2月のお話

バレンタイン・メモリー
  一年で一番寒い2月、せめて心は温かく ということなのでしょうか、今年も ぎりぎりになってやっと、チョコレートを買いに 休みの日を利用して、町まで買い物に出てきました。

 明日がその日という、そんな時に買い物をしよう思ったことを後悔するような雑踏の中で、とりあえず これくらいならいいかな と思えるくらいの数のチョコレートをいくつか買って、さ、うちにかえって あったかいお茶を飲もう と帰り道を歩き出した時、私はその人に呼び止められました。

 その人は こざっぱりとした身なりの初老の男性で、私の勤めている店に、週に何回か 買い物にきてくださっていた人でしたが、奥様のお具合がよろしくないとかで、いつも一人で(小麦粉と卵の特売には 特に)せっせと通っていらしたので、理由を尋ねたことがありました。
 すると その方は 奥様がとてもケーキを作るのがお好きで、そしてまた そのケーキが大変おいしくてかなり評判が良い ということでしたが、家のストック分として、小麦粉や卵が少なくなることが、奥様がとても心配なさるらしく、つい 少しでも減ると、安い時に 多めに買ってしまうのだ と お話してくださったことがありました。

 本当に しばらくお目にかからなかったので、どこかに引っ越されたのか、あるいは 何かあったかと 思い出すたび、気になっていたその方は、どこか ほっとしたような、ちょっと物足りなそうな、そんな手持ち無沙汰な様子を見せながら、それでも にこやかな話し振りは 以前と変わりなく、私たちは 寒い中で立ち話もなんだから ということで、コーヒーを飲みに、スタンドショップに入りました。

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 『やー お元気そうですね、こっちへきたのは しばらくぶりなんですよ、偶然とはいえ お目にかかれてうれしいです。その節は 色々お世話になりました。

 実は、少し前に家内がなくなりましてね。まぁ やっと こうやって表に出て歩くことも当たり前に出来てきたというところなんですよ。あなたには 買い物に行くたびに ご親切に声をかけていただいて、随分気持ちを 明るくしていただきましたよ。

 そうなんです、もう 半年以上になりますね、家内がなくなってから・・。

 家内が寝付いてから3年目、でした。
あれは とても根が明るくて、だらしないことが嫌いでしたから、いくらか記憶や認識が曖昧になっていても 気分が良いと いつも ベッドの上に座って、私にしか聞き取れないようなしゃべり方で、昔の楽しかったことや面白かった出来事などを、髪をとかしたり、顔におしろいをはたいたり、眉や口紅を塗ったりしながら、繰り返し話してくれましたよ。

 ええ、そうなんです、家内は 着るものも いかにも病人というような寝巻き同然のものは好きじゃなかったので、動ける時は いつもきちんとしていました。

 そんな家内が、5月のある日、いつもは私が窓をあけて朝になるのですが、その日は 私が寝ていると カーテンを引く音が聞え、目をあけると、キレイに化粧して、もう随分見なかった 白いレースつきのエプロンをつけた家内が振り向いて、以前のまったく元気だった頃のように、「さぁ、あなた、起きてちょうだい。もう すっかり朝ですよ。」というのですよ。

 私は たいそう驚きましてね、いや、だって あなた、なんていったって、長いこと はっきりした状態ではなかったし、おまけに 横になっている時間のほうが多かったくらいなんですよ、それが きちんと服を着て、誰にでも分かる話し方で、私に話し掛けたんですから、私でなくたって すっかり 家内が奇跡的な全快をしたんだと思いますよ。

 私は いそいで身支度をして、食事の席に着きましたよ。まぁ 慣れたといっても やっぱり お決まりのメニューになってしまっている私の料理よりも 数段見栄えも良いし 栄養もありそうな食事が用意されていて、私たちは まったく以前と同じように ふたりで朝の挨拶をして、感謝して食事を摂りました。
 まったく・・ 楽しい食事でしたよ、ひさしぶりに、本当に・・。

 食事をしながら 私は 家内に色々聞きたかったのですが、家内のほうが しゃべっているものですからね、きっと ずっといろんなことを話したかったのだろうと思って、黙って聞いていました。それも うれしかったですよ、だって もう随分長いこと 家内の声で 楽しそうな家内の話を聞くということをしていなかったんですから。

 そろそろ食事も終わるという頃、家内は私にその日の予定を聞きました。
私は 特に何をするという予定もなかったので、そういいましたら、それじゃ 私に付き合ってちょうだい というのです。
 勿論です、したいことが山のようにあるのだろうと思い、快く承諾しました。

