならず、それでも 十分に豊かに食べていけるくらいのものは遺されていらした。お元気な時は あちこちへボランティアに出かけられたり、堪能な語学を駆使して 沢山の言葉に不自由している外国の人たちの生活の手伝いなどもされていた。
私は 一時期 羽村さんの出かける先に お手伝いとして 数回 同行したことがあったが、とくに何ができるとか、誰かよりも役に立つから というのではなく、なんとなく気があったというところで、気に入っていただけていたようで、今に至るまでのお付き合いを戴いていたのだが・・
しかし、私のほうにも 様々に事情ができて、それまでのように 電話一本で いつでも飛び出せるという状況になくなってからは、羽村さんとの行き来に 少し間ができてしまっていたのだ。
今、その羽村さんが すこし 具合が悪いと人づてに耳にしため、私はお見舞いのつもりで伺いながら、結局 もてなしを受けつつ、見た目にはどこといって具合の悪そうには見えない羽村さんの話し相手になって 以前はたびたび通った高台の家の出窓のある居間に落ち着いている。
なにについて、どんな言葉を みつけられたんですか?
「主人とのこと。」「ご主人との?ご主人との・・ どんなことについてですか?」
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前にもちょっと話したことがあったけれど、私の主人は 戦争でシベリアに抑留されていたの。でも そんなこと 私たちは 当時何も知らなかった。戦争中は だれでもみんな 本当に苦しくて、自分たちの毎日の生活を何とかすることがまず第一で、いつもいつも 食べ物の心配ばかりをしていたわ。
勿論 主人のことも心にあったけれど、でも 後から思えば そろそろ戦争が終わるというころに出征したきり 手紙が来たのは ほんの2回、あとは どこに何を尋ねても わからない、わからない・・じゃね。
あの夏、戦争は終わったけれど、でも みんな それまでにもまして、生きていくことが大変になっていた。そういう混乱の毎日のある日、私は 以前家に出入りしていて親しかった人に 偶然 その時働いていたホテルの厨房に入るところで声を掛けられて、主人がシベリア送りになったことを、そこで初めて聞かされたのよ。
その人も、顔つきが大分変わってしまっていて、はじめは誰かと思ったけれど、でも そういえば と思い出したものの、話おわって 行ってしまう後姿を見ても、本当に その人だったのかどうかと 不安になるくらいの変わりようだったのよね。きっと とても苦労したんでしょう・・。
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羽村さんは、代々続いた名家のご出身で、生活することに苦労するなど、微塵もないような方だったのだけれども、先の戦争は そういう人たちを苦しいところへと追いやったりもし、羽村さんご自身も 散々悩んでお見合い結婚されたご主人を出征で送り出したあと、ひと息子さんをお産みになったそうで、その後のことは もう思い出したくもないくらい大変だったと・・。
人に仕えられても 仕えて働いた経験がないという名家の奥様は、ずいぶんと嫌な思いをなさったようだけれど、でも 結局は 息子さんと生きなければという思いや、坊やにできるだけ良い教育を と願って、必死で取り組んできたのだ と言うようなことを伺ったことがある。
ただ、その時の職場で、それまで知らなかった料理の手順、作り方などを 皿洗いをしながらも どんどん覚えて行ったので、私も羽村さんのカレーやシチュー、ホテル仕込みのお魚料理やサンドイッチ、お菓子など・・、本当にいつもおいしく、はしゃぎながら戴いたものだ。
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私たちの生活が 勿論 元のような生活なんて程遠いものではあっても、それなりに落ち着いて、私たちなりのリズムが出来上がってきたころ、あの人は 突然 帰ってきたの・・。
息子は もう 11になっていたわ・・。
ちょうど こんな風に冷たい空気が張り詰めているような冬の日暮れでね、今にも雪が降りそうな そうね、今日みたいな日だった。
私が 勤めから戻って 玄関の鍵を開けようとしたら、引き戸が開くのよ、私は、また息子が鍵をかけないで 遊びに行ったのかと思ったんだけど、息子の靴はそこにあって、そして 大人の男の靴が その隣にあった。
すぐに あの人だ!とわかったわ。
でも 私は しばらく玄関で突っ立ったままだったの。ただ、「どうしよう・・。」と 思って。
息子がでてきて、「お母さん、おとうさん・・だって。」っていったのよ。とても 困ったような顔をしていたわね。きっと 自分には記憶のない男の人が突然やってきて、自分の父親だと名乗ったんじゃないのかしらね、そのあたりのことは きいたかもしれないけれど、憶えていないのよ。
私が それでも 黙ってつったっていると、息子の後ろに あの人が 姿を現したの。
口も利けないほど 驚くというのは、ああいうことを言うのね。
