『その手で触るものは 何でも金に変わる』という力を得て、散々な目にあったミダス王は、その後、贅沢な暮らしをすっかりやめて、田舎に引っ越してきました。
緑の豊かな 水清い田舎の暮らしは、ミダス王にとって 心休まる 幸せな毎日を約束するものとなり、様々な 楽しみや喜びがありました。
そのうちの一つが 音楽で、とくに 緑の牧場を風に乗ってどこまでも渡っていく 軽やかな葦笛の音は、ミダス王の心を安らかで幸せな思いにしてくれました。
ミダス王は その葦笛を奏でる 田園の神のパンを 特に大切に思い、自分の田舎生活を より豊かな良いものにしてくれるから と、毎日のように 笛を聞きに行くのでした。
ある時、いつものように ミダス王が さわやかな風のそよ吹く緑の上で、パンの吹く葦笛を 幸せな気持ちで聞いていると、これもまた いつものように 沢山の山や野や森の動物たちや ニンフたちがあつまってきては 思い思いに 回りにすわり、一緒に 笛の音を 楽しんでいました。
パンの演奏が終わるたびに 皆が 手をたたいたり 口々にほめるので、パンも だんだん 得意になって浮かれてしまい
「俺は、あの輝く金の巻き毛の太陽神アポロンの奏でる竪琴よりも ずっと 良い音色で 良い音楽を奏でることができるんだぞ。」
などと 言い始めました。
パンの言ったことは そのまま 風に乗って、すぐに アポロンの耳に届き、アポロンは この思い上がり者を懲らしめようと、竪琴をもって 下界に下りてきました。
パンは アポロンの姿を見て、すぐに 言いすぎてしまったことを 後悔しましたが、回りの者たちの手前、引っ込みがつかなくなって、意地になって、アポロンに 言いました。
「これは これは、麗しい我らの太陽神、アポロン様。私の葦笛の音に誘われて お越しいただき ありがとうございます。」
「パンよ、お前が お前の葦笛の音が 私の竪琴よりも優るというのを耳にした。私よりも 良い音楽を奏でられるというのなら、今 ここで どちらが本当に優れているかを 試してみようではないか。」
そして、ちかくの 森や野山から 何事かと集まってきた ニンフたちや動物たちの中から、山の神のトモーロスを呼ぶと、審判を言いつけました。
その日も ミダス王も そこにいたのですが、パンの葦笛の素朴な音色に、それを吹いて大満足のパン同様、おおいに喜び、盛大に拍手を送りました。
次に、アポロンが竪琴を奏でましたが、アポロンの美しく 優雅な音色を聞いたトモーロスは すぐに、アポロンの勝利を宣言しました。
回りのものたちも 皆、アポロンの竪琴を聞いて、深く感動し、心打たれていました。
その時、ミダス王は、自分が信望しているパンの具合が悪くなるのを見て、いやいや、パンの笛のほうが ずっとよかった と、なんども 繰り返し言い張るので、とうとう ミダス王は アポロンの怒りを買ってしまい、アポロンが
「そのように堕落した耳は、人の耳をしている意味がない。なにを聞いても 何も聞かないかのような ロバの耳に なってしまうがいい。」
と いったとたん、ミダス王の耳は、ごわごわの毛のびっしり生えた 大きなロバの耳になってしまいました。
ミダス王は、回りの者たちの笑い声に追われて、耳を両手で押さえて急いで館に戻り、誰にも見られないように、裏口から入って部屋に駆け上がると、長い布を引っ張り出して 頭にぐるぐる巻着付けて ターバンにして耳を隠しました。
しばらくは 回りの者たちに 気付かれずにはいましたが、しかし、だんだん 髪の毛が伸びてくると 布を頭に巻くのが難しくなり、また 布のあちこちから 髪の毛が ぴょこんと 出てきて、おかしな様子になってきたので、おそばの者たちや王女様からも 髪の毛を切るように と 言われてしまいました。
髪の毛を切るとなると、ターバンを取らなくてはなりません。そうしたら 王様の耳がロバの耳だと 知られてしまいます。