 すると 家内は これからケーキを焼くので てつだってほしいといい、私にもエプロンを渡しましたのですが、それから まぁ いったい何のつもりでこんなに焼くのだろうというくらい、家内は おとくいのフルーツケーキを何本も焼いたのです。その数は 12本になりました。 もちろん ストックした粉や卵は すっかりなくなってしまいましたよ。
  その日は もう それだけですっかりふたりともくたびれてしまいましてね、夕食をとると 早々と 寝に入ってしまいました。 

 次の日の朝、私は やはり前の日と同じように家内に起こされました。
やぁ、すこしほっとしていました。ひょっとしたら、昨日だけのことで、それも もしかしたら夢だったのかも なんて ぼんやりした頭で考えていたくらいですから。

 家内は その日も すっかりきれいに身支度をして、一緒に食事をしながら、今日は 出かけるから 用がなかったら一緒に行きましょう というので、勿論 引き受けましたよ。
 それから家内は せっせと昨日焼いたケーキを きれいな紙に包んで、リボンをかけ、丁寧にバスケットの中に並べたものを 二つ用意しました。

 私たちは それぞれケーキの入ったバスケットを一個ずつ持って 出かけました。
最初に 私たちは 私たちの住んでいるところからは 少しはなれたところにいる一番上の娘のところに向かいました。娘は 家内を見て たいそう驚いて、もう 時間の問題だと思っていたので(これは でも 誰でもそう思っていたのですよ。)奇跡が起こったといって、興奮して大変でした。でも 家内は楽しそうではありましたけれど、冷静で、小さな孫達をそれぞれ抱っこして、散々あやして楽しんだ後、ケーキを3本出して、娘に渡しました。

 一生懸命引き止める娘を苦労して説き伏せて、家内は 私を連れて、次の場所へ急ぎました。次に行ったのは、長男のところでした。長男は ちょうど 仕事中で、会社の外から電話して ほんの少しの時間をもらい、私たちは お互いに 驚いたりよろこんだり、会社の玄関先で 人目を気にしつつ大喜びしました。長男とは 本当に しばらくぶりに遭ったのです。仕事が忙しくて、そのために 家庭も壊れ、今は 新しい恋人も出来たようではあっても、なかなか それも維持するのが大変だと 難しい状況を、それでも母親のことを気遣いながら、過度に心配しないようにと 気を使って話しているのが分かりました。

 家内は 長男にもケーキを2本渡して、健康のことや生活のこまごました注意、人に対しては忠実であるように など いつもの言葉をかけ、私たちは、そこから今度は 次女のところへ向かいました。

 次女は 小さなアパートで、最初に勤めた会社をやめて、好きな音楽の勉強をするために、勉強とアルバイトで忙しい毎日を過ごしていました。その日は どういうわけか 運良く娘は 遅出だとのことで、まだアパートにいて、これから出勤する というときでした。
 少々きついところのある娘は、連絡もなしに急に私たちが訪れたりしたら、まともに話も出来ないと、家内の回復を喜びながらも 小言をいい、責めるような目つきで私を見したが、家内がまァまァ。。ととりなしながら、ケーキを取り出すと、たいそう喜んで、もう一本ほしいといいました。家内は ちょっと困った風でしたが でも喜んですぐにもう一本 娘にわたしました。  ケーキは 早くも5本になりました。 

 娘のところを出てから向かったのは、電車でほんのふた駅のところの海辺の町でした。わたし達は その町の海に面して建てられた小さなホテルに行ったのです。
 そこは 私たちの思い出の場所でしてね、何回目かの結婚記念日に、家内を喜ばせたくて、そのホテルに泊まることをいいましたら、あれは大変喜びましてね。それからは 何かあるたびに、とまったり、食事をしに行ったりしていたのですよ。

 そう、随分と長いこと そういうこともしていませんでしたからね、わたしは 家内がホテルに泊まりたいのかと思ったのですが、家内は そうではなくて、食事をしたいのだ といいました。
  ホテルでは かつて 我々が元気で 良くそこを利用していたときにもいた人たちが いまだに何人かいましてね、みんなで、我々がきたことを喜んでくれましたよ。

 おいしい食事と懐かしい顔、ゆったりと暖かな時間は、本当に なんともいえず、幸せな気持ちにしてくれました。朗らかで楽しそうな家内が 一緒だったしね。

 水平線に日が沈み始める頃、”とても楽しかったわ、本当に いつもありがとう、どうぞ 元気でいてくださいな。” そういって、家内は ケーキを ホテルの人に差し出しました。
 彼らの顔が 一瞬 困ったような 妙な面持ちになったのを見ましたよ。何か 感じていたのでしょうね、そして、わたしが 少々不安になり始めたのも その時からでした。