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羽村さんは、台所で しゅんしゅん音を立てているやかんに気付いて立ち上がり、改めて 新しいお茶を入れながら、先を続けた。
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私たちは 3人で 暗い部屋に お互い向かい合って 座っていたのよね。
だれも 口を開かなかった。。というより、なんといったらいいのか わからなかったのよね。
私は ふと そうだ お茶、と おもって、立ち上がってお湯を沸かし始めたの。
そして 勤め先からもらってきた二つのマドレーヌをお皿に乗せて、息子と主人の前に出したのね。
主人は、それまでのいかめしい顔つきから いきなり 穏やかな目つきになって、かるく一礼すると 黙ってマドレーヌを食べ始めたのよ。
私は 息子に食べなさい と促したんだけど、息子は うなづいてマドレーヌを二つに分けると、お母さんの分、といって 半分私によこしたの。それから 自分の分にしたのを食べたんだけど、主人は それを見て、下を向いてしまったのね。
私は お茶を入れて主人と息子の前におき、「何か別のものにしましょうか?」って聞いたの。
そうじゃない。思いやりのある人間に育ててもらって、うれしかったから・・ って言ったわ。
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ああ!良かったですね。ご苦労の甲斐があったわけですね。という私に、羽村さんは 首を横に振って 難しいお顔をなさった。
私がその時思ったのは、本当に この人は 私の主人だった人かしら・・!?ってことだったの。だって・・、あの人は そういうことに対して お礼なんていう人じゃなかったのよ。
実際 私たち お見合い結婚で、心から好きで一緒になったって訳じゃなかったし、一緒の生活だって ほんのちょっとだったし、休日が月に何度あったか というくらい、毎日仕事の人だったんだから、実は あの人がどういう人かなんて、ほんとにしらなかったっていってもいいくらいだったの。
当時、正直を言うとね、私は あの人を待っていようと思っていたわけじゃなかったの。その時 ひとりで働いて生活していたのも息子のためだったし、なにしろ あれこれ考えるには 本当に毎日をこなすほうが精一杯で、ほかの事など 考えている暇がなかったのよ。
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羽村さんは、ソファに深く身を沈めて、窓からの重い空を見上げながら言葉を継いだ。
実際、それから 何日経っても 私たちは いつもどことなくギクシャクしていて、傍から見れば、だんなさんが戻ってきてよかったねっていうようでも、私たち3人は なかなか お互いに慣れるということがなかったのよね。
私は、主人が戻ってきたからといって 勤めをやめることはなかったのね。だって、収入は その時 私が働くことでしかなかったんだし、主人は 仕事をする ということに 消極的だったの。というより、すっかり変わってしまった世の中に 対応しにくかったんでしょうね。
息子は 難しい年頃に差し掛かってきてはいたけれど、私たちがまだ二人のころ、できるところまでがんばって勉強するという約束があったので、よく勉強して 上の学校を目指していたわ。
あるいは、父親とどう接していいかわからなくて、勉強にかこつけて 部屋にこもっていたのかもしれないけれどね・・。
主人は、私が働くことを あまり良く思わなかったんだと思うわ。ホテルの それも厨房でしょ?お役所仕事をしていたような人には、卑しい仕事に思えたんでしょう。でも 私は その時、厨房で皿洗いといっても、英語が少し話せたから、外国のお客様があるときは、いつも 呼び出されたりしていたのよ。おかげで それが終わって皿洗いに戻ると、回りからは みっともないやっかみを散々受けたものだったわ。でも、そんなもの、そういう特別の時の手当てを思えば、どうってことなかった・・。
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おととし、主人が倒れたとき、当たり前に世話をしていたんだけど、そうしながら あるとき、ふと、私たち、なんだかやっと夫婦らしく見えるようになってきたんじゃないかって思ったわ。
ほんとに。。 ずいぶん すごく 長かったわねぇ・・。
戻ってきた後 しばらくして、主人が銀行に勤め始めてからは、私は仕事をやめたけれど、私は 家にじっとしていることがあまり嬉しくはなかったのよ。でも、主人は 一番大変なときに、苦労したんだから、今度は自分が働くから 好きなことをして暮らしてくれっていって、私が働こうとすることを、どこかでやめさせたがったのね。
でも、私には それは できなかったの。主人に隠れて、もっとちゃんとした言葉で話したくて、改めて語学を勉強したのね。いきなり楽な生活になったことを、なんとなく回りの人たちに対して後ろめたさがあってね、人づてに聞いた人手の必要なボランティアに精を出していたのよ。