『ああ、どうしたらいいんだ。まったく アポロン様の竪琴よりも パンの笛のほうがいいなんて しつこく言わなければよかった。
だけど いまさら もうしょうがない。
それにしても、このままでは どうしようもないぞ、ほうっておけば なにかのときに ターバンが崩れて、この耳が みなの目に触れてしまうかもしれない・・! 一体 どうすればいいんだ。。』
来る日も来る日も ミダス王は 悩み続けていたのでした。
街の床屋では、今日も 朝からやってきた おなじみさんとにぎやかにあれこれ話をしながら、店の理髪師の大将が 忙しそうに お客さんの髪をきったり整えたりしていました。
何人目かのお客さんを送り出したとき、一人の身なりの良い男がやってきて、大将に言いました。
「すまんが これからお館へでむいてもらいたい。」
「え?王様のお館でしょうか?王様の髪を切るのですか?」
「そうだ。馬車を用意しているので、必要なものをもって 一緒に来てくれたまえ。」
理髪師の大将は 女房に声を掛け、本日終了の看板をかけて、急いで 馬車に飛び乗りました。
お館に着くと 大将は すぐに こちらへ と 別の従者に付き添われて どんどん 館の奧に入っていきました。
そして、長い廊下や 沢山の階段を登って、ようやく、王様のお部屋に入ると、王様は 理髪師の大将以外の者たちは 皆 部屋を出るように と 言いつけました。
頭に 大きなターバンを巻いた王様は、ターバンの隙間から ちょろん ぴょこんと 髪の毛が飛び出していて、なんとも 不恰好に思えましたが、大将は 深々とお辞儀をして、自分を指名してくださったことのお礼を言いました。
すると 王様は、近う 寄れ、といい、大将が 恐れ入って近づくと もっと 近くに招いて、その耳元に 厳しい声で いいました。
「お前は、これから見るものを 絶対に人に言わないと まず 約束するのだ。よいか。これから 見るものを 絶対に 一言も 人に漏らしてはならんぞ。それが できなければ お前の命はないと思え。」
それを聞いて 理髪師の大将は、とんでもないことを引き受けたらしいことに気付いて、急に 心臓がばくばくしてきましたが、でも もう いまさら どうしようもありません。
青くなって、のどに引っかかった言葉をだせないまま、深く何度も うなづきました。
それを見て 王様は手を挙げ、そろそろと ターバンを取りました。
理髪師は 驚いたの何の・・!
自分の目で見ているものが 信じられません。
しかし、ここで 騒いでは 殺されてしまうでしょう。
胸から飛び出さんばかりの心臓と 真ん丸くなった目を 一生懸命 元に戻そうと死ながら、何も見なかったようにして、いつものように 櫛とはさみを取り出して、王様にガウンをかけ、王様の髪を 切りはじめました。
部屋の中は シーンとして、ただ はさみのチョキチョキという音と、髪の毛が さらんと落ちる音のほかは、王様も理髪師の大将も 一言も しゃべりませんでした。
大将は、できるだけ急いで、できるだけ丁寧に、王様の髪を切り、整えました。
そして、すっかり 後片付けを済ませると、もう その頃には ちゃんと ターバンを巻き終えた 王様に向かって だまって お辞儀をしました。
「よいか、先ほどの約束を守らなければ お前はどうなるか、わかっておるな。」
「はい、王様 良く承知しております。」
「決して 誰にも言うでないぞ。もしも 一言でも誰かに言えば・・」
「いいえ! いいえ! 王様! 決して 誰にも、一言だって、これっぽっちも 言いません。絶対に 誰にも、女房にも 言いません。」
王様は じっと 理髪師を見つめていましたが、ベルを鳴らして お付きの者を呼ぶと、たっぷりと礼金を渡して、理髪師をじっとにらみつけた後、ゆうゆうと 部屋を出て行きました。
それから 理髪師の大将は どうやって 家まで戻ってきたのか、まったく 全然 覚えていません。
