ひつじ小屋だより 87

ひつじ小屋の風景 77

新しい扉を開く者


考えるひつじ

まわりをみれば・・
丸ごと戴く

ちまたの話し
ターシャ・テューダー

メイクアップ
きれいな人



愛すること 35
育てを見守る目と手

きれいをおいしく!
くずゆ・あ・ら・かると

ひつじ小屋の日々
賀状の笑顔 など

編集後記

発行日 2008年1月5日 発行人 遠藤由美子


ひつじ小屋の風景 77

新しい扉を開く者


 「悲観主義者が、星々の神秘を探求したり未知の土地に航海したり、人の魂にふれる新しい扉を開いたことはこれまで一度もない」(2007年12月28日付け毎日新聞コラム"発信箱")

 これは、そのヘレン・ケラーの残した言葉だそうで、今年は彼女が没して40年目になるということです。

見えない・聞けない・話せないの三重苦(この言葉はあまり好きではないのですが・・)を背負った彼女のことは、いまさらお話しすることも無いでしょう。彼女の生涯は、彼女とともに苦難と喜びの道を歩いてきた生涯の教師であるアン・サリバン女史の人生をささげた日々時々とともに、多くの本、映画や演劇などにもなっています。"知ることの喜びを追い求め、扉を開き続けた人"ともいえますね。

 さて、この悲観主義者にたいして それでは楽観主義者であれば"人の魂に触れる新しい扉"を開けられるかといえば、どうも そうとも言い切れないように思えます。
 悲観主義者というよりは、悲観的に物事を捉えやすく何かにつけて否定的な考え方に陥りやすいタイプの人、また、楽観主義者というよりは、何が起こったところでまずは率直にその事実を受け入れ、できるだけのなるべくより良い対処を考えようとし実行する人、と私は考えます。
 あなたは 悲観的な傾向のある人ですか?それとも楽観的に物事を捉えるほうですか?

 実は、私はあるときまで少々偏った悲観的感覚の持ち主でした。
  どうしてそうなったのかは分かりませんが、子供であっても日々自分に起こる出来事のいちいちに、いつもどこかでおどおどしていて、家庭と学校においては何かにつけて起こることの一つ一つに、いつも一番そうなってほしくないことをまず考え、それにどんどん勝手な思い込みが絡み付いて膨らみ、終には何をしても何の意味もないと思えると、ソレについてはなんの期待せずに忘れようとしたり、こまごましたことに及ぶまでも、これっぽっちの希望も喜びもないような結果を半ば信じて疑わないようなときが長い間、大人になってもありました。


コタツにみかんは
冬のお約束だね!

 何かを期待して期待したとおりになどなることは殆どないのだ、ということに早くも気付いていた当時の自分は、その期待がどれほど淡いものであれ、結果「打ち砕かれる」という状態を味わいたくない、耐えたくない、極力避けて通りたいと思っていたようです。
 ですが、そのどれもが、大人になった今思うと それほどたいしたことではないことのほうが多かったように思います。

 それがどうして 今のように何があったところで"えっ?"と思いはしてもそれほどの動転もせず、とんでもないことが起こったところで自分でも不思議なくらい淡々とそれを見つめていられるようになったのかといえば、まずは年を取った(なんども似たような経験をしてある程度の現実的な予想を立てられるようになった。)からでしょうし、ここまで生きて来てしまったことで、何があろうと死ぬその時までは日々は当たり前に過ぎていくのだということを知ったからであり、様々な形でこの世界に生きるものには、どうやら目に見えない手の介在があるらしいと思えるような経験が幾度かあったりして、「生きる」ことそのものに必要以上の恐れや不安を抱かずにいられるようになったからではないかと思うのですね。

 自分と人が同じとは思いませんが、経験を積むことで安心や予想するための基準を得、それによってできる心の準備が余裕を生み、それをもって物事に当たることができるようになるように思います。そういう今の自分を子供のころの自分が見たら、ずいぶんとお気楽な人間に見えるでしょうね。