その中には、日本語の不自由な外国の人たちへの日常生活での補助という仕事もあって、それはお金にはならなかったけど、勉強した語学が生かせる、自分にとっても楽しい仕事だったわ。
主人はね、でも、ずっと知っていたらしいの。倒れて看病し始めて半年くらいたってから、それを言ったんだけど、私に 長いこと不自由させてきたとか 息子を無事に育ててくれていたとかってことで、どこかで引け目を感じていたんだ と いっていたわ。自分を気にすることはないと なかなかいえなかったんだって。
それを聞いて、なんだか すごくわるかった・・っておもったのよね。
結局 好きなことを好きなだけやっていたのは 自分じゃないか・・ってね。そして、そのあたりから 少しずつ、なんだか 変な言い方だけど”夫婦になってきた”ような気がしてきたのよね。
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羽村さんは、しばらく黙って 厚く垂れ込める灰色の雲を眺めていた。
表では 微かに 細かい白いものが また、ちらちらし始めていた。
あの人とは、ずいぶん長いこと一緒に暮らしたけど、私は「愛する」ってことを、長いこと知らなかったような気がしていて、それに気付いてからは 何十年も、ものすごく 孤独で冷たいところにいつもいるような寂しさを感じていたんだけど、それが、主人が倒れてからの3年間の介護生活で、相手は自分では何もできない状態なのに、私、なんだか その時に、どういうわけか 愛する ということを実感していたような気がするの、おかしいんだけどね・・。
私は だまって ゆっくり首を横に振って、羽村さんを 見つめた。
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「疲れませんか? 時間が かなり経っているように 思うのですけれど・・。」という私の言葉に、羽村さんは はっとしたような顔をして、ちょっと恥ずかしそうな顔をして 微笑んだ。
「そうね。ずいぶん おしゃべりしちゃったわ。あんまり こういうこと 人に話さないようにしてきたんだけどね・・。なんだか いつも 若いあなたに 重たい話をしてしまうわねぇ。ごめんなさいね。
そろそろ 戻られたほうがいいわよね。ねぇ、こういうのお子さんたち お好きでしょ?
よかったら 皆さんで 召し上がってくださらない?沢山 作りすぎちゃったのよ。」
羽村さんは そういいながら 立ち上がって テーブルの上のお菓子や台所にいつも何かしらストックしている大きな缶から いろいろに出して紙袋に入れると、私の手に持たせた。
羽村さんのお菓子は おいしい。戴くことに 何の異存もあるわけがない。私は 丁寧にお礼を言って 重い紙袋を手に 玄関に向かった。
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玄関の扉を開けて 遠くを見渡せる庭に出ると、さっきまで ちらちらしていた白いものは、すっかり姿をなくし、厚い灰色の雲の微かな隙間から、じっと動かぬ静かな重い海に向かって、幾すじかの金色の細い光が 投げかけられていた。
きれいですねー。とても 素敵。という私に、羽村さんは そうね、あんな感じだったのかしら?と 言った。
私が振り返ると、羽村さんは 光のすじを見ながら、
「ほんの短い間だったけど、でも 愛しているとか愛されているとかって感じられたのは、やっぱり、あれだけの長い時をいっしょに居られたからだ っておもったことがあるの。
私ね、笑ってもいいんだけど、主人の看病をしながら、『愛してみよう・・』っておもったのよ。好きになるんじゃなくてね、愛するってことを やってみようとおもったの。」と言った。
多分、主人も 同じような思いだったんじゃないかと思うのよね。
なくなる前の まだ 意識がしっかりしているときにね、こういったことがあるの。
「いろんなことがあったけれど、いっしょに居られてずいぶん幸いだったと 思っている。」って。
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順調に成長し、良い企業での職を得て、さぁ これから というたった一人の大切に育ててこられた息子さんを事故でなくされ、その後に ご主人を看取られた80に近い、凛とした婦人は、冷たい海風を受けながら、同じ風にあおられて乱れた私のマフラーをなおし、お見舞いありがとう、お母様とお子さんたちによろしくね、と 言いながら、そっと 家の中に入っていった。
『愛してみよう・・』
そういって 遠くを見やった 何もかもを受け入れてきた老婦人の眼差しが、なにか とても生きているという実感のこもったもののように 私は 感じ取っていた。
空で 微かな隙間が閉じられ、再び 細かな雪が 今度は やっとそれらしく 降ってきた。
人生を生きるというのは きっと 羽村さんのようなことを言うのだろう。
そんなことを 私は 冷たい小雪を受けながら思いつつ、動くたびに甘い香りのしている 大きな紙袋を持って、帰り道を急いだ。
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