そんなことよりも 見てしまったもののことで頭が一杯で、そして それを 決して言わない、一言でも言えば 自分は殺されてしまう、ということばかりを 繰り返し繰り返し なんども心の中で 言い続けていました。
おかしなもので、人というものは、絶対に言うな と言われれば言われるほど、黙っていられなくなるものです。
それは 理髪師の大将も 同じでした。
家に戻っても、あれからずっと いつも、ご飯を食べていても 夜寝るときも 仕事しているときも、王様の耳のことが 全然 頭から離れないのです。
心配するおかみさんに、なんど 言っちまおうと思ったことか、でも そんなこと できっこありません。
お客さんの髪の毛を切りながら、おしゃべりしていると つい うっかり 口を滑らしそうになるので、それが恐くて、そのうち 仕事もしなくなり、具合が悪いのかと ますます 心配するおかみさんにも 何も言えず、どんどん 自分がおかしくなりそうになっていくばかりです。
ある時、理髪師が店に一人でいると、金色の巻き毛が美しい やさしそうなお客さんがやってきました。
その晴れやかな笑顔と 優しい声に 久しぶりに気持ちが明るくなり始めた理髪師は つい、その客に 声を掛けてしまいました。
「だんな、なにか 秘密があるってのは 苦しいもんですね。。」
「いやいや、大将。ずいぶん苦しそうだね。 一体 どうしたのかね?何かあったのかい?」
「いや、、まぁ そうなんですけどね。ただ 誰にも言っちゃいけないことなんですわ。」
「ああ、それは 辛いだろうなぁ・・。分るよ。誰にも言っちゃいけないってことほど、言いたくてたまらなくなるもんだ。」
「ええ、そうなんでさぁ。だけど 言ったら最後、俺の命はなくなっちまう。そうしたら 女房も子供も この店も みんな 駄目になっちまうんですわ。」
「そんなに大変なことを抱えているのかい。うーん・・ それは 困ったまぁ。」
「ええ、もう どうしていいやら。飯ものどに通らんのですわ。」
目に涙を浮かべ 涙声になって、本当に 苦しそうに言う大将をみて、そのお客さんは 言いました。
「そうだ、いいことがある。」「え?! ほんとですか?一体 どうすればいいんです?」
「どこか 人のいない草っぱらにでもでかけていって、地面に穴を掘るんだ。」
「ふんふん。それで?」
「その穴に向かって 言いたいだけ 秘密をしゃべって そのあと、その穴をすっかり 埋めちまえばいい。」
なるほど、それなら だれにも聞かれないし 自分も 大きな声で 言いたいことをいえるぞ、と 早速 理髪師の大将は 遠くの草原まで出かけていきました。
そして、ここなら大丈夫だろう というところで、一生懸命 深い穴を掘り、一息ついた後、大きな声で 言いたかったことを 叫びました。
「王様の耳はロバの耳だった。王様はロバの耳をしていたんだぞう。人間なのに 王様の耳は ロバの耳だったんだ。王様の耳はろばのみみー!!」
なんども なんども そう叫ぶと 急いで 穴をしっかり埋め、後も分らないように 草をかぶせておきました。
そうして、ようやく しばらくぶりに 晴れ晴れとした顔つきで、足取りも軽く 気分良く 家に戻ってきたのでした。
それから しばらくたったころ、町のはずれの遠い草原のある場所で 葦がびっしり生えてきました。
ちょうどそのころ、あたらしい葦笛を作ろうとしていた 田園の神のパンは、勢い良く生え揃った 葦の原をみて、これはいい と よさそうな葦を刈り始めました。
ところが、一本 葦を刈ると なにやら ささやき声がします。
不思議に思って 別の一本を刈ってみると、やっぱり 同じように声が聞こえ、どうやら それは ロバとか 耳とか言っているようです。
パンは これは おもしろい、と 必要な本数を刈り取ると、早速それで 葦笛をつくり、どんな曲ができるかと ふいてみました。