 生きるということ、時を重ねるということは、そんな風に自分や周りに起こる喜怒哀楽を、痛みのあることでさえも抱き留めて目をそらさずに見つめ続けられるようになっていくように思えています。
 そして、そういうことが積み重なり、あることへの理想や期待が生まれて何かを形にしていくための原動力になっていくのでは・・とも。それがきっと『人の魂にふれる新しい扉を開く』ことにつながっていくのではないかと思えてなりません。

 「秘密の花園」は、長いことその存在を不明にしていましたが、好奇心の強い冒険心のある少女が扉を発見して開いたことから、終には人の心の喜びと慰めの花園へと生まれ変わります。 

2008年にはそんな風に皆のための花園の扉が開かれるようにと祈ります。

 

 

 

考えるひつじ

  まわりをみれば・・  (丸ごと戴く)

 先月この項に、食品の偽装問題について書きましたが、後日、日経新聞のコラムに大森一憲さんというフランス料理店「パリの朝市 銀座」のスー・シェフの話が出ていたのを見つけました。 

 『食材におカネがかかっているから、僕たち料理人は(本当に)骨の髄まで食べます。絶対にただでは捨てません。コンビニ弁当が時間になれば廃棄されると聞いたことがあります。実際に行われているとすれば、とんでもないことです。生き物の命を"いただいている"ということ。そのことに感謝する気持ちを忘れてはいけません(略)。そしてすべての素材は(水だって)「有料」です。』 

 体脂肪率ひとけた台というまだ30代の'料理人'であるを誇る大森さんの弁には拍手ですね。そう、お金かかってるんだもの、簡単に廃棄なんてしないよ というのは当然なのです。買ったものを丸ごと食べきるために、おいしい食べ方を追及するのは、とても正しい姿勢。
  世界中でも稀な満ち足りた食事のできる日々を生きている我々なのですから、せめて戴くものは無駄なくいただき、得た力を必要なことに還元していくようにしなければなりません。決して弱きをたたき、力無きを踏みにじるためではなく!!

 

ちまたの話し

・「この上なく質素で優雅な生活」(帯文より)を今も維持しつつある今年93歳のターシャ・テューダーさんの本をクリスマスプレゼントにもらって、読んでいます。

・意志的な生活を徹底的に送る姿勢には感服します。随所に"休むまもなく働く手"とありますが、彼女の生活は退屈とは無縁。

・働けることを喜べるのは幸いですね。


お孫さんでしょうか
愛らしい・・


  メイクアップ  (きれいな人)

 先日、あるファストフード店に入ったときに見かけた若い女性は独りで、カップに入った飲み物とフライドポテトを時々口にしながら、携帯を見つめていました。私のはす向いに座った彼女の長い髪は後ろで一つにまとめられ、前髪が顔の両側面に自然にゆるやかにかかっていました。
  ななめ手前からみる横顔は、曲線のなめらかな額と少しくぼんだような切れ長の目、しっかりとした形の良い少し上向き加減の鼻などがやや浅黒い肌とともにとても調和が取れていて・・、いい感じだなぁ・・と おもわず 見とれてしまいました。 

 オフタートルのざっくりした浅めのマロンブラウンのセーターを着た彼女は、大分疲れているような様子で柱に頭をもたせかけ、眠りたいのにそれもできずにいるという風で、その顔といい、着ているものやしぐさといい、あの若さでなんともいえない・・そう、まるでフランス絵画の憂いある女のような、そんなある種の不思議な存在感を漂わせていました。 ノーメイクの彼女は目の下のクマでさえもきれいに見えた。あのような美しさは、まねてできるものではありません。

 自分がきれいであることに気付かない人の、疲れていてさえも美しい横顔が忘れられずにいるのは、このところ感じている自分の仕事をこれまでのまま続ける意味を、改めて問いかけなおされたような気がしたからかもしれません。
  漫然としたメイクを再考するきっかけになれば・・と思います。