 ケーキは 3本になっていました。

 家に戻る途中、家内は 若い頃から続けていた手芸グループの友人の一人で、一番気のあった夫人の家に立ち寄って ケーキを2本 渡しましてね、まぁ 我々の訪問というのは、そこでも 思いもよらないことだったのですけれど、とにかく 人の良いその夫人は ひどく驚いたり喜んだり、泣いたり笑ったり・・大変で、とにかく 一緒にせめてお茶を といってくれているのを、家内は 一生懸命断りましてね、わたしは お茶くらいならいいだろうと思ったのですがね、でも 帰りたいというので、今日は あちこち久しぶりに出かけて すごく疲れているので、また日を改めて、と 一緒に断りましたよ。

 我々は 丸一日、朝からケーキの籠を抱えて、あっちこっち歩き回ったので、本当に くたびれてしまっていました。
 それなのに 家内は 私のために お茶をいれ、残った1本のケーキを切り分けてくれ、、わたし達は その日一日の出来事をアレコレ話題にしながら 楽しく おいしく お茶をいただきました。  懐かしくも 心休まる とても よい時間でした。

 その日、休む前に 家内は『あなた、ケーキの残りは いつものところよ。食べる時は チャントお皿を使ってたべてね、床にケーキのくずを落とさないように。』と これも 元気な時には いつもわたしに言っていた決まり文句をいいました。
 わたしは これも以前のように『わかってるよ、チャント使うよ。』と答えました。

 その夜は とても 不思議な気持ちがしました。
今 思いますとね、わたしには その後のことが、何にも知りはしないのに、すっかりわかっていたような・・、そんな気がしていたように思います。

 家内は 沢山の楽しい 暖かな思い出を残してくれました。
わたしは ただ そのことを心から感謝しているのです。いつか 彼女とそう遠くない日に また 出会えることを、わたしは とても ワクワクしながら待っているのです。
 その時に わたしが一人になってからおこったアレコレを、ひとつ残らず話したいと思っているんですよ。家内は きっと すごく面白がって 愉快そうに笑いますよ。』

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 冷たい風に背中を押されて 家路を急いでいる間中、そして それから 丸一日たった今も、わたしは あれからずっと あのご夫婦のことを考えています。

 奥様には 一度もお目にかかったことがないのに、わたしには 彼女をとてもはっきりとイメージできるのです。
  色白で丸い顔立ち、ふっくらとした頬は 話に夢中になったりうれしそうに笑う時にはばら色に染まって・・、よく通る声で 弾むように朗らかに話し、いつも くるくると 楽しく 忙しそうに動きまわって家事をこなし、こまごまとご主人の世話をしていらしたに違いありません。 思い描いていると とても 親しい人のような気がしてきます。

 あの日、その方は 角を曲がる時に ふとふりかえると、わたしが別れ際に渡したチョコレートの包みを持った手を軽く振り、くるりときびすを返すと、そのまま すぐに 人ごみの中に見えなくなっていってしまいました。

 本命用のチョコレートを買っておきながら、わたしには それを渡したい人がいません。

  今 わたしはテーブルの上に そのチョコレートを置いて、温かな紅茶を飲んでいます。

 自分の心のなかに、しずかに、優し気な悲しさと、ふくよかな香りに満ちた幸せのぬくもりが、マーブル模様のようにゆっくりと入り混じりつつ、ひたひたと いっぱい満ちてくるのを、痛いように 感じているところです・・・。


 このお話は・・ ご存じないと思います。
  すみません、また 作ってしまいました・・が、20%の本当と80%の作り話です。

 モデルの”おじちゃん”(わたし達は そう呼んでいました。)も、粋な人でした。 
わたしがこの仕事をする前まで勤めていたところへ、よく 舟和の芋ようかんなどの差し入れを持って 買い物に来てくれたものでしたよ。
  大変さを顔に出さない、こざっぱりと身綺麗に をもっとうとしていましたね。

 わたしは 本当に 沢山の人たちに めぐり合えてきたのだなーと、そうした出会いに とても感謝しています。
 ふとしたときに、あるいは 飲むと思い出す人たち、そして その頃のわたし。

 思い出す時は いつも ぬくもりのある暖かい涙を、胸にひりっとしみるものと一緒に・・味わってしまっている 遠藤です。

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