その笛で 歌い上げた曲は、コレまで聴いたこともないような 面白さのあるもので、パンは 大喜びで 人々にも聞かせようと 笛を吹きながら、歩き出しました。
しかし、街に近づくにつれ、どうも さっきから聞こえていた声が 少しずつ はっきりしてくるような気がします。
街に入ると 人々は すぐに それを聞きつけて、集まってきました。そして 不思議そうに パンを見つめ、葦笛の音に耳を済ませました。
今度こそ、はっきり 誰の耳にも 聞こえます。
「おうさまのみみは ろばのみみ〜・・、おうさまの みみは ろばの みみ〜」
パンも 人々も びっくりして 顔を見合わせ、騒ぎ始めました。
王様って?ミダス王様のことかしら?いやいや そんなはずはないさ。でも このあいだから 王様は頭に巻物をしておいでじゃないか。耳をかくしているのかな。きっとそうよ。王様の耳は ロバの耳になったのかい?などなど 人々は 思うままに噂しあいました。
そんな様子を見ていた ミダス王の家来たちは あわてて、館に戻ると、王様に見てきたことと聞いてきたことを話し、そして じっと 王様の頭に巻かれたターバンを見つめました。
王様は 居ても立ってもいられなくなって 大声で 怒鳴りつけました。
「なにを見ている! お前たち、一体 だれがそんなことを言いだしたのか、言ったものを探してつれてくるんだ。そんな バカなことをいう奴は 生かしておけん!」
しかし、その中の一人の賢い家来が 王様に 言いました。
「王様、だれが そんなことを言ったのかは わかりませんが、あの葦の歌声は 風に乗って もう すでに 街中に広がってしまい、だれもが知っていることです。
こうなっては、誰か一人を殺したところで 何も変わらないでしょう。それよりは、いっそ そのターバンをみんなの前で取って、ロバの耳などではないということを 見せてやったらいかがでしょう。
そうすれば だれも そんなつまらないことは 言わなくなります。」
たしかにそうです。。王様だって できることなら そうしたかった。
だけど それが できないから 苛々して 心配で、いつもいつも びくびく おどおどしていたのです。
皆を下がらせると ほとほと疲れ果てたミダス王は、しばらく じっと考えていました。
このまま、ずっと ターバンを巻いて、髪を切るたびに 誰かに知られることを恐がって暮らすのは もう 沢山です。
王様は、そんなことになる前のように、いつでも自由に 牧場に行って パンの笛を聞いたり、心安らかな毎日を 楽しく過ごすために 田舎にやってきたはずでした。
もう これ以上、我慢できない と おもったミダス王は、よろよろと椅子から立ち上がると、館の裏から そっと 表に出ました。
そして 人目をはばかって 急いで アポロンの神殿までやってくると ぽろぽろ涙を流して、これまでの無礼と意地を張っていた自分を恥じて 心から反省しました。
すると、アポロン神は そばに来て、ミダス王の耳に触れたので、ようやく王様の耳は 人の耳になったのでした。
街では、あの理髪屋に また あの金の巻き毛のお客さんがやってきました。
理髪師の大将が 喜んで イスに座らせようとすると 男は いたずらっぽく笑って言いました。
「大将、もう 何も心配することはないですよ。ミダス王は 心を入れ替えたので、ロバの耳ではなくなったよ。」
そういっているうちに その男の体から 光があふれ、見ているまに 着ている物がまっしろに輝き始めたので、大将は それが アポロン神だと気づき、ひれ伏して拝み お礼をいいました。
それからは ミダス王は 平和な田園生活を楽しみながらも、つつましく暮らし、人々を大切にする 良い王様になった ということでです。
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