新春のお慶びを  申し上げます。

 

愛すること 35
育てを見守る目と手

♪ 「アメリカンインディアンの教え」に”批判ばかり受けて育った子は非難ばかりする。””敵意に満ちた中で育った子は誰とでも戦う”などという文があります。
  そして聖書の書簡集の中にも「(父親たち)子供をいらだたせはならない。いじけるといけないからです。」という文言があります。

♪ ほんの少し先に生まれたからというだけで、子供だからと批判や口出し、あるいはしつけと称して手を上げるなど、親の立場になった者の誰もが一度は子育て中に陥るのでは・・?
 子を 虐待する親はその親から同じことをされた経験を持つ者が多いと聞きますが、悪なる連鎖は今止めなくてはなりません。

♪ 心が寛大な人の中で育った子は我慢強くなり、人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にする、とアメリカンインディアンの教えは説きます。
 人は独りでは正しく生きることができない時があります。だからその子の親のせいばかりではないかもしれない。一人の子供を沢山の目と手が見守ることも必要です。

きれいをおいしく!
白菜とひじきのさっと炒り煮

材料:白菜 4〜5枚、乾燥ひじき 大匙2〜3杯、ふりかけ鰹節 適宜、昆布つゆの元 適宜。

作り方:1 白菜は食べやすい大きさに切って軽く塩をしておく。
2 ひじきはぬるま湯に浸して戻し、ざるにとって水ですすぎ、水を切っておく。
 なべを温め、ひじきを入れて軽く炒り、ざっと塩を洗い流して軽く絞った白菜をいれる。
4 昆布つゆの元を入れて好みの味にし、鰹節を混ぜてできあがり。しめに醤油をたらしてもおいしい。 

 もう一品ほしいなというときなど、時間をかけずに作れ、それなのに手を掛けたように見えるこういうものが助けになります。 突然のお客様のときなどの酒の肴や箸休めなどに、また刻んで細まきにしてもおいしいです。
  骨や歯に必要なカリウム、カルシウム、貧血予防の、正常な血液循環のためのマグネシウム、おなかの調子を整える食物繊維などがいっぱいのひじき。 

おいしくいただきましょう!

ひつじ小屋の日々
賀状の笑顔 など

◇ 年賀状を書くという習慣を大分前にやめたのですが、ろくすっぽ書きもしないこんな私にも毎年きちんと送ってくださる方たちがおいでなのです。 
  何枚かには家族写真やかわいい盛りのお子供さんたちの笑顔などがきれいに印刷されていて、あぁ、もうこんなに大きくなっちゃって・・と、口元がほころびながらもしんみりしてみたり・・。

◇ これまで戴いた賀状とならべて見ると、その成長振りが分かって嬉しく楽しい思いをさせていただいています。
  小さな彼らには、やっぱり笑顔が似合う。賀状の写真を眺めながら、どうかこの笑顔のままで!と 祈っています。

◇ ここ数年、間をおいて入退院を繰りしていた母が暮れに手術して現在また入院中。相変わらず病人食を嫌って好きなものしか食べないし、アレは嫌だ、これはしたくないと散々。一見従順そうですが、実は頑固。ここへきてまた扱いにくくなった・・。

編集後記

・ このところ電車を利用することが増えたので、乗っている人の顔を観察ができてなかなか興味深く面白い。
  顔の造作もさりながら、美醜にかかわりのなく、その所作などから人柄が見て取れることを再認識。それがその人の魅力なのだ と。

・「まったく、キレイなだけじゃ意味も価値もないなー。」と しみじみ思うこの頃である。

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迎 春

年が改まり、また もう一年、やってごらん と 『時』を与えてもらえました。

沢山の後悔や失敗、不手際をやり直したり 穴埋めをしたりする時間がまだあるのだから

最後まで諦めないで やってごらん と 厳かな眼差しが 疲れた背中を そっと後押ししてくれます。

心して・・ 急がずに 丁寧に 一つ一つ・・ と 生きる一年に します。

